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ヒロシマ・ナガサキから世界へ〜核兵器禁止条約の日本オブザーバ加盟を考える〜
さて、今年は原爆の投下並びに太平洋戦争終結から80年の節目を迎える。今覚えばこの80年で街は復興した。しかし、広島の産業奨励館跡は80年経っても取り壊されることなく今も、原爆ドームと名を変えてその地を象徴するよう今もある。この地は軍の要塞で栄えたこの街も今や平和の都となり核兵器の恐ろしさを語る上でこの街は多くの外国人観光客や日本の修学旅行生などが訪れる。この街は平和都市として世界へ発信していく使命ある地になった。
平和ほど、尊きものはない
「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない。 平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない。」これは、創価学会の池田大作名誉会長は小説新・人間革命の冒頭の一節である。また、その前小説人間革命には「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない。だが、その戦争はまだ、つづいていた」から始まる。残酷な戦争や世界平和の思いはこのまま受け継がれるべきことだ。それは宗教や思想を超えて共有するべきものと思う。この「尊きもの」
最近では「推しが尊い」という若者にありがちな言葉や文化がある。推しほど尊いのは平和である。
私も某男性アイドルグループが好きで、ある意味ではそれが心の支えとなっている。これも推せるのは日本が平和だからである。お隣韓国は朝鮮戦争の関係や徴兵制で世界的人気アイドルなども他の国民同様徴兵を実施している。推しが笑顔でテレビに出続けている姿は確かに日本だけかもしれない。
ヒロシマとナガサキから考える
2022年の広島平和式典での松井広島市長スピーチをここで紹介したい。
また、他者を威嚇し、その存在をも否定するという行動をしてまで自分中心の考えを貫くことが許されてよいのでしょうか。私たちは、今改めて、「戦争と平和」で知られるロシアの文豪トルストイが残した「他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない。他人の幸福の中にこそ、自分の幸福もあるのだ」という言葉をかみ締めるべきです。
この当時、ウクライナとロシアの戦争が始待った年。ロシアの文豪トルストイの言葉を引用してスピーチはその場にいた人達が深く胸に刻んだという。
「他人の不幸の上に自分の幸福を築くことはしない」
この言葉は私の人生の指針となっている言葉だ。
決して人の幸福を祈れる私になりたい。そして私もそこにこそ幸せが生まれている。その言葉を私は刻みたい。
長崎の平和祈念像に建立当時の長崎市長だった田川務氏は「平和祈念像建立のことば」にこう刻んでいる。
私ども生き残った市民は、被爆諸霊の冥福を祈り、かつ、この惨禍が再び地上にくり返されることを防ぐために、自ら起って、世界恒久平和の使徒となることを決意し、その象徴として、この丘に、平和祈念像の建立を発願した。
世界恒久平和の使徒となる。それは私も生き方としてそう決めている。今、この地に伝わる平和の思いをこれからも永遠に語り継がなければいけない。
核兵器はどう向き合い、どう無くして行く?
はっきり言って我が国が核兵器禁止条約に批准すること自体は批判を産むのは仕方ないと感じる。それは与野党がという程度の低いことではなく、核保有国に囲まれた我が国がアメリカという大国・核保有国に守ってもらっているといういわゆる「核の傘」に守られていることは否定できないからだ。
だが、我が国は核保有しておらず、被爆国である以上我が国は核兵器を無くしていくことこそが使命である。では、核を無くすための取り組みとしてこの条約のオブザーバー参加は急務だと思う。そしてその働きかけは必要だ。
まぁはっきり言えば我が国が核保有していたとしても打つ可能性はゼロに等しいと思う。
だけど、我が国が持つことは決して受け入れるものでは無い。
だからオブザーバー参加という道をこの国は歩むべきだと思う。そしてそこから核兵器の削減を我が国が先頭をきって進めていくべきだ。
※この文は私の想いだけで書いたので少々いろいろあると思いますが、暖かな目で読んでください。