見出し画像

「man,G亜・Ⅴ」

真実とは何か?
Wikipediaの情報は半ば公的なものであり、かなりの確率で精度の高い汎的な事実を指す。
 
葵吾裸は声高に語りたがる。

「つまりは日本のWikipediaのページのURLについて文章内に置くのもアートな訳だ。アートはまま、物議も醸す。いや、本当に。俺は何も、この作品で金は取っていない。これは俺の作品でもあるが、blogだからね。問題になるようなら謝り、修正すれば良い。尤も、物議を醸すほどのものではないが。冒険するのもアートだが、ここはクールにURLは貼らないことにしよう。」

芥黒助は補足を促す。

「論点というものは日常の会話ではズレが生じるものだ。でなければ会話に遊びの余地は生まれず、退屈なソリティアをする羽目になる。情報を精査し判断するというのは極めて難易度が高い。そして母数が多数であるほど平均を取るにも修正と指針が必要だ。″自身の真実を語れば、他方からは反感を買う恐れもある。″これは真実の定義のうちの一つだ。」

二人は意気投合していた。

「「創意工夫、想像性、イマジネーション……! これらはAIに代替されづらい人類の最終防衛拠点。フロンティアにしてユートピア。ニルヴァーナの定義のひとつでもあると言えるかもしれない。」」
 
「「即ち楽園創造!」」
 
″涅槃寂静から鐘の音が聞こえ、もう一度栄えある未来へと続く。我らは除夜の鐘だけでなく他の鐘や、携帯できる鈴の音に、現代ではスマホのアラームに音を感じ、気づきも得る。″のだよ。

個の主張が強ければ訝しみ受け入れない人がいるのも、その熱意に惹かれる場合も当然ある。それが真/誠(まこと)でもある。

まぁ、そんなこんなで世界には真実と虚構が混在している。何が正しさか。自分の考えはどうなのか。そういうものをこそ大切にするべきだと誰しもがどこかでは思うのだ。

道徳は哲学を育て、それらは心から成る。
我らは皆、心のどこかで共通の″真実(イデア)″を、探し求めているだけなのかもしれない。

この世のすべては、人の感性を震わす芸術足らしめるだけの魂のエネルギーを持つのだ。

お札にもなった画(え)を描いた葛飾北斎ならば笑顔でこう言うだろう。

『画狂、おおいに結構!』

彼が絵に込めた熱意は彼の半生が語るのだ。
或いは神々と自然と人、その在り方のすべてを、ずっと描いていたかったのかもしれない。

                man,G亜・Ⅴ


よろしければサポートお願いします。 僕の活動費に使わせていただきます😊!