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小さなズレ

つい最近の出来事。
子供4歳に
『お水飲む?』
と聞いた。
『飲む!』
と返事をもらったあとにお茶を作っていたことを思い出し
『お茶もあった!どっちにする?』
と聞いたら
『んー…お水がいい!』
と答えた。

ちゃんと考えて答えを出していることに感心した。
夫も会話を聞いていたので
『ね?すごいね。ちゃんと答え出せるんだね。あなたならパニック起こしてキレるね…』
と言ってみたら
『水って言ってるのにお茶とか言うからだろ?』
と。
これが夫にとって正論なのだと思うとうんざりする。
お茶が飲みたいなーと思っていたときに同じ会話になったら
『じゃあお茶にする』
と言うだろう。

一部こだわりがあること以外基本的に何でもいい夫は一番最初に言われたものでいい。
あとから選択肢が増えると、そもそも何でもいいと思っているのに選ばなければならなくなってしまったことに対してパニックを起こす。
それを、選択肢を増やすやつが悪いと考えているんだろう。

私には私の時間が流れていて、その流れの中でお水を飲むか?と聞いている。
その流れの中でお茶もあったことを思い出す。
わざわざ給水タイムを設けているわけではない。
いつだって飲み物が全部見えるように並べられているわけではない。
聞いた側は1つ目の答えが全てだと思っていない。
選択肢が増えれば答えは変わるかもしれないと思っている。
選ぶことが苦手なのを当たり前だと思わないでほしい。
選ぶことでより良い結果を得たこともあるはずなのに。

という話は散々してきた。
いつも通り何も伝わっていない。

『私のどっちにする?は優しさとか親切心だよ』
とだけ伝えた。
これもどうせ忘れるんだろう。


子供には選ぶ楽しさを感じてもらいたい。
大事なことは慎重に選ぶということもそのうち覚えてほしい。
もし間違ったり失敗したりしても次に活かせばいい。
やり直せるならやり直せばいい。

今日のおやつはどれにする?洋服はどれにする?
今のところそんなに時間をかけることなく選ぶことができている。
夫も子供のうちはできていたのかな。
それとも先天的に?何か原因があるのだろうか。
選ぶことから逃げたばかりに損をすることもあると思う。
向き合わなければならないこともあるだろうに。
この考えでは変われない。
本人は変わることを望んでいないんだろうけど。

こういう小さなズレが、夫の中の変わらない正論が、私達をすれ違いさせ続けていたんだなぁと再認識した出来事でした。


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