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「man,G亜・Ⅱ」

良き日の終わりにある、振り返り。
余暇でストレスを発散・解消し、能動的な自己啓発。
明日への不安を払拭し、身体を休める。

PCやスマホといったツールに依存し、心に振り回されて、一呼吸。

……。

SNSは、人の性欲(リビドー)に似ている。

欲望のまま貪り、自分のあるがまま欲するものに忠実だ。

そのためならどんな苦境も研鑽も厭わない。

なぜ、そんなSNSをやるのか?

そうじゃない者が、″在る″からだ。

ここで言う″在る″とは性格性の向きだ。

欲するのは在る状態を求めているから。

求めるのは、必要だから、好きだから。

快楽に順守する欲求と好喜。

だから、リビドーに、SNSはよく似ている。

ではSNSは性差による変化があるものなのか?

答えはノーだ。皆自分の都合良く書いている。

他者を慮ることなく、ただ自らの首をすげ替えるのと一緒だ。

そこには一分から九割の脚色に満ちている。

人類は既に悪魔と踊っているのだ。

「確かすべての人類が悪魔の手に落ちたのだったか。悪魔とは、人間を形容しもする言葉だというに。そのカラクリにもっと早く気づくべきだ。」

自らが仲間や家族だと思っていたものたちが実は人の皮を被った悪魔のようだと言われて、実際に何もできずに嵌められていく様を、楽しめるのだろうか?

マンガには夢があるべきだ。

それすらも、希望を燃料に燃やしている。

それを読むすべての人の欲を浄化するように。

あぁ、人はかつて何を見て、何を願ったのか。

素晴らしい願いなら、どうしてこんな結末を求め得るのか?

皆一様に他者を指差しこういうのだ。

″ねぇ、アレは何?″

「君が望んだことさ。」

                man,G亜・Ⅱ


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