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何かを続けるためには変わらないといけない時もある

B'zの楽曲みたいなタイトルだ。

全く本題とは関係ないがB'zの楽曲が歌いやすいのは、稲葉さんが作詞する時に韻や語感を大切にして言葉を選んでいるからだと思う。
カラオケで歌いながら常々感じていた。

さて、昨日のマルハラについて書き上げた後、思うことがあった。

以前に書いた記事「神様からひと言」👇

この記事ではサービスの提供者側から望ましい顧客とは何かについて論じ、最近書いた「○○ハラスメント社会において、できればムカつかずに生きたい」においては、消費者側の視点でマニュアル化する企業のハラスメント対策への違和感について論じた。

もうこの時点で僕の言わんとすることを察して頂いた方は、鋭い。

そう、半年前と現在とでは論旨の異なる記事を投稿をしている。この半年間でなんやかんやあって有難いことに濃密な時間を過ごすことができた。(決して色々なものをディスっているわけではない)

身体の組成が代謝によって変わるように、物事の考え方や感じ方も変わっていく。僕自身、矛盾した主張をしたりジレンマに陥ったり、食べ物の好みが変わるように好きな人・モノも変わっていく。

人間は移ろいゆく。

変化することは成長ではなく退化だと感じるようになったは、肉体的な衰えを意識し始めたから。だからといって変わっていくことを嘆いても、こればかりは皆平等に年を取っていくのだから仕方ない。

変化の流れに身を任せること。
内面的な変化以外に外的要因によるものもある。
タイトルのように何か同じことを継続するためにはマンネリ感を回避したり、外的変化に対応するために、たとえマイナーチェンジだとしても変えていく必要がある。

常に一貫したスタンスや主義主張だけが望ましいわけでもない。柔軟性を欠いてしまい多様な視点を受け入れられない結果、悲劇的な歴史は繰り返されてきた。


その一方で普遍性は美しい。

不完全な存在だから、決して移ろうことのない数学やアートや音楽に僕は魅了されるのだろう。
バッハの音楽が300年以上たっても色褪せることなく美しく感じられるのは、旋律に普遍性があるから。ちなみにバッハの曲を情報ネットワークに変換し、数学的に解析した研究者もいるようだ。👇


少し脱線した。

バッハのような天才には到底及ばないけれども、僕はこれからも他人がやらないことにトライしてみたいし、「ファーストペンギン」のような取り組みする人たちを応援したい。

死ぬこと以外、かすり傷でしかないから沢山、未知の世界へ飛び込んだらいい。

泥だらけで傷だらけの姿をあざ笑うホワイトカラーなんて気にしなくていい。

夢中になっている瞬間を自分自身が楽しめれば、それで十分だ。

今日も皆様にとって、良い一日になりますように。

普遍的でない僕は、精一杯に今を叫び続ける。

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竹内康司
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