見出し画像

【実質無料記事!】名古屋+周辺の楽しみ方(歴史/文化を満喫):玄人好みの石組の庭園、名古屋城二の丸庭園 (愛知)


こちらの投稿は、「大人散策辞典 ”wiki stroll” ~tomoaki blog~」の "Original の記事" を基本同じ内容で、記載している記事になります。Original の記事では、より多くの写真も含め記載しておりますので、併せてご参照頂けますと幸いです。




はじめに:名古屋城二の丸庭園の基本情報】

数年前の夏休み(遅めの夏休みだったので、9月)、静岡(掛川・浜松)彦根長浜名古屋(犬山岐阜も)を回る旅を企画し、それぞれお邪魔させて頂きました(旅全体の日程は、別記事をご参照ください)今回は、その中で参らせて頂きました、名古屋市にある名古屋城の二の丸庭園を紹介させて頂きます

有名な、名古屋城の二の丸庭園ですが、Wikipedia の力を借り、基本情報を抑えさせて頂きますと、以下の様にあります。

”(略)黒御門から入ると正面から西にかけて表御殿、その奥に西から中奥御殿と奥御殿、黒御門東側が御内証(大奥)御殿、その奥に広大な二之丸庭園があったこの二之丸庭園は藩主専用の庭で、城郭内部にある庭園の規模としては前代未聞であった。初期は中国風庭園だったが後に純和風回遊式庭園となった。(略)”

https://ja.wikipedia.org/wiki/名古屋城
名古屋城・二の丸庭園の様子①
名古屋城・二の丸庭園の様子②

また、名古屋城のホームページも参考にさせて頂くと、以下の様にあります。

歴代藩主が公私にわたって過ごした二之丸御殿の北側に造られた庭園です。面積は約3万㎡に及び、藩主が居住した御殿の庭園としては日本一の規模を誇ります滝を表現した石組みの上に石橋を渡すなど、全国でも6例しかないとされる「玉澗流(ぎょっかんりゅう)」の特徴をよく備え、名園として高く評価されてきました。(略) 
明治期、名古屋城が陸軍省の所管になると、二之丸御殿とともに庭園も一部取払われてしまいましたが、幸いにも尾張藩の庭園文化を伝える北御庭は残され、その南側に新たに前庭が整備されました。豪壮な石組みや急峻な地形を表現した北御庭と前庭は、昭和28年(1953)に愛知県下で初の名勝に指定。その後の発掘調査などにより、江戸時代後期の大規模な大名庭園として非常に価値ある遺構が地下に残されていることがわかり、2018年(平成30)に庭園のほぼ全域が名勝として追加指定されました。”

https://www.nagoyajo.city.nagoya.jp/guide/teien/

つまり、「かつては非常に大きく、勇壮な庭園で、価値の高い庭園として認識されていた」が、「明治期陸軍の管轄になって以降、その遺構は消え去り、北側のお庭だけが残った」と言う事の様です

名古屋出身の知人によると、「そこは石ばっかりで、良く解らない…」とのコメントをもらっており、少々不安な心持で、お邪魔した事を記憶しております。

名古屋城・二の丸庭園③
名古屋城・二の丸庭園④

【名古屋城の二の丸庭園を大人散策】

有名な、名古屋城の二の丸庭園。実際に訪れて思った事は、、、



以下、有料での記載とさせて頂きますが、大人散策辞典 ”wiki stroll” ~tomoaki blog~」の Original 記事では、無料で開放しています。有料エリアのご購入、フォローによるクリエーターサポート等の応援は、喜んで受けさせて頂きますが、「大人散策辞典 ”wiki stroll” ~tomoaki blog~」の Original 記事と併せてご参照頂ければと思っております。

こちらのリンクより
Original 記事の参照が可能です!



ここから先は

1,380字 / 5画像

¥ 300

記事を読んで頂き、ありがとうございます 皆様にお役立ちできる記事の作成、努力して参ります!