父
昨日父がガンで他界しました。
先月兄から余命1ヶ月だと事前に聞いてはいましたが
実際私も病院の話を直接聞いてなかった為事実半信半疑の状態でした。
先週兄から電話があり
月内でかなり危なさそうなので今週日曜日に父の家に行ってほしいと言われて日曜日に会ってきました。
子供のころ以来ゆっくり話もでき私個人としても痩せて弱々しい父を見て涙が止まりませんでした。
私の父というと
若い頃筋肉隆々な人でして、スポーツ万能なイメージで我々が通学していた小学校の大きな鉄棒で
大車輪や鯉のぼり、バク宙などを平気やってのける
人でした。
めっちゃ怖く、それでいて日曜日の朝になると叩き起こしてきて突然旅行に行こうといってみたり
パチンコのモーニングに並んだけって言われたり
競輪場に小学生の私を連れて行き3000円渡されて一日あそんどけって言われその間本人は競輪をしてるなど、兎にも角にもパワー溢れまくる男でしたw
仕事は自身で様々なことをやっておりとにかくお金で困られすような事は一切なかった思い出があります。
そんな父が弱々しくなり今週でダメそうだと私、兄、そして父を長年サポートしていただいている方に話をされている時
なんと声をかければいいのか分からなかったのが実情でした。
お前が心配だ、
仕事だけは色々あってもやり抜け
数字は達成しろと日曜日最後になろうかというのに
弱々しい身体で
本当にすげえ人だなと、、
この状況で子供の心配をするって親って凄い
月曜日の朝
兄から朝6時に兄から電話が入り
親父が危篤だからがんセンターに来てくれと連絡が入りました。
私が朝10時に病院に着き病室に入った時に
危篤と聞いていたのですがなんと
モルヒネを打って意識を回復しておりました。
かなりしんどそうでしたが
酸素吸引機をつけながらなら意識を繋いでいました。
我々親戚一同で心配なので2時間ほどそばに居たところ父がガラガラの声で私に一言
「お前は人より劣ってるんやから仕事に戻れって」
その時の父の眼光が子供の頃
しょっちゅうボコボコにされていたときのあの父そのものでした。
自分が危篤からわすがばかり意識を取り戻した時に
同じセリフは確実に私には言えません。
兄からも促されて私は東京に戻り
通常通りお客様のお店に訪問してまいりました。
その後夕方18時過ぎ
丁度お得意先様で生ビールを乾杯するタイミングのときに
再度兄から電話がなり2分前に亡くなったと連絡いただきました。
私は通常通り変わらずに
お客様とお客様に来店される一般顧客様の為に全力で取り組みするという事を改めて決意しました。
翌日
葬式の段取りをしないといけないと兄に連絡したところ全て父が先に葬儀社に支払いを済ませているとの事と尚且つ49日法要の時に大好きな富山の海に散骨する段取りまでしておりました。
その時泊まる、
昔から親しい旅館にも事前にお金を渡してあるので
そこで親戚と親父の近しい方を呼んで宴会して思い出話しを話してほしいという
遺言まで用意されておりました。
自分の死ぬ日がわかってたのかな?
というぐらいの段取りでした。
人は死ぬときにこそ本質がわかると
なんか昔へんな自己啓発的な
本で読んだ記憶があります
僕にはまだ父のようなかっこいい死に際は正直出来そうにもありませんが
父の遺言
仕事と数字、お前は劣ってるんやからって言葉を胸に慢心せずに全力でやりきると誓いました。
当然今日も明日もお客様を回りまくります。
しょっちゅう忘れっぽくてダメダメですが
気合いだけは負けないよう頑張ります。
お取引会社様、仕入れ先様
皆様過分なご配慮本当にありがとうございます。