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【お題小説】10.アイの輪切り

「何故人は誰かを『愛する』のでしょうか。『愛』とはどこからやってくるのでしょうか。……今の私には、納得のいく答えを皆さんに提示することができません。ただ、『愛』を感じている状態、特に初期の恋愛状態の特徴については、お話することができます」
 女性にしてはやや低めの声が、マイクを通して小さな講堂内に響いている。十五人ほどの参加者を前に、大学時代の先輩、五十鈴藍先輩が白衣姿で壇上に立って語っていた。
「初期の熱愛状態において、脳内はアドレナリンやドーパミンといった化学物質が溢れかえっている状態になります。この化学物質が、快楽中枢を刺激することとなるのです。
では、たとえば。熱愛状態の際に分泌されるこれらの化学物質を投与すれば、『愛』を人為的に体感できるのではないでしょうか。仮に……あくまで仮に、対象者とふたりきりの環境で、対象者の脳内にこれらの化学物質が分泌されたら……対象者はあなたに対して、どんな感情を抱くのでしょうか」
「愛」というテーマにそぐわないほど淡々とした、感情の読めない声だ。眼鏡のレンズがライトを反射して光って、どんな顔をしているのかここからではよく見えない。
「さて。こちらの画像をご覧ください」
 五十鈴先輩が少し脇にずれて、背後のスクリーンを示す。慌てて俺は、渡されていた画像データを映した。
 黒い背景に、なんというかたくさんの白い消しゴムカスが散らばったような、突起みたいなものが多数見られる。何かの拡大画像だろう、ということしかわからない。なんの画像なのか、そもそもなんの説明会なのか、まったく聞かされずに手伝いを要請された。
「これは、私が長年継続して摂取している物質の断面図を拡大したものです。これの摂取によって、高揚感、多幸感を得られることを確認しました。もちろん、効果には個人差があると思われます。ただ、アレルギーなどの問題がなければ、身体に安全なのは私の身体で実証済みです。
こちらを粉末状にしたものを、講堂前のブースで十分だけ販売いたします。もしよろしければご検討ください。
では次に、『愛』について別の角度から……」


 講義の最中に抜け出し、先輩が運転してきたバンから荷物を運びだす。
折り畳み式の長テーブル、濃い紫色の布、お釣り用の小銭と千円札が入ったクッキーの空き箱、そして封のされた段ボール。段ボールの中はガラスの小瓶が詰められていて、気をつけて運んでもガシャガシャと騒がしい音を立てた。
 何往復かして荷物を講堂前のスペースまで運び、汗を拭う間もなくセッティングする。
 折り畳み式の長テーブルを設置し、紫の布をテーブルクロス代わりにかける。
 そこに、段ボールから取り出したガラス瓶を並べていく。中には100グラムほどだろうか、白い粉が入っていた。
 中身については何も聞いていない。俺が聞かされたのは、価格が二千五百円で、決して値引きするなということだけだ。
 瓶をちょうど並べ終わったところで、講堂の扉が開いた。先輩の講義が終了したようだ。


 参加者はほぼ女性だった。つかつかと三十代半ばほどの女性が俺のところまで近寄って、テーブル越しに「こちらの粉が、先ほど先生が仰ってたものなのかしら?」と切羽詰まった様子で訊ねてきた。
「申し訳ありません、五十鈴からこちらを販売するように言われているだけで、中身について伺っておりません」
「五十鈴先生の商品なのよね? つまり、あれなんでしょ。惚れ薬なんでしょう?」
「いえ、ですから、わたくしは何も伺っておりませんので……」
「でも五十鈴先生の指示で売ってるんでしょう?」
「はい、五十鈴からこちらを販売す……」
「おいくら!?」
「ひ、ひとつ二千五百円と聞いております……」
「ひとつお願いします!」
「私も!」
 これから武道の試合にでも臨むのかというほど気迫に満ちた顔で財布を握り詰め寄ってくる一グループと、彼女らを取り巻きながら
「二千五百円……ちょっと高い……」
「どれくらいの効果がわからないし……」
「でも限定販売……」
と、やり手宝石商さながらの目つきで値踏みをしてくるグループに囲まれて、今度は冷や汗が流れ出す。
 しかし焦った様子は見せてはいけない。客に不安を与えるとか、そういった販売業の心得の問題ではない。
 単純に、あたふたしていて商機を失ったら五十鈴先輩に怒られそうだ、というだけだ。

 白い粉の入った瓶は、結局参加者全員が購入していったようで、ひとつも手元に余らなかった。
 余ったら、何が入っているのか匂いくらい嗅いでみようと思っていたのに。
「やあ、小杉くん。ご苦労だったね」
 台本を読んでいるような言い回しだが、淡々としているせいで芝居がかった様子には聞こえない。妙に五十嵐先輩の雰囲気に合っていて、不自然さはなかった。
「約束通り、夕飯は奢ろう。何がいいかな。牛丼かい、ハンバーガー単品かい」
 せめてポテトとドリンクを……500円のセットで構わないので。
 そう懇願するのもなんだか疲れて、通路の背凭れのない簡易なソファに腰を下ろす。
「その前に、俺はいったい、何を手伝わされたんですか」
「映写と販売だよ」
「それはわかっています!」
「そうか、それなら良かったよ」
 この先輩と話すと、どうにも調子が崩される。
 いやでもここで負けるわけにはいかない。
「……『愛』についての講義でしたよね」
「そうだね」
「白い粉を買っていった人に、『惚れ薬』なのかと訊かれたんですが」
「『白い粉』とは、語弊を招く言い方をするね。確かに白くて粉状のものに間違いはないのだが」
「で、本当に惚れ薬なんですか」
 先輩は、楽しげな笑みを浮かべて長い前髪をかきあげた。
「どうしてそう思うんだい」
「だって先輩言ってたじゃないですか。これを飲むと高揚感と多幸感を得られるって……!」
「多少は講義の内容を聞いていたようだね、感心感心」
 目の前に立って、ぽんぽん、と子どもにでもするように頭を撫でてくる。それだけで体温が上昇する自分が情けない。
「ただ、私が言ったことを正確にはなぞっていないね。私は、この粉を飲むと高揚感と多幸感を得られるとは言っていない。高揚感と多幸感を得られるものを粉末状にしたものがこれである、と説明したはずだよ」
 先輩の言ってる意味がわからない。
「同じことでは?」
「例えば、牛丼と、牛丼を丸ごとミキサーにぶっこんでぐちゃぐちゃのどろどろにしたもの、同じものだと思って食せるかい」
 夕飯にハンバーガー単品はあまりに寂しいから、牛丼をチョイスしようと思っていたところでそんな例え話をするのはやめてほしい。わかりやすい、わかりにくい以前に食欲がなくなる。
「でもこれ飲むと、脳内麻薬がどっぱどっぱ出るんですよね」
「君は、言葉のチョイスに少し問題があるようだね。君との会話を誰かに聞かれていたら、私は危険人物として通報されてしまいそうだ」
「でも脳内麻薬が出る白い粉って、絶対やばいやつですよね」
「まったく。君は私が逮捕されればいいと思っているのかい?」
 先輩は呆れた様子で肩を竦めた。そして俺の耳元に顔を寄せる。
「愛と脳内物質の話は、この白い粉に一切、何も関係のない」
 吐息がかかって、危うくウヒャッと声をあげるところだった。口を閉じるのを頑張っていたせいで、先輩の発言の意味を理解するのにだいぶ時間を使った。
「は?」
 理解しても、よくわからない。
「あれはただの導入だ。挨拶文にも似たものか。愛について、私が常日頃考えていたことを気楽に、時候の挨拶代わりに話しただけのことだ。……もう少し嚙み砕いて言うと『私は愛について、こんなことを考えています。それとはまったく関係のない話ですが、愛ついでに、私はとある物質を摂取すると高揚感と多幸感が得られます。そのとある物質を粉末にしてみました。もしよろしければお買い求めください』といったところか」
 きっと、俺が「わけがわからない」という顔をしてたんだろう。詳しく解説してくれる。しかし、まだどういうことなのか、ピンとこない。
 先輩は、俺の隣に腰を下ろした。袖を引っ張って、俺の頭を無理やり引き寄せる。
「私は、米が大好きだ。卵かけご飯をおかずに白飯が食える。炒飯は言わずもがな。ご飯の後の締めは茶漬けでもいい。炊くだけじゃない、日本酒も大好物だ」
「はあ」
 突然の熱弁に、頭がついていかない。とりあえず相槌だけ返す。
「そして先ほど君が映写機で映してくれた画像、あれは米の断面図を拡大したものだ」
「はあ。……はあ!?」
 怪しい白い粉ではなかったが、話がきな臭くなってきた。
「いいかい。繰り返しになるが、最初の愛についての脳内物質のくだりは、私がただ普段考えていることを述べただけだ。そして、私は米を愛していて、その米を気分で粉末状にしてみて、ついでに売ってみた。ただそれだけのことさ」
 米を粉末状にしたものを2500円で売るって……完全に詐欺じゃないか!
 いつのまにか詐欺の片棒を担がされていたという事実に直面して、俺は口をパクパクとさせた。気分はうっかりジャンプして水槽を飛び出てしまった哀れな金魚だ。
「ちょ、せ、あ、犯罪……」
「あれは丁寧に粉状にするという手間がかかっている。しかもコシヒカリだ。多少高くなっても已むを得まい。そして私は、あれが惚れ薬のような効能を持つ薬だとは一言も言っていない。ただ私が米好きだということを告白しただけだ」
 これはダメだ。いくら五十鈴先輩とはいえダメだ。薬物ではなかったがアウト。すぐさま警察に通報しよう。
「私に、二つ下の妹がいたことを覚えているかい。何度かサークルにも遊びに来ていたんだが。あの子が、心臓の病気を患ってしまってね。大金が必要なんだ」
 口だけでは到底信用されないと思ったのか、先輩がスマホで撮った写真を見せてきた。医師の診断書だ。
 写真だしこれくらい偽造なんて簡単だろうけど、先輩はこういう嘘を吐く人ではない、と確信した。
 やっぱり通報はダメだ。不幸になる人間を増やしてはいけない。
 俺は一言も思いを口にしていないはずなのに、先輩は「君ならそうしてくれると思ったよ」と微笑んだ。どれだけ表情に出てるんだ、俺。
「いやでもやっぱり、もうこういうのやめてくださいよ」
「確かに、思った以上に話題になっているようだね。食品を売るものだから、事前に保健所に確認を取ったりと色々準備したのだけれど……そろそろ潮時か」
「え、話題になってるってそれ大丈夫ですか。なんかどっかで既に炎上してるんじゃ……」
 しかも先輩の場合、本名で講義を行っている。炎上して詐欺だと通報された場合、マジでやばいんじゃ……。
 気になって、とりあえずツイッターで思いついた単語で検索をかけてみる。
 「五十鈴藍」「五十鈴」「白い粉」「愛」「惚れ薬」……思いつくものを組み合わせつつ検索していくと、どうやあれは界隈では「イスズ粉」と呼ばれているようだということが判明した。

「イスズの例の粉マジやばい。本当に両想いになれた」
「イスズ粉のおかげで彼の方から告白してくれた」
「イスズ粉飲ましたらデートできた」

 成功例、成功例、成功例。
 「イスズ粉」を崇め奉り、それを手にできた強運の者を羨み、どうすれば入手できるのかと血眼になる。
 まだ極一部の界隈ではあるが、そんな呟きが飛び交っていた。

「……本当に、ヤバい粉じゃないんですよね!?」
 予想外の検索結果に不安になり、先輩に確認する。
「純度100%のコシヒカリなだけなんだがな……そうか、そういうことか」
 ふむ、とひとり納得したように先輩が頷いた。
「なんです?」
「私の愛の力は、絶大だってことさ」
 そう言って、先輩は似合わないウインクをかました。
 慣れていないせいで、閉じた方に引きずられて片目も半目になっていた。
 それでも高揚感と多幸感が襲ってきてしまった自分が情けない。
「ぶった切りますよ」
 赤面せずに、どうにかそれだけの憎まれ口を叩くことに成功した。
「ぶった切るのは米だけで充分さ。藍の輪切りなんて、面白くもなんともない。それよりほら、ご飯に行こう。卵くらいはつけてもいい」
 いつの間にか牛丼ということで決定していたらしい。
 真っ直ぐ歩いていく先輩の後ろを、慌てて追いかけた。


お題はお題配布サイト「腹を空かせた夢喰い」様からお借りしています。

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