「神様のひとさじ」第十八話
「ラブ、大丈夫だった⁉」
診察室に着く直前で、アダムと会った。
「うん、大丈夫。アダムは?」
「僕は、大活躍だったよ。侵入者をポイして、獣も一匹、外に追い出したよ」
褒めて、アダムが頭をラブに向けた。ラブが、戸惑いながらアダムの頭に手を当てると、ヘビは二人を避けて歩き出そうとした。
しかし、クイナが診察室から顔を出した事で、足が止まった。
「ヘビ、丁度良いところに!」
クイナは、血濡れた青い手術着を着ている。腕には、医療器具が詰め込まれた、シルバーの四角いトレイを抱えていた。
「血液が足らないわ、ハジメにアナウンスして貰ったから、隣の部屋で採血して」
「わかった」
ヘビが、クイナから機材を受け取った。
「あっ、アダムも良い所に。貴方患者を押さえ込んで」
「はーい」
ヤル気は無さそうだが、素直に返事をしたアダムは、ラブにヒラヒラと手を振って中へ消えた。
「あっ、あの私は」
「ラブさんは献血してくれる?提供者で。男達が怪我人か、獣の回収で居ないのよ」
「うん」
「行くぞ」
ヘビに促され、隣の部屋へと向かった。
ヘビは、そこで簡易ベッドを組立て、テキパキと用意を始めた。
「ヘビも、お医者さんみたいなことするの?」
ラブが、ベッドに横たわると、ヘビは綿花で刺入部位を消毒した。あれ、畑で採れた綿花だ、そんな事をぼんやり考えていた。
「ああ、クイナに何かあれば困るからな、執行部は大体の事が出来るように職業訓練もしている」
「凄いんだね」
「最初に言っておくが、針は突き通したりしないし、血は悪魔に捧げないからな」
「もう、そんな事考えて無いよ」
ラブが笑った隙に、針は刺され、血が小さなガラス管に溜まっていく。
「あの時は、見るもの全部、初めてだったんだよ」
「記憶喪失だったからな。アダムに再会して、全部思い出したんだろ」
「……そうだね」
(もしも、アダムに出会えず、ヘビを運命と思い続けていたら、どんな未来だったのかな?ヘビは、いつか私を好きになってくれたかな?)
ラブは、ヘビを見上げながら、パチパチと瞬きを繰り返した。
眩しい。ヘビの顔が、とても眩しくて見えない。
「……おい、ラブ、大丈夫か?」
「ヘビが眩しいよぉ……」
「すまない。献血のせいだ。この位でやめておく。気分は悪いか?」
「ねぇ、ヘビ……アダムが……かったら、私のこと、すきに、なった?」
ラブの目の前が真っ白になった。
何となく、意識があるけど、指一本動かない。血の気が、引いていく。
「それは、俺が聞きたい。お前こそ……」
「ラブ、大丈夫?」
優しく肩を叩かれる感覚で目が覚めた。心配そうなアダムが、覗き込んでいた。
「大丈夫。あれ?どれくらい経った?」
「小一時間かなぁ」
「そっか、なんだか結局役にたったのか、経ってないのかわかんないや」
「大活躍だよ。秘密だけどね、ラブの血には、実の効果が残ってるから、輸血された幸運な人間は、かなり元気になると思うよ」
「えっ……じゃあ、もっと献血するよ」
ラブが体を起こすと、アダムが強く抱きしめた。
「駄目だよ。これ以上は、許さない」
「アダム?」
珍しく怖い顔をしていて、ラブが怯んだ。
ソレに気がついたアダムは、何時もの柔和な笑顔を浮かべ、ラブの背中を叩いた。
「ごめん。ラブが心配なんだよ。それに、ひとまず事態は落ち着いたみたいだよ。命に別状はありませんってやつ?二人は、既に死んでたみたいだね」
ラブは、獣に襲われるのを想像し、怖くなった。
「ねぇ、アダム。そんなに怖い獣が居るのに、外で暮らして大丈夫なの?」
ラブが、アダムのTシャツの胸元をギュッと握ると、アダムが、その手を包み込んだ。
「もちろん、大丈夫だよ。ラブは、獣に襲われたりしないよ」
「どうして?」
「そう決まっているから。僕らは、彼らの餌じゃない。それに、どんな危険からも、僕がラブを守るよ。僕らは二人で一つ。僕は、ラブの外を守って、ラブに必要な物を、全部手に入れる」
ね、そうでしょ。アダムの唇が、ラブの目元に触れた。
心が、重くなる。
罪悪感だ。
話さないと、自分の本当の気持ちを。
ラブが決心をして、口を開こうとすると、隣の部屋から大きな音がした。
驚いて身をすくめるラブを、アダムが抱き寄せた。
「何かな?」
ラブは、アダムの腕から抜け出し、ベッドから立ち上がった。
「全部、お前達の企みなんだろう!」
「そうだ!このコロニーをぶっ壊すつもりだったんだろ!」
普段、大人しく息を潜めるように暮らしている人々が、決壊したように怒っていた。
男も女も手にしたナイフや、ハンマーなどを握りしめている。先ほどの大きな音は、彼らが病室のドアを乱暴に開けた音のようだ。
「ちょっと、待って、落ち着いて」
疲れた顔をしたクイナが、彼らの前に立った。
「そうだ、此処は病室だ」
ヘビも彼らを諫めようと、中から出てきた。
「落ち着いていられるか!獣を連れてきたのは驢馬なんだろう。驢馬が死んだなんて嘘で、獣を捕まえに行って、このコロニーを滅茶苦茶にするつもりだったんだろう!」
「そうよ、それで此処を住めなくして、したり顔で自分たちに着いてきても良いとか言うつもりだったんでしょ!」
「全部、土竜たちの策略だろう!」
「どけ、土竜たちに用があるんだ!」
彼らが、ヘビを押しのけようとすると、中から土竜が出てきた。その姿は、怯むことなく堂々としているが、体に巻かれた包帯が痛々しい。
「俺達が何だって?」
彼らの、威勢良く武器を振り上げていた手が、少し下がった。
「お前の息子が、コロニーに獣を入れたんだろう」
土竜から目を逸らした男が言った。
「ああ、そうらしいな。だが、見ろ。酷い目に遭ったのは俺達だ。こんな事をして何の得があるんだ?二人死んで、指を失った者も、骨を砕かれた奴もいる」
土竜は両腕を広げ、鼻で笑った。
「土竜の言う通りだ。確かに獣を引き入れたのは驢馬だが、俺が見た限り、驢馬は普通じゃ無かった。まともな思考ができるとは思えなかった」
ヘビが、言葉を添えた。
「どうせ、妙な薬や、酒に手を出したんだろう!」
人々は再び武器を振り上げ始めた。
「そういうレベルの話じゃない。それに、驢馬も獣も倒された。コロニーの損害も大きくはない。被害を受けたのも彼らだ。ひとまず、引いてくれないか。治療が終わったばかりだ」
『イルカが、鳩の遺体を回収しました』
ハジメが、ヘビに報告をした。
ヘビとクイナが、頭を抱えた。
「鳩もやられたのか?獣にか?」
人々に動揺が広がる。
鳩は、驢馬や土竜たちの下っ端ではあったが、彼らにとっては、愛想が良く、気の良い青年だった。
しかし、土竜たちを恐れて、一歩踏み込んだ交流はせず、遠巻きに見ていた。
『違います。鳩は、驢馬に殺されました。どうやら、驢馬は一度、鳩にやられたそうです。復讐に来たのかもしれません』
「さっぱり意味が分からない、どうなってるんだ⁉」
一人の男が、ヘビに掴みかかった。
「俺にも理解出来ていない。ただ、驢馬は、驢馬の体には、藁や枝が入っていた。なのに、動いていた」
「ひいい!」
そこかしこから、動揺の声が聞こえた。
ラブも、眉を顰めてアダムを見上げた。アダムは、相変わらず平然と微笑んでいる。
「で、出て行け!」
誰かが叫んだ。
すると、伝播するように皆が叫びだした。武器を振り上げ、口々に土竜たちを罵った。
「お前達も、おかしくなってるんじゃないのか!今すぐ出て行け!」
「そうだ、獣にやられて、妙な病気になったんだろう!」
「どうせ、出て行く予定だったんだろう、今すぐ、此処から出ていけ!」
土竜の表情がなくなった。
「待って、彼らは、今動かせる状態じゃ無いし、妙な感染症に罹っている保証も無いわ!」
「不安があるなら、隔離して治療しても良い。混乱の中で、大きな決断は得策じゃ無い」
クイナとヘビが、彼らを諫めようとするが、興奮状態の彼らの耳には届かない。
「悠長な事を言ってられるか!」
「そうだ、執行部なら、コロニーの事を一番に考えろ!こいつらは排除するべきだ!」
「コロニーの事を考えるなら、これ以上、人が減ることはマイナスだ。意見の相違で排除していたら繁栄なんてしない。平和的に別離し、交流を続けるなら完全なマイナスとはいえない。不安と不満に支配されるな」
「うるさい!」
言い返す言葉を、暴力に変えた男がハンマーでヘビに殴りかかった。
「だめ!」
ラブは、衝動に突き動かされて、男に向かって行った。
男の腕は、難なくヘビが止めた。ラブは、ヘビが押さえている男に、思いっきりぶつかった。
「……おい」
フラついた男のハンマーを取り上げて、ヘビがラブの体を支えた。
「ヘビに、何てことするの!許さないんだから!」
ラブは男に吠えた。
「何もされていない」
「ヘビは黙ってて!ヘビやクイナたちが、皆の為に色々頑張ってるの知ってるくせに!」
「ラブ、どうどう」
やって来たアダムが、ラブを後ろから抱き込んで引いた。
「とにかく、私達は土竜たちには出て行って欲しいし、近寄りたくもないわ!」
「そうだ!」
彼らの冷たい視線が土竜に集まった。
「……わかった」
土竜は、落ち着いた声で言った。
そして、床に膝をついた。
息を呑んだ人々は、武器を下ろして一歩引いた。
「ただ、大怪我をした奴らは、まだ此処で治療をさせて欲しい。この通りだ」
土竜の額が床についた。
いつも偉そうにしている土竜の土下座に、人々が狼狽え、中から様子を窺っていた仲間達は、目頭を押さえた。
「俺達は、明日の日の出と共に、此処をでる。それで許してくれないか」
緩慢な動きで頭を上げた土竜。彼の視線に、皆が支配されていた。
「そういう事なら」
「ただ、ソイツらは、そこから一歩も出すなよ!」
「土竜、本当にそれでいいのか?」
ヘビは、彼に手を貸して立たせた。
「ああ、アイツらをよろしく頼む」
ヘビは、無言で頷いた。
「ねぇ、ラブ。何か勝手に決まってない?」
アダムがラブに問いかけた。
「え?」
「僕らも、明日出て行く感じの流れじゃない?」
「え、あっ……確かに。え、嘘」
落ち着きなく頭を動かすラブを、ヘビがじっと見つめていた。
「話がしたい」
夜になり、ヘビがラブの部屋を訪れた。
二人は滝までやって来た。
お互いに滝を眺めながら、無言だった。ラブは、何か話を切りださいと、そう思うけれど、上手く言葉が出てこない。
「あの、えっと、色々分からないんだけど。驢馬は、どうなってたの?鳩は?」
「驢馬は、恐らく鳩に致命的な傷を負わされた。そして、何らかの方法で再び動き出した」
「ん?どういうこと」
「俺にも理解出来ていない。驢馬の遺体を回収したいが、ほぼ不可能だ。俺達の知識や理論は、旧人類のそれだ。もしかしたら、外は想像も付かない進化を遂げているのかもしれない。死した人間の体を宿主として寄生する何かとか……」
「えぇ……」
それは怖い。ラブは、アクリル板を埋め込んだ手すりをギュッと握りしめた。
「なぁ、外で暮らすこと、考え直さないか?」
ヘビの指先が、躊躇いながら、ラブの手の上に触れた。
ほんの少し、触れただけなのに、心に火をくべられたように痛い。でも、温かくて、嬉しい。
「怖い、怖いけど。先に暮らしてる人達も居るし、大丈夫なのかなって」
「先に暮らしてる人?どういうことだ?」
ヘビの指が、ラブの手をギュッと掴んだ。
「え?言わなかったっけ?別のコロニーから移住してきた人が居るんだって。私が見たのは一人だったけど、他にも居そうな感じだったよ」
「……アダムは、此処に現れた時に、自分のコロニーは全滅したと。今まで、外に人が暮らしてるなんて一言も聞いていない。アダムが、お前を大切にしていることは理解出来るが、余りにも発言に信用がなさ過ぎる。俺は……お前が、心配だ」
ヘビが、ラブの腕を引いて正面から向き合った。ヘビの目は、捕らえたようにラブを離さない。
「アダムは、確かにいい加減で、嘘も言うけど……」
「アダムだけじゃない。土竜の今後の挙動も心配だ。土竜は、統率力や求心力はあるが、計画性がない。それに、自分がボスでないと気が済まない。お前達の住処が気がついたら土竜の思い通りにされるかもしれない」
「……」
「どうか、考え直せ。お前だけでも残るべきだ」
「でも、だって!しょうがないもん。ラブだってお腹空くし。あっ、それじゃあ、ヘビも一緒に行こうよ」
「俺は、此処を離れられない」
「どうして?」
「俺が、此処を出れば、俺が担っていた事を、誰かがやらなければいけなくなる。四人も死んだ。さらに土竜たちも此処を去れば、今まで以上に負担が増える。本当は騒いでいた者たちにも分かっているはずだ。彼らが居なくなるという事が。人はある程度多くないと立ちゆかない」
「それって、ヘビは此処を見捨てられないって事?」
「……」
「私も、アダムを見捨てられない。アダムは、私の為に尽くしてくれている。私と生きようとしてくれている」
ヘビの事が好きだけど。
ヘビは、自分を愛さない。
その他大勢の人達に、勝てない。
ヘビにとっては、コロニーの統率者としての仕事が一番だから。
優しくて責任感が強いから、自分と一つにはなってくれない。
ラブは、俯いて気持ちを飲み込んだ。
覚悟を決めるべきだと思った。
長く居ると、もっと好きになってしまう。
これで、最後。ここで、お別れ。
「ばいばい、ヘビ。お世話になりました」
うまく笑えているだろうか。顔を上げて見上げたヘビは、眉間に皺を寄せて、険しい顔をしている。
「……」
ヘビが、何かを言いかけて、口を閉ざした。
「ヘビに何も返せなくて、ごめんね。あっ、そうだ。明日は私たちの楽園まで来て。実を持って帰れば、怪我した人も、きっと良くなるよ」
「お前には、もう、色んなものを貰った。俺は、中身のない菓子も、下手くそな花冠も、看病も……俺の為に怒る姿も、嬉しかった」
やめて欲しい。
泣いてしまう。気持ちが揺らいでしまう。
ラブは、顔を見られたくなくて、背を向けた。
「明日は、送っていく。例え、離れて暮らしても、何か有れば知らせて欲しい。俺は、お前が困っているのが、嫌だ。何か力になりたい」
「ヘビ、皆に優しいと、優しくされても特別に感じ無いし嬉しくないよ。大丈夫。離れてまで心配しないで。私は、アダムに助けて貰う。ヘビは、ヘビの周りの人を大切にして」
嬉しくないわけない。
でも、これ以上、ヘビの負担になりたくなかった。彼の優しさは、彼を苦しめる気がしていた。
もっと、勝手で我が儘な人だったら良かったのに。
ラブは、駆け出した。
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