あしたのために。
わたしたちの むかし、いま、あした。
こんにちは。東京都育成会権利擁護支援センターです。
「note」の投稿を始めて、1年になろうとしています。いつもご覧いただき、ありがとうございます✨
この「note」を始める時に、毎回タイトルの上に画像が載る(載せなくてもいいのですが)ので、「東京都育成会権利擁護支援センター」以外で、何か目を引くワード(ことば)はないかな~と、考えていました。
「わたしたちの むかし、いま、あした。」
この言葉は、その時の投稿記事として、「忘れることのできない日」を思っていた時に浮かんだ言葉でした。
あれから8年・・・
2016年7月26日。
8年前の7月、神奈川県立の障害者支援施設「津久井やまゆり園」において、知的障害のある方々が襲われ、19人の命が奪われ、また多数の人が負傷する事件が発生しました。
「障害者は生きる価値がない」という犯行の動機、主張に、そして元職員による犯行であった、という事実に絶望し、ずっとスッキリしないまま、
今もこの主張に反論しながら、日々仕事をしているのかもしれません。
障害があってもなくても、言葉があってもなくても、皆に今日があり、昨日があり、そしてきっと明日がある。
命を奪われた19人にも、きっと明日があったはずでした。
ちょっと待った!と思えるか
ここ最近は、お金のシリーズとして、
法人の預り金等支援の話をメインにお届けしていました。次回、またお金のシリーズに戻ります。
ですが、「お金」に囚われすぎてしまうと、本人の暮らしが「お金」という物差しでしか測れない・・・時がある。
◎ 財産がたくさんあるから、これくらいの出費はいいだろう。
◎ お金がないんだから、外出の機会を減らすべき。
◎ たくさん稼いでいるから、偉い!とか。
そんな支援者側の意識は、「無意識という名の意識」なのかもしれません。
本人が取り残されていることに、気が付かないままのことがあります。
確かに「お金」がないと、暮らしてはいけないけれど、「お金」がないと「生きる意味、価値」もないみたいな。少し大げさな言い方かもしれませんが、そんな物差し、どこからやってくるのでしょう。
そんな時に「ちょっと待った!」と思えるか。支援者同士で言い合えるか。
その時の問題や課題ばかりに目が行ってしまう時があるけれど、本人の暮らしに目を向けた時、大切なのは「今」だけではないはずです。
きっとある明日のために、「その人らしい暮らし」のために、本人の今も昔も知っていくこと。
その時々の本人が何を思っているかを考えることを、忘れないようにしたいと思います。
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