どこかのだれかにあったかもしれない恋の話

他人の恋の話はこんなに素敵に聞こえるのに、自分が抱いた恋心はたいてい醜いものだ。誰も幸せにならない恋を、私はいつも燃え尽きるまで胸の中で大事に秘匿している。

本当の意味で異性を好きになったことがなかった。彼氏が欲しいとは人並みに思うけれど、手をつないだりその先に進むことは想像するだけで正直吐き気がする。詳しく考えてみたら、多分私の彼氏が欲しい、は人生100年時代ともいわれている今を人並みに孤独を感じずに生きて、死体が見るに堪えないことになる前にちゃんと焼き払われたい、そのためにパートナーが必要ならとりあえず欲しがるところからスタートせねば、という人並みに生きたいというわがままの具現化であった。これは正直なんというか多方面に失礼だしあまりにも怠惰な考えであることは明白なので、最近はその彼氏が欲しいという言葉もあまり口にしなくなってきてしまった。

私がこれまで目で追ってきたのは、同性の友人や先輩たち。ほとんどだれも見ていないはずのこんなところにさえこの文章を書くのにはかなりの勇気が必要だった。学生時代に異性のかっこいい同期や先輩に恋をするというのはある意味定番で、どこで話しても別にどうとも思われないのに、どうしてこれが同性の、とつくだけでこんなにも醜くてあさはかな感情に見えてしまうのか。

笑ったときの声が好き、眉毛を下げて笑う顔が好き、物事に打ち込むときの姿勢やそのときの後ろ姿。好きになった理由はたぶん他の人とそう変わらないはずなのに、これからも願わくば仲のいい友人として、かわいい後輩としてそばにいたい、笑っている顔を近くで見れたらいいと思うことは別に悪いことじゃないはずなのに、私にはたぶん自分の恋を酔いに任せて話せる日は来ない。

一度大学に入ってからできた友人に、酔った勢いでこれまでの恋について話してみようかと思ったことがある。怖気づいて冗談めかして、「私が何したら引く?」と聞いたら、「人殺してたら引くかな」と答えてくれたその人に、結局私は打ち明けることができなかった。

毎日思っている。なんで好きになってしまったんだろう。好きになってしまってごめんなさい。あなたはわたしのことをたぶん良い友人だと、良い後輩だと思ってくれているはずなのに、裏切っているような気持ちになる。彼氏ができたと聞くたびにしあわせになってほしいと願うと同時に、夜寝る前に引き裂かれるような気持になる。

なにかの小説で、「この恋はあなたが点火していったのだから、あなたが消していってください。」という文があったけれども、わたしの恋は一生誰にも見せるわけにはいかない。だからこの文章も、どこかのだれかにあったかもしれない、なかったかもしれない話だ。逃げ場を作っておかないと語れもしない、作り話だということにしておいてほしい。

このまま一生一人なのかな。私はどこにかえるんだろう。

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