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頭が良い、記憶力が良い人は、普通の人よりも苦労しているのではないか?

普段から感じていることなのですが、

平均的な人に比べて、頭が良いとか、
記憶力が良い人達って、人生で苦労を
している場合も多いのではないか。

苦労と言ってしまうと、感じ方は
人それぞれなので微妙ですが、

例えば、金銭的な不利益とか、
法律上の不利益を受けることが多い、
と置き換えたらわかりやすいかもです。

いや、逆か、、、

頭が悪い、頭の回転が遅い、認識力が
欠けているか著しく低い、記憶力も
非常に悪い、、

こういう人達は、結果的に、法律上の
優遇を得ることが多いのではないか。

私は、そういう風に思っています。

例えば、交通事故。

認識力が低い加害者は、自身の運転の
何が悪かったのかを理解していないため、

事故後の現場検証や取り調べで、その
供述内容は、少なくとも嘘のない「真実」
として扱われやすいです。


<刑事事件>

まず、過失傷害などの刑事事件としては、
検察の側に、絶対に有罪だと言い切れる
だけの証拠を集める義務があります。

これは憲法上、刑事訴訟法上の推定無罪
からくる要請です。

そうすると、軽微な事故だったりすると
警察・検察側は調べるのも面倒だし、
積極的な立証は行いません。

結果は、罰金刑(行政処分で言う、
赤切符レベル)にすらならずに不起訴
という結論は、多いと思われます。

あるいは、比較的に重大な事故でも、
加害者の認識が弱いと、捜査も難航
します。

仮に、客観的には加害者が悪いと
考えられたとして、加害者がある程度
それを認識してくれていれば、

取り調べにおいて検察官も、「嘘を
つくな!」と追及をすることも可能かと
思います。

しかし、加害者が、その認識力の低さ
ゆえに、事故の過失を全く認識して
いない場合、

検察官ですら、「加害者なりの真実を
述べているのだろう。」と思うこと
でしょう。

少なくとも、そういう人を相手に
厳しい追及をしたとしても、徒労に
終わります。

あとは物的な証拠がなければ、捜査は
難航するでしょう。


<民事事件>

次は、被害をお金で穴埋めしていく
民事事件からの切り口です。

加害者の認識に対して、被害者が、
どんなに「違う!」と言ったところで、

損害賠償請求は、基本的には、
被害者側が立証する必要があります。

それこそ、物的な証拠がなければ、
充分な賠償は得られません。

例えば、どんなに被害者が事故の
実態を訴えても、その立証に失敗
すれば、

過失割合を被害者側に有利に持って
くることが出来ず、

ほぼほぼ折半に近い形で決着を
させられたりします。

私が経験したところでは、

加害者側の車両にドラレコが搭載
されていたのですが、

事故直後に損保ジャパンがその
ドラレコを持ち去り、動画データを
消去しました。

ここまでなら、データは復元できると
思うじゃないですか?

しかし、(損保ジャパンの悪質さと、)
認識力が低い人の本領発揮はここから
なのです。

ドラレコのデータ消去後、損保ジャパンは
交通事故の過失割合の決着がついていない
段階でSDカードを加害者本人に返却し、

返却を受けた加害者(70歳代の女性)は、
ドラレコの操作に不慣れだったり、SD
カードへの上書きの意味も理解していない
ため、

(むしろ、損保ジャパンから、SDカードを
ドラレコに戻して運転して良いと言われた
ため、)

返却されたSDカードをドラレコに戻して
運転しまくりました。

こうなると、データは上書きされまくって
しまい、復元も不可能となります。

このような一連の流れが、

民事裁判では、

「被害者は、わざとデータ消去をしたわけ
ではない。どうしても被害者が、加害者に
対してわざとやったと言うなら、その
証拠を出しなさい。」

というふうになるわけです。

こうなると、事故の実態としては、
過失割合は100対0になるところ、

85対15などになってしまいます。

100対0でようやく損害の穴埋めが
できるところ、

15%も加害者側に持って行かれて
しまうと、被害者(私)としては
大損となります。

そもそも、加害者のおばあちゃんは、
事故で自身が悪かった、という認識すら
ほぼありませんでした。

こういう人が今でもハンドルを握って
いると思うと恐ろしさも感じます。

おばあちゃんからしても、逃げている
という認識は皆無でしょうが、結果は
おばあちゃんの逃げ得、逃げ勝ちです。

刑事事件としても、民事の賠償としても
おばあちゃんの大勝利です。


ここまで考察を深めると、

多様性を受け入れる寛容な社会を作って
いきたい、という自分がいるのは事実
ですが、

具体的にどうしたら良いかは、非常に
悩みます。

(交通事故被害者の私が、今後の社会は
どうあるべきか、なぜ悩み、なぜ苦しま
なければならないのか、

つまり、加害者も少しは考えろよ?
等の想いも含めてですが、、、)

とにかく悩みます。

認識力が低い人を徹底的に排除しても、
それが正しい社会のあるべき姿とは
到底思えません。

そもそも、認識力の高い低いを、
どこかで線引きすることなどは、
絶対的に不可能です。

交通事故の問題で言えば、

公共交通機関を発達させまくったり、
お年寄りはタクシーを使いまくっても
金銭的に大変にならないようにする

などの方法もあろうかと思います。

しかし、それらは人口が減少して
いったり、予算にも限界がある中で
実現は容易ではないのも明白な事実
だと思います。

だからこそ、万が一の際の民事事件
では、お金のみで決着をつけるのですが、

そのお金を出すのが損保ジャパン
だったりすると、最低限のお金での
解決すら困難になります。

というか、認識力が低かったり、
情報弱者だったりする人たちは、

例のビッグモーター問題の以前から、
損保ジャパンが業界ではヤベエ会社
であることが囁かれ続けている、

ということも認識していないため、
漫然と損保ジャパンと契約を続け、

被害者を更に苦しめることで、
社会に害悪を垂れ流し続けます。

社会の仕組みがどんどん複雑化して
いく中で、どこから改善をしていけば
良いのか、

もうホントによく分からんです。

結局、人生で苦しんで行くのは、
物事をきちんと詰めて考えようとして
いく人達ばかりではないなのか。

そういう気がしてならないのです。

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