【実質無料記事!】水辺の散策を楽しむ:新河岸川/赤間川の大人散策・前編 歴史/地形/アニメ/神社仏閣等、様々な視点で楽しむ(埼玉・川越中心)
こちらの投稿は、「大人散策辞典 ”wiki stroll” ~tomoaki blog~」の "Original の記事" を基本同じ内容で、記載している記事になります。Original の記事では、より多くの写真も含め記載しておりますので、併せてご参照頂けますと幸いです。
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【はじめに:新河岸川とは】
こちらの記事では、新河岸川/赤間川を中心にその歴史やスポット、地形観点の発見等、大人散策と併せて知っておきたい情報を紹介致します。
そもそも、皆様は新河岸川をご存じでしょうか?
川越氷川神社の北側を流れる川で、春先の桜の季節には、桜並木の川辺に船が出ているので、その中を船下り出来るスポットとして認識されている方が多いのでないかと存じます。また、東武東上線の新河岸駅から連想して、江戸時代、舟運が盛んにおこなわれていた歴史を連想される方も多いかもしれません。その他にもいくつか、それぞれが連想されるかもしれませんが、個人的ですが以下に新河岸川の連想ゲームをさせて頂きますと、(繰り返しの内容も含みますが)以下の様になります。
上記の場所は、アニメ「月がきれい」の舞台にもなった
隅田川の上流にあたる川が新河岸川で、入間川・多摩川・利根川・荒川等の水が混ざって隅田川となる
舟運で有名だった
赤間川(新河岸川の上流部分)⇒新河岸川の流れに沿って散策するとこの地域の文化や歴史を感じられる
個人的な連想ですが、新河岸川と聞くと、この様な内容を思い浮かべてしまいます。
こんな新河岸川ですが、以下に上記連想ゲームで上げさせて頂きました、それぞれの内容・様々な視点で、新河岸川/赤間川の大人散策情報を以下に記載いたします。
但し、書き始めてみると、思った以上に長文になってしまい、多くの写真も使用してしまった為、以下の内容で、2部構成とさせて頂きます。
▪️ 前編 (このページ:以下よりご参照ください)
桜並木の新河岸川で舟遊び
アニメの舞台になった田谷堰
入間川・多摩川・荒川・利根川の水が混ざって、新河岸川⇒隅田川
舟運で有名だった新河岸川
歴史と文化を感じる赤間川⇒新河岸川の大人散策
【桜並木の新河岸川で舟遊び】
本ブロブの別記事でも紹介させて頂きましたが、川越氷川神社の北側を流れる新河岸川の桜の季節は格別です!
写真の通り、美しい景色で、川越の新名所と言った感じです。しかしこの舟遊びが出来るエリアは、元々新河岸川は流れておらず、大正から昭和にかけて掘削された区間の一部になる様です。Wikipediaによりますと、以下の様にあります。
確かに川越氷川神社以降、「仙波の河岸跡」のある仙波河岸史跡公園あたりまでの新河岸川の流れは、直線的で確かに人の手による流れだと認識できます(後編の写真参照)。人の手によって美しい桜並木が出来た事、良い事ではないかと思った次第です。
【アニメ「月がきれい」の舞台になった田谷堰】
記載しておいてなんですが、私自身このアニメ(月がきれい)、一度しか見たことはありません…。そんな私ですが、川越氷川神社の北を流れる新河岸川の、特に田谷堰~氷川橋のシーンは印象に残っております。と言うのも、新河岸川の流れの中で最も魅力的なエリアの1つがこの場所だと思っているからです。川越観光の視点からすると、川越氷川神社の裏手にあたるこの場所は、観光エリアの正にはしっこ。しかし、この場所は、上記にも記載した通り、桜並木が非常に美しい場所で、且つ歴史的な視点でも重要な場所だと信じています。
この美しい情景を見事に再現して下った事は、川越市民として非常にうれしく思います。また、歴史的に貴重な構造物になりつつある田谷堰の描写も美しく、昨今この辺りを大人散策していると、聖地巡礼と言う事でしょうか、(私達夫婦より)若い方が写真を撮っている光景に出くわします。
かつてこの田谷堰から川の流れ(当時は赤間川)は、北側に進路を取っていたようで、現在のここより下流の新河岸川は、上記にも記載した通り、大正から昭和の時代に掘削された区間と認識しています。正に歴史の分岐点の象徴でもある田谷堰を、美しく描いてくれた作者の方には、感謝したいと素直に思います。
【入間川・多摩川・荒川・利根川の水が混ざって、新河岸川⇒隅田川】
上記に、「赤間川」と言う名前を出させて頂きましたが、現在では新河岸川の上流部が赤間川となります。この赤間川は、元々入間市内の笹井堰にて、入間川より取水している用水路です。この流れが、川越市上野田町付近で新河岸川と名を改め、流れていき、上記記載した川越氷川神社の北側を抜け、不老川・砂堀川や柳瀬川等と合流し、東京に入って北区にある岩淵水門から荒川の分流を受け、隅田川と名称を変えたのち、東京湾に注いで行きます。
ここで柳瀬川をWikipediaで調べてみますと、以下の様にあります。
言い換えますと、柳瀬川の水は所沢・西武球場近くの狭山湖から来ていると言う事です。
ここで更に、狭山湖に関しても、Wikipediaで調べてきますと、以下の様にあります。
そうです。狭山湖の水は、多摩川から取水していると言う事で、この水が柳瀬川に流れていると言う事は、新河岸川にも多摩川の水が流れていると言う事になります。
しかし、この「多摩川の水が、新河岸川に流れ込んでいる」と言う事象は、狭山湖が出来てからの話ではありません。皆様ご認識の通り、玉川上水から分水を受ける野火止用水(それぞれ別記事で大人散策情報を記載中)が、江戸時代には武蔵野台地に流れていた事実があるのです。
そして更に申し上げると、利根川の水も、新河岸川に、流れ込んでいます。これは、埼玉県行田市の「利根大堰」にて、利根川の水が取水され、「武蔵水路」にて、川の立体交差:「伏せ越し」で8つの川を越え(くぐり抜け)、鴻巣の糠田橋付近で、荒川に上がれ混んでいる為です(この武蔵水路が完成したのは、昭和の40年代初めの様です)。荒川は、下流の岩淵水門(東京都北区)にて分水し、新河岸川と合流し、隅田川となって東京湾に流れていきますので、この時点で、入間川・多摩川・荒川・利根川の水が混ざった状態になっています。
人の力によって、違う水系の水が混ざる事象を思うと、人々が水と戦ってきた歴史に思いを馳せてしまうのは、私だけではないと思います。
【舟運で有名だった新河岸川】
新河岸川と言うと、東武東上線の駅の1つ「新河岸」を連想される方も多いのでないかと思います。少しここから連想して、「川越五河岸」と言う言葉をお聞きになった事のある方も多いのではないかと存じます。舟運も含め、川越五河岸をWikipediaで調べてみますと、以下の様にあります。
玉川上水や野火止用水の掘削を指示した松平信綱の名前も出てきており、玉川上水・野火止用水にて水を得る事だけでなく、水を利用する事もまた実行したこの信綱と言う方、改めてすごい方だと思いました。墓所が野火止用水の流れる新座市の平林寺にございますので、機会がある際は彼の功績を思いつつ、手を合わせてみてはいかがでしょうか?
【最後に:でも後編に続きます】
以上が、「歴史・地形・アニメ・神社仏閣等、様々な視点で楽しむ新河岸川/赤間川の大人散策情報・前編」、になります。尚、後編:歴史と文化を感じる赤間川⇒新河岸川の大人散策、に関しては、別ページで記載してますので、こちらより引き続きご参照頂ければ幸いです。
皆様のお住いの地域にも同様に、人が水の確保(玉川上水、野火止用水等)・水害対策と戦ってきた歴史(三日月湖はその痕跡)やその周辺の地形、文化、違った切り口の歴史を感じさせてくれるスポットが必ずあると思いますので、是非ご近所の大人散策から初めて見てはいかがでしょうか?
以下、上記紹介しました「各スポットを一覧で把握でき、実際に現地訪問した際でも自身の位置をスマホで確認しつつ大人散策できる地図(Google My Map で作成:以下のイメージ)」については、有料での記載とさせて頂きますが、「大人散策辞典 ”wiki stroll” ~tomoaki blog~」の Original 記事では、無料で開放しています。有料エリアのご購入、フォローによるクリエーターサポート等の応援は、喜んで受けさせて頂きますが、「大人散策辞典 ”wiki stroll” ~tomoaki blog~」の Original 記事と併せてご参照頂ければと思っております。
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