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続 ○(まる)ハラについて

以前書いた下記の記事に反響があり僕以外にもマルハラに違和感を感じる方がいらっしゃることを知ることができてよかった。

しかし先日、ある人とお話した時に別の可能性について考えるきっかけを得たので今日はそれについて考察しよう。

その人は中高校生の学習支援ボランティア活動に従事していて僕も長岡市のある活動で知り合いになり、お手伝いさせて頂くこともあった。もともと教育関係の仕事をされており学習支援のみならず、学生の進路相談にも関心を寄せられていた。その彼女※1に「マルハラ」問題について、日本語として美しくないから是正すべきだという話をした際、

彼女曰く

たしかに気持ちはわかりますが、私は高校生と連絡を取り合う時、文末に句点をつけると最後通牒的な印象を与えて怖いかもしれないから句点は使わないですね。それにメールじゃなくてLINEなどのチャット形式のやりとりだから句点がなくても支障はないですし。相手(高校生)に合わせたツールで、相手に合わせたコミュニケーションをとることで良好な関係性を構築できるのではないかなと思います。

なるほど。
メールを使うのは古いってことですね(笑)

たしかに仕事でもスタートアップ企業などではメールではなくビジネスチャットツールを使うこともある。だから吹き出し💭で会話を進めるから句点を使わなくても事足りるということか。

相手に合わせた方法でコミュニケーションをとる。
文章を作成しても、そもそも相手に届かなければコミュニケーションは成立しない。

いくら論理構造がしっかりした文章を作成したところで読み手のことを意識しなければ独りよがりな自己満足で終わってしまう。TPOではないが、その時その時の状況やメッセージを伝えるべき相手に合わせて文章を作成することの望ましさについて考えさせられた。

ちなみにこの文章で句点を使用したのはnoteを読む人は読書家が多いから句点がないと気持ち悪さを覚えるだろうなと想像しているから。


これを書いていてふと思い出した。

僕自身、以前親しくさせて頂いたある人(※2)から何の理由もなく距離を置かれてしまいSNSもブロックされて連絡すら取れない。

もう三か月ちかく連絡していなかった。

残念だったのは、先日(2024/4/20)その人の店でアニバーサリーパーティーがあったのだが、上記の記事の通り僕は出禁のため参加できないので、宅配便でお祝いの花をプレゼントした。

しかし一か月を過ぎても何も音沙汰がないので、相当僕は嫌われたんだなぁと思った。
もしかしたら贈った花やプレゼントも処分されたのかもしれない。

世間には色々な境遇の人がいるから、しゃーないなぁと思ったけど悲しかったな…。


これから北海道での新生活では言葉の遣い方ついて、伝える相手のことを考えながら適切な人間関係を形成できるよう適切な方法で伝えていきたい。

美しい日本語でも相手に届かなければ、意味がない。

今日も皆様にとって良い1日になりますように。

言葉の使い方、伝え方にもミエナイチカラが宿るかもしれない。

※1 僕のガールフレンドではない。
※2 同上


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竹内康司
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