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「神様のひとさじ」第二十一話

「すごい」
アダムの作った家は、石造りの小さなお家だった。
中には炊事場と、大きなテーブル、可愛い四つの椅子、少し不格好なタンス。ふかふかの布団が敷かれたベッド、暖炉もある。
綺麗な花も飾られている。

「ここは、全部、僕が用意したんだよ」
「ありがとう」
ラブの胸は、チクチクと痛んだ。
自分が現れるまでの、長い時間、心を尽くしてくれた結晶だ。それを、自分は破棄しろと言っている。

「ごめんなさい……アダム、ごめんなさい」
何が正しいのか、どうするのが良いのか、ラブは分からなくなってきた。

「泣かないで、ラブ。僕も間違ってたなって、思ってきた。だって、僕は君より彼らと一緒に居たんだから。やっぱり、僕らは此処を離れよう。今から船を見てくるから、君は休んでて、ほら、良い布団でしょ?」
アダムが、綿でパンパンの布団を自慢げに叩いた。
「うん、すごく柔らかい、こんなに良い布団、きっと世界の何処にもないよ」
ラブの言葉に、アダムが嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう、アダム」
アダムが家を出て、あちこちを眺めてから布団に横になった。

「皆、どうか無事にコロニーに帰れますように」
誰に祈って良いのか分からなかったけれど、言葉にせずにはいられなかった。
「ごめんなさい……」
驢馬も、稲子も、コロニーで襲われた人達も、全部、自分のせいで死んだ。そう考えると、心が押しつぶされそうだった。
ラブは、色々な事を考えながら、やがて意識が沈んでいった。


「あった」
アダムは、枝に手を伸ばし、実をとった。
ラブの命を長らえる、赤い実。その実を付ける木の後ろには、もう一つ、別の種類の木が生えている。

その木に成る実は、食べるのを躊躇うほど、毒々しい見た目をしている。
黒くて、中がぐちゃぐちゃな実だ。

しかし、その木には時々、美味しそうな赤い実が成った。
試しに、この地に住んでいた人間に食べさせた所、記憶や知識を失った。

「これを、使えば良い。ラブの為だよ」
アダムは、笑った。


アダムは、眠りにつくラブを見下ろした。
神が作った、自分の唯一無二の女性。
美しく、優しい人。
彼女は、今、苦しそうな表情で眠っていた。

「君が、空腹に苛まれ、偽物みたいな儚い命にならない為には、ここで生きることが重要なんだよ。今ある苦しみも、全部取り払ってあげるよ。君の望み通り、一からやり直せる」
アダムは、ラブの髪を撫でた。
ラブの睫毛が揺れて、彼女の黒い瞳が覗いた。

「おかえり」
彼女が、取り繕って笑うから、心からの笑顔が見たいと思った。
「ラブが、食べてくれそうな物穫ってきたよ。これは普通の果実だよ」
アダムは、ラブを抱き起こして、その唇に実を運んだ。
「ありがとう」
ラブは、小ぶりなその実を囓った。つぶつぶした果肉が口の中で踊っている。
「どう?」
「美味しいよ」
「そっか、良かったよ」
半分ほどラブが食べた実を、今度はアダムが口にした。

僕らは、一から、やり直す。
僕は唯一の女性を探して、君は、唯一の男性を探して。

ここで、再び出会うんだ。
アダムは、胸がドキドキと高鳴った。

「ねぇ、ラブ。夜空を見てきたらどう?光る虫も飛んでいて、とっても綺麗だよ。僕は、その間、美味しいお茶を淹れているよ」

僕は、不思議に思うだろう。
二人分のお茶を淹れている自分に。

そして、きっと探しに行くよ。

「うん……そうだね」
ラブは頷いた。稲子の事も気になった。
ラブは、布団を剥いで、サンダルを履いてドアへと向かった。

「ねぇ、ラブ」
「なぁに?」
「ううん、やっぱり何でも無い。後でいいや」
アダムの様子に、ラブが首を傾げた。

「じゃあ、気をつけて。もしも、道に迷ったら動かないで。迎えに行くから。待っていて、僕の事を」
ラブは頷いて、外へと足を踏み出した。
ラブの揺れる髪を、華奢な背中をアダムは愛おしそうに眺めた。


「今度こそ、僕らは、一つになれるよ」


ラブは、楽園の中を歩き、稲子を探した。

夜空を見上げる余裕なんて無かった。

彼女は、木の家の中で、他の藁人間と床で眠っていた。

その哀れな姿に息を呑み、見ていられなくて逃げ出した。

そういえば、彼女の荷物は何処へ行ってしまったのだろう。疑問に思って、実の成る木を見上げたら、禍々しいほど美しく輝く赤い実が目に入った。

稲子の命で育った実。
アレを、稲子に返したら?

ラブは、走り出した。
走って、走って、木に辿り付くと、根に足を取られて、転んだ。

「きゃあ!」
地面に顔がついた。足から、濡れたような感触がする。
痛い
情けない
悔しい
悲しい

「もう、やだ!」
何も思い通りにならない。何も上手くいかない。

「嫌い!私も、神様も、何もかも、嫌い!」
ほんの些細な切っ掛けで、心が体に収まらなくなった。握りしめた拳で、地面を叩くと、ただ、手が痛かった。

「もう、どうすれば良いのぉ……」
起き上がろうとすると、太股にゴツゴツした感覚があって、ポケットに手を入れた。

そこからは、ヘビに貰った飴の袋が出てきた。

「あっ……あ……ヘビ、ヘビ……」
ラブは、必死に飴を取り出して、口の中に放り込んだ。しかし、飴は口に入らずに、コロコロ転がった。

「あはは……馬鹿、馬鹿みたい、私……ばかだよ」
土まみれになった飴を拾い上げた。
汚い。光り輝く赤い実とは大違いだ。

だけど、これが良い。
私は、こっちが良い。
土を指で払って、大切に口に入れた。
飴が、ゴツゴツ歯にあたる。

「しないよ、味がしない。美味しくないよぉ、ヘビ。でも、良いよ。ずっとお腹空いてて良い、不味い物しか食べられなくて良いよぉ、ヘビと居たい。ヘビが良い、ヘビが――好きなの」

恥も、矜持も捨てて、子供のように泣いた。
泣いて、泣いて。
飴が口からなくなった頃――なぜ、自分が、此処で泣いているのか分からなくなった。


「あれ?私……どうして、泣いてるの?」
ラブは、濡れた頬に触れて、とても寂しくなった。手には、小さな袋が握られている。
 
小さくて丸い、硬い物が入っている。
とても、大切な物だった気がする。

「ここは、どこだっけ?」
辺りを見回すと、光り輝く虫たちが、飛び交っている。立ち上がると、膝が痛くて、血がつーっと流れた。

「どうしよう」
ラブが呟いた時、木の陰から獣たちが顔を出した。皆、同じ方を向いて、唸っている。

「やめて、あっちに行って」
胸がざわめいて、獣たちに向かって声を掛けたら、彼らは尻尾を巻いて、姿を消した。

「ラブ!」
獣が睨んでいた方から、男の声が聞こえた。ラブが、振り向き目を凝らした。
男だ。背の高い、うねった髪の男が立っていた。
ポンチョ型のコートを着ている。

「ラブ……」
男は、駆け寄ってラブを抱きしめた。
心が、喜んでいる。逢いたかった。

「貴方が、私の男さん?」
ラブの質問に、男は体を離し、彼女をじっと見つめた。

「どういうことだ?」
「私、気がついたら此処に転んでたの。貴方が私を迎えに来てくれるはずの、運命の男さん?」
男は、ラブの質問に、眉を顰めた。
「……俺の名前は?」
「名前?」
首を傾げるラブに、男は溜め息をついた。
それから、頷いた。

男は、しばらく、難しい顔をして押し黙った。
そして、自嘲するように笑った。

「もう何が起きても、不思議じゃ無い。外は、俺の予想出来ない事ばかりだ」
呟いた男が、ラブに向き合った。

「俺は、ヘビ。お前の事を迎えに来た」
「やっぱり!私、貴方のことをずっと待ってた気がするの。貴方に会えて、とっても嬉しいの!」

ラブは喜んで、ヘビの胸に抱きついた。
飛び上がって、痛い膝も気にならないくらい幸せだった。

「お前の名前は、ハブだ」
ヘビの顔は、ニヤついていた。

「ハブ?本当に、ハブなの?」
「嫌か?」
「いや、じゃないけど、それじゃない感じがして、モヤモヤする」
「じゃあ、ラブならどうだ?」
ヘビの手が、ラブの頭を撫でた。

「ラブ?すごくしっくりくる。私、その名前好き」
「そうか、良かった。だが実は、俺達には時間が無い」
「え?」
「俺達は、ある男に追われている。だから、すぐに此処を離れたい。一緒に来てくれるか?」
「うん、もちろんだよ」
「食べる物も満足にないし、家もないんだ」
ヘビは、自分に呆れたように笑った。

「良いよ。私、実は良い物もってるの!見て、これ多分食べ物だよ。大事な、大事なものだったはずなんだけど、ヘビになら半分あげる」
ラブは、飴の袋をヘビに差し出した。

「とっても大切な人に貰った気がするの……大好きだったの」
「……」
「どうしたの?泣いてるの?大丈夫だよ。きっと何とかなるよ。ラブね、貴方と最後まで行くの。覚悟があるんだよ。だから泣かないで」

ラブは、目頭を押さえるヘビの顔を引き寄せ、慈しむように、頬にキスをした。

「必ず、お前を、幸せにする」
「ラブは、ヘビと一緒に居れば、幸せだよ。あっ、そういえば、近くに船がある気がするの。何で覚えてるんだっけ?」
「船か……マニュアルは頭に入ってる。よし、行こう」
ヘビが、ラブの手を取って歩こうとしたが、ラブは手を引いて止まった。

「どうした?」
「足が痛くて動けないの」
ヘビは、笑った。
そして、彼女の前に跪いた。

「これは予想だが、お前は、俺を大蛇だと言う」
ラブは、ヘビの背中に乗り、目線が高くなり――大蛇だと思った。

「貴方、予言者なの?」
「いいや、違う。ただ、お前のその腕輪は、悪魔が宿っているから捨てろ」
「えっ!」
大声をだしそうになり、慌てて口を噤んだ。
「船なら海の方角だな。急ぐぞ。走るから舌を噛むなよ」
「うん」



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