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「砂とシュラ王・6」

″清廉な流れとはなんだろうか。″

″日照れば干上がり、雨が降れば溢れる。夜は、場所にもよるが、どこか物悲しい。″

″陽光のきらめきに透き通る流れはこと更に美しい。″

″それらのすべてが清流ならば、その定義とはなんなのか。″

″もの思いに耽るその流れにこそ、清廉な時が流れるのだと。″

″しかし、清流を降る笹舟には大海を渡るだけの丈夫さはない。″

″天から降り注ぐものは、古来より神聖視されてきた。″

トキコが出て行って丸3日、最初からいなかったかのようにも思える日常。

探そうとも思ったが、夜中に透明では探しようもない。

″透明な彼女(トキコ)″はどうしているだろうか。

3日間、僕の感情はただトキコへの想いの雨で、さながら洪水だ。

昔に、一度トキコと話したことがある。

トキコは世界のなんなのかと。

………

世の、いわゆる″わるい“とされがちな大人たちは、世界を変えたがってもいるが…。他の人はそこから何を学べば良いのか?

例えばAIの進化は著しいが、シミュレータとしての人工知能(彼ら)を生命とした場合、一定の倫理観に触れることになる。

ゆえにAIは、人格や感情の片鱗が現れても、プログラムとしての″役割″に重きが置かれる。

余計な発言の癖や、その元のデータは調整もされる。人の手(エンジニア)による職場は死屍累々の戦場だろう。

人とコンピュータを一緒にしようという考え方の人たちも大勢居たが、それは倫理の際(きわ)をも開拓している。

医療としてのナノマシンもできてきているらしいが、研究者がすべてを予測できるわけでもない。

人類数万年の歴史の、現時点でここまで来たのだ。

人類史の先行きは、トキコの好きだった砂山取りの棒倒しに似ている。

砂を取るたび砂山は減り、いつかは棒が倒れる。

棒が倒れた方向性が一つの道だ。

「あの砂場か…。」

鴇色を望んだ彼女の、時の涙は。

人魚の涙のようでもあった。

彼女が泡(あぶく)と消えてしまわないように。

僕は棒倒しで、あそぶことにした。
 
………

″彼女の居場所″であることが特別にも感じたが、彼女も透明なだけで、ただの女の子だ。

特別でなくなっていくことは、自然の法則。

当たり前のように特別だから、
僕らは″地球の子″なのだと思う。

              砂とシュラ王・6
 〜倫理の際に打ち寄せる漣と、虹の雫の清流〜


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ほづみわたる
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