発信をするということは、自分にも相手にもメリットがありまくりということ
SNSのような発信活動の目的は、Xであれば自分の考えや思考、知識量を
文章によって教えることだと私は思っています。
(当然、目的は人それぞれで変わってくると思いますが)
例えば、
・私はこう思っているんです
・これについてはこんなことを感じているんです
・私はこれくらい詳しいです
・これが得意ですが、これは苦手です
・信念はこれです
のような。
それに共感や憧れ、興味を持ってくれた人と一緒に仕事をしたり、
話をしたりする場でもあります。
また発信をすると、相手に自分の思考や考え、得意分野を分かってくれるので、実際に会うとスムーズに話が進む感じもします。
名刺みたいだなと。
私も台本として、その人の発信内容やその意図を考察してみると、
・この言葉いいな〜
・この表現方法響くな〜
・この考えは思いつかなかったな〜
・ちょっと機械的だな〜
・この人の言葉ではないかもしれないな〜
とか感じちゃうわけです。
そこで、もしこの人の考えや思考をもっと聞いてみたいなと思ったら、どんなに遠くても会いに行くようにもしています。
でもそこで発信内容との
一貫性がない
大きなズレ
実は誇大な発信だった
ということがあると、少し残念だな〜とか思うわけです。
それは逆の立場でも言えることなので、なるべく心から感じていることを書くように気をつけます。
でも不思議と本当に心から書くと響くし、利己的で魂が入っていないことを書いてしまうとそれがテキストでも気づかれてしまうんです。
それぐらい直感と感情というのは、敏感に反応するんだなと。
つまり何が言いたいかというと、自分が感じていることを少し緊張感のある公衆の場でアウトプットしてみると、
「実はオレってこんな考えをしていたんだな〜」
とか
「この考えもありだな〜」
とか
「そういえば、この方法もありだな」
とか意外と整理されるので「あり」だなと気づかされた発信内容でした。
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