誰かにとってのお守り-読書録「思いがけず利他」-
中島岳志「思いがけず利他」(ミシマ社)
僕たちは、いつも順風満帆にいくことばかりではない。
予期せぬ出来事から突然、弱い立場に陥ることもある。
ロールズの無知のベールのたとえもあるように、自らの属性が全く分からない場合、弱者を切り捨てるのではなく、手を差し伸べる思いやりを僕たちは持っているはずだ。
「他力本願」とは、すべてを仏に委ねて、ゴロゴロしていればいいということではありません。大切なのは、自分の限りを尽くすこと。自力で頑張れるだけ頑張ってみると、私たちは必ず自己の能力の限界にぶつかります。そうして、自己の絶対的な無力に出会います。
重要なのはその瞬間です。有限なる人間には、どうすることもできない次元が存在する。そのことを深く認識したとき、「他力」が働くのです。
そして、その瞬間、私たちは大切なものと邂逅し、「あっ!」と驚きます。これが偶然の瞬間です。
重要なのは、私たちが偶然を呼び込む器になることです。偶然そのものをコントロールすることはできません。しかし、偶然が宿る器になることは可能です。
そして、この器にやってくるものが「利他」です。
器に盛られた不定形の「利他」は、いずれ誰かの手に取られます。その受け手の潜在的な力が引き出されたとき、「利他」は姿を現し、起動し始めます。(中略)
だから、利他的であろうとして、特別なことを行う必要はありません。毎日を精一杯生きることです。私に与えられた時間を丁寧に生き、自分が自分の場所で為すべきことを為す。能力の過信を諫め、自己を越えた力に謙虚になる。その静かな繰り返しが、自分という器を形成し、利他の種を呼び込むことになるのです。(p176~177)
以前、「大切な絵本」で紹介した「ぐるんぱのようちえん」も利他の物語として読むこともできる。
ぐるんぱは自分の経験や作ってきたものを偶然出会った子どもたちに施す。
先日、新潟県三条市の商店街にある絵の多い本の専門店を訪ねた。
店主は誰かにとってお守りになれそうな本をセレクトして販売している。
店主自身も絵本に救われた経験をもち、そのような絵本を他者にとって「お守り」のような存在にしてほしいと話す。
人と本をつなぐ居場所になりたいという店主の願いが体現された店内はとても居心地のよい空間だった。
まさしく利他性とはこのようなことではないのかと実感したとともに、自分の住む場所の近くにこのような優しい世界が存在することに感動し、世の中もまだまだ捨てたものではないなと思えた。
素敵な本を求めてまた今度、再訪しよう。
今日も皆様にとってよい一日でありますように。