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【PODCAST書き起こし】和田尚久さんに会社で一番落語に詳しい三浦さんが立川談志と談志のラジオについて聞いてみた。その1

【PODCAST書き起こし】和田尚久さんに会社で一番落語に詳しい三浦さんが立川談志と談志のラジオについて聞いてみた。その1

【山下】皆さん、こんにちは。「集まれ! 伝統芸能部!!」開幕のお時間です。この番組は、普段は総合映像プロダクションに勤める伝統芸能好きが大集合!! 伝統芸能をたくさんの人に好きになってもらうために、PRする番組です!!! ポッドキャスターリレー形式の番組で、ポッドキャスターを務めるのは。

【三浦】はい、私三浦と申します。もともとCMのプロデューサーをやっておりまして、現在は全く異業種のスーパーマーケット勤務をしております。三浦です、よろしくお願いいたします。

【山下】はい、僕は三浦さんにいろんな落語を教えてもらいました。それで私がMCを務める山下です。今日はゲストで、僕と三浦さんの共通の知人でもあり友人でもある和田尚久さんに来ていただきました。よろしくお願いします。

【和田】よろしくお願いいたします。

【三浦】よろしくお願いします。和田さんのご紹介をちょっとさせてください。和田さんは、もともと落語会等で私は知り合うことができたんですけれども、落語だけではなく能など、伝統芸能全般に大変造詣が深い方でいらっしゃいます。和田さんは放送作家からスタートされたんですよね?

【和田】そうです。

【三浦】それで落語の解説をやったり、本を書かれるようになったということで。

【和田】そうですね。放送で立川談志師匠の番組をさせていただいたりとか、あと落語自体を流すような番組に関係していたりとか、そういうのが。まあ放送作家自体は割と雑多になんでもやるんですけれども、そういう方面が割と多くて。さかのぼって言うとそれ以前から例えば落研に入っていたりとか、落語好きな人間だったもので。

【三浦】なるほど、

【山下】落研に、入られてたんですね。

【三浦】そしたら和田さんの出自を含めて、ちょっと簡単に自己紹介を仕事のことも含めてしていただいてもよろしいでしょうか?

【和田】はい。私は1971年、東京台東区生まれです。中学、高校が目白にある獨協学園っていうところに行ったんですけど、そこの落語研究会に入ってまして。

【三浦】高校に落語研究会があるんですね。

【和田】あったんです。やるほうですね、落語をやっちゃうっていう。大学では落研に僕は入ってなかったんですけど、聞くほうがむしろ好きで。高校のときに落語が大好きになってずっと通っていたんですね。それがちょうど昭和が終わるぐらいのころだったんですけど、88年か89年ぐらいのことだったんですけれども、高校のときに日比谷の第一生命ホールで立川流一門会っていうのをやってたんですよ。

【三浦】はい、日比谷第一生命ホール? もう今はないんですよね?

【和田】ないです。

【三浦】ないですね。

【和田】だからあそこの今の第一生命の建物って分かります? 今、微妙に建て直して。

【三浦】もともとGHQの……。

【山下】接収してたところね。

【三浦】本部だったところですよね?

【和田】そうです。あそこの上に第一生命ホールっていう劇場があって、あそこは戦前からある劇場だったんですよね。戦前は違う名前なんですけども、建物自体が。まあ焼け残ったっていうか、あそこはGHQが使おうと思ってたからわざと空襲しなかった。

【三浦】なるほど、落とさなかったっていうことですね。

【山下】本当ですか(笑)?

【和田】いや、本当ですよ。

【山下】考えてるんですね。

【三浦】なるほど。爆弾を正確に落とせてたんですね、当時。

【山下】すごい。

【和田】そう。それで皇居の目の前だしね。

【山下】そうですよね。

【三浦】皇居見えますもんね、あそこから。

【和田】あそこはマッカーサーが*(00:03:58)の部屋を使ってたんですけど。

【三浦】居城になったということですね。

【和田】そうです。そこで当時、立川流の一門会っていうのがたまに開かれていまして、それをふと聞きに行ったんですね、何かで発見して「そういう会があるらしいぞ」とか言って。まあ談志師匠が当然出るんだけど、今と違って、当時そんなに落語ってやっぱり人気なかったので。

【三浦】そうですよね。昭和の名人が皆さんバタバタと亡くなられてから、落語が結構下火になった時代があったんですよね。

【山下】落語の低迷期があったんですね。

【和田】いやいや、低迷してましたよ。

【山下】昭和の終わりぐらいなんですか?

【和田】終わりぐらいです。

【三浦】漫才全盛期みたいな感じですよね?

【和田】漫才……。うーん、まあ。

【山下】漫才、ひょうきん族とかね。

【和田】そうですね。だから漫才やコントなんかのほうが人気があって。とにかく談志師匠が出る会なんだけど、切符はものすごく楽に買えたんです。たぶん当日に行っても入れたと思う、おそらく。

【三浦】考えられないですよね。

【山下】羨ましい(笑)。

【三浦】今からっていうか、もう談志師匠が亡くなられているので今では無理なんですけど、一番買えないときは本当に買えなかったですからね。

【和田】いや、本当に買えなかったときがある。今でも志の輔さんとか談春さんってすごい勢いだけど。

【和田】そのときに談志師匠が自分の立川流っていうのを創立して、直のお弟子さんもいるんですが、なんとなく集まってきた人をBコースっていうんだけど、いろんな人を出しちゃうわけですよ、一門としてね。そのときに僕が見に行って、高田文夫さんが立川藤志楼っていう名前で『道具屋』っていう落語をやったんです。それから景山民夫さんが立川八王子っていう名前で……。

【山下】景山民夫さん、懐かしいです。

【和田】『時そば』の落語をやったんです。これ、お2人とも出たんですね、まあその他いろんな人が出るんだけれども。談志師匠はもう本当にカルチャーショックって言えるぐらいの影響っていうかショックを受けたんですけれども、高田さんと景山さんの落語も、ものすごく面白かったんですよ。やっぱり他の、いわゆる寄席で普通に聞く落語とも違うし、すごく現代性もあるし、これ面白いなと思って、それで僕は高校生のときに放送作家ってこれは面白いなと思って。

【三浦】そうか、高田文夫さんも放送作家だったんですよね、そのとき。

【山下】そうですよね、2人ともですよね。景山さんもそうですもんね、もともと。

【三浦】あっ、そうでした?

【和田】そうです。それでそういうプロフィールとか見て、こういうセンスある人達なんだって言って。なんかその職業が視野に入ってそういうほうに進んだ、簡単に言うと。

【三浦】そうだったんですね、なるほど。

【和田】その後、活字で落語の評論を書いたりだとか、そういうインタビューとか対話みたいなことをしたりだとか、そういう比重が割とそののち多くなったみたいな感じです、キャリアとしては。

【三浦】その第一生命ホールでご覧になったときっていうのは、立川流ができて何年目ぐらいのことになるんですかね?

【和田】83年に創立なので……。

【三浦】5年、6年目とか?

【和田】5年ぐらいですね。

【山下】5年目なんだ。

【和田】今考えると当時僕が高校生なので、15歳ぐらいなので、ものすごく例えば談志さんとか一門ってすごい大御所感っていうか、すごい人々だなあと思ったんですけれども。

【三浦】年齢差がありますもんね。

【和田】年齢差があると思ってたんですけれども、今考えると談志師匠って50歳ちょいなんですよね。

【三浦】そうなんですよ、年齢って子どものときはすごい開きがあるんですけど、成長していくと縮まるんですよね、当り前ですけど。これ結構不思議なことで。

【和田】縮まります、うん。だからすごく結構驚くのが、まず立川流っていうのが樹立したのが40代後半なんですよ。

【三浦】それすごいですね。

【和田】若いんですよ、結構。それで40代後半で、談志さんは16歳から落語界に入っているから46歳ぐらいのときに30周年記念の会っていうのをやってるんですよ、落語家生活ね。落語家生活30周年記念の会。それは、僕は見てないんですけれども、そのときに国立演芸場で30周年記念の会っていうので『芝浜』をやって、客席にいて2人感動した青年がいて入門しました。一人がが立川志の輔、そして、もう1人が立川談春。

【三浦】おー! すごいですね。

【和田】そう。この2人が30周年記念の会の客席にまだ客でいたわけです。で、志の輔さんが83年の入門なんですよ。談春さんが84年っていうぐらいの年齢なんですね。で、僕が見たのはその数年後っていうことですよね。だから談志師匠が51とかかなあ? それで一門としても今の時間の流れ方からすると5年って結構短いなと思うんですけれども、流儀っていうものを立派にやってるって感じがしたし、なんかグレードもあったし、非常に面白かったですね。

【三浦】基準がやっぱり高いっていうことですよね。落語会をやる上でも・・・立川流の。

【和田】そうですね。だからそこで言う基準っていうのが、例えば柳家小さんがうまい、まあ当時もういなかったけど6代目三遊亭圓生がうまいっていうのは一つの基準としてありますよね。で、談志師匠は当然それもあるんだけれども、例えば圓生がいいんですって文楽の芸がいいですよと言ったところで、誰にも通じない。通人しか分からない。そんなところで、それを主張するのは意味が薄いだろうって思っているわけですよ、談志師匠は。

【三浦】そうですよね。もういらっしゃらない落語家さんのことを言ってもっていうのは確かにありますよね。

【和田】そう。圓生が素晴らしい、文楽は素晴らしい。いる人でも例えば小さんが素晴らしいとか、あるいは米朝が素晴らしいって言ってもいいんだけれども、それが世の中とコミットしてないところで、例えば1000人の人がこれはいいですよねって言ったところで、世の中の誰も気づかないだろうっていうその問題意識があったわけです。で、落語が世の中と乖離しちゃっているっていうのがあったから、一つは芸がうまい下手っていう基準を持ってるんだけど、それと別に今の人達にアピールできてるかどうかが、強烈な基準だったんです、談志師匠の。

【三浦】同時代性っていうことですかね、落語の。

【山下】そうですね、現代にコミットしていくってことですね。

【和田】そうです、コミットしていく。だからその基準で考えると、ちょっと半ばあと付けな部分もあると思うんだけど、例えば高田さんが出る、景山さんが出る、あんまり出なかったけどビートたけしさんが門人にいるとかね、上岡龍太郎さんがいるとか。

【三浦】たけしさんも上岡龍太郎さんもそうですね、Bコースなんですよね?

【和田】そうです。だからそういう図式をわざと作ったし、あと自分もさっきの話で言うと当時は例えば80年代っていうのは漫才ブームが80年の最初にあったので、漫才だとかあるいはウッチャンナンチャンとか、ああいうコントをやる人達っていうのが出てきたわけですよね。で、若者達はそれをテレビで見て面白いと思う、そういう流れがある。そのお客に自分が落語をやったときに同じぐらい面白いと思わせる、あるいはそれ以上のインパクトを与える。それを談志師匠は目標にしてたし、確かに引けを取らないことをやってましたよ。だから実際に共演はしてないんだけど、する機会はほぼなかったと思いますけど、例えば、シティボーイズがやってるところに出て行って一席やってもそこの客を驚かせたりして、すげーなって思わせることをやっちゃうよっていう。やっちゃうよだし、やらなきゃまずいっていう(笑)。

【三浦】落語もそれができないといけないよっていうことですよね。観客は別に漫才を見て笑ってる人と別に共通でいいわけですよね。分ける必要はないわけで。本当はそこにうけていかなきゃいけないっていうことなわけですよね。

【和田】を強烈に思ってましたね。それで、今以上に当時の落語はもっと世の中から置いていかれちゃってる感じがしてたんですよ。今のほうがまだお客さんがちゃんと寄ってきてくれるって言ったらいいのかな? コントにはコントの良さがある、歌舞伎には歌舞伎の良さがある、落語には落語の良さがあるよねってお客さんがそういうふうになったんだけれども、当時は本当にもう世の中に関係ない、なんか古新聞みたいな感じだった(笑)。

【三浦】あー、なんか、ああいうのやってる人いるなあっていう。

【和田】なんかあるんだ、いや、いるらしいねみたいな感じだったので(笑)。

【三浦】もう化石のような人達。

【和田】そうです。だからその危機感がすごくあった。
だからさっきの話で言うと、談志師匠とか立川流が設けてた基準っていうのはそれだと思います。

【三浦】現代性か。

【和田】現代性、コミット度っていうか。

【三浦】それは大事なことですね。

【山下】そのころって、落語ファンの人はもう落語を見るだけで割と閉じられてた世界だったんですか?

【和田】閉じられてましたね。だから柳家喬太郎師匠がやる『すみれ荘』って言ったかなあ? 落研の人が主人公の落語があるんですよ。

【三浦】『すみれ荘』ありますね。

【和田】『すみれ荘201号』っていうやつだと思うんですけど、それがどういう話かって言うと、落研に入ってるんですよ、80年代ね。今じゃないですよ、80年代が舞台なんです。落研に入ってるある青年がいるんだけれども、彼女とかにカミングアウトできないっていう。

【山下】なるほど、秘すべきことと。

【三浦】落語研究会に入ってることを。

【山下】格好悪い、恥ずかしいみたいな。

【三浦】落研に入ってることを(笑)。

【和田】格好悪いし引かれるし、どうせ言っても話が通じないしっていうのでそれを隠すっていう話があるんですよ。

【三浦】それは結構リアリティがあったわけですね、つまり。

【和田】もちろんそうでしょう。

【山下】面白いなあ(笑)。

【和田】それは喬太郎師匠は自分が落研で喬太郎師匠の時代だけど、そのときはそういう感じだったって。

【山下】その経験があったから?

【和田】もう経験があって。

【山下】なるほど。

【三浦】それを新作として作ったっていうことですね。

【和田】のちにね。30年ぐらい前はこうだったよみたいな感じで。

【三浦】自分の実体験を。

【和田】そう。そしたら彼女がすごい落語通だっていうオチというような感じになるんですけどね。

【三浦】なるほど。

【山下】なるほど、面白いですね。

【和田】落語的にはそうなるんですけど。いや、だから非常に閉じられた感じだったし、特に以前からの僕なんかよりもっと上の世代の人はそうでしたね。だからその世界の中で圓生がいいとかなんとかっていうのはあるんだけど、もう世の中とコミットしないし、しなくていいっていう。

【三浦】もうだから通人および粋な人、粋人のための俺達が楽しけりゃいいやぐらいな。

【山下】コミュニティの中だけが楽しければいいみたいな。

【三浦】それだと、だんだんそういう人達は年を取っていきますから聞き手がいなくなっていきますよね。

【山下】80年代はそういう時代だったんですかね。

【和田】そうでした。もう完全にそうでしたよ。

【三浦】私も80年代は落語って聞いてなかった気がします。

【山下】三浦師匠が?

【三浦】あっ、でもたまに寄席は行ってました。(笑)

【和田】あー、そうですか。

【山下】おっしゃってましたよね、この前。

【三浦】演芸ホールとかによく土日とか昼間から行って。

【山下】あと、ラジオも聞かれてたとか。

【三浦】ラジオ聞いてたのはもっと子どものころなんですけど、演芸ホールにはよく行ってましたね。ビール飲みながらとか気楽な感じで。

【山下】和田さんも立川一門会を見るのとは別に寄席とかも行かれてたんですか?

【和田】寄席も行ってました。寄席も行ってたんですけれども、やっぱり強烈なインパクトを受けたのは立川流のほうでしたね。

【山下】分かります。

【和田】寄席はまたちょっと別の良さで。なんかダラダラやってる中で、例えば川柳川柳なんていう人が出てきて、全体の流れの中でちょっと15分間の面白いゾーンがあるみたいなところで、そういう楽しさがありましたね。

【山下】なるほどね。

【和田】寄席のほうで言うと、やっぱり志ん朝さんとか小さんさんが当時まだやってましたから。

【山下】現役でね。

【和田】現役でやってましたから、このお二方とかを見るとやっぱり当然面白かったですけどもね。

【三浦】志ん朝、小さん……。小さん師匠って当然寄席に出てたわけですよね?

【和田】出てましたよ、もちろん。でも志ん朝さんとか小さんさんって、言うほどやっぱりしょっちゅうは出てなかったです、正直。特に志ん朝さんは。

【山下】そうなんですか。

【和田】志ん朝さんはあんまり出てなかったですよ。お正月に出たりとか人のお披露目に出たりするのはあったけど。

【山下】特別なときだけ?

【和田】そんな印象がありますね。

【山下】10日間ずっとやるとかもなかったんですか?

【和田】出るときは10日間出るんですけど、通年出てるっていう感じではなかったですね。

【山下】なるほど。

【三浦】トリはトリですよね? 志ん朝さん。

【和田】トリを取ったりとか……。僕が覚えてるのは今の林家正蔵さんが当時こぶ平で、1988年に真打昇進をしたんですよ。

【山下】あっ、僕それ見に行きました。末廣亭。

【和田】あっ、行きました? 末廣亭行かれました?

【三浦】こぶ平って88年に真打昇進してるんですか?

【和田】そうです。

【三浦】結構古いですね。

【和田】古いです。

【山下】僕の初寄席それなんです。

【和田】あー、そうですか。

【山下】初めて寄席を見たのが本当に末廣亭でこぶ平さんが。

【三浦】こぶ平で昇進したんですよね?

【和田】そうです。入門が早いので実年齢からすると若かったと思います。いくつだったんだろうな? 当然20代ですけれども。

【三浦】でも10年以上やっぱり前座、二ツ目……。

【和田】あったと思いますよ。だからその始まりが早いんですよ。

【三浦】早いですよね。

【山下】家族が落語家だから。

【和田】そのときに当然こぶ平さんが真打だからトリに出るじゃないですか。その前にいろんな人が出るんだけど、僕は上野鈴本に行ったんですけど出たのが小さん、志ん朝、小朝。

【山下】うわっ!

【三浦】怖いですね、それ。

【山下】僕が行ったときは小朝さんが来てたかな。すごいなあ(笑)。

【三浦】逆にトリ取る真打としたら怖くないですかね。

【和田】いや、怖いですよ。めちゃくちゃかすんでましたよ。

【三浦】ですよね。

【山下】むっちゃ偉い人がいっぱい(笑)。

【和田】小さん、志ん朝、小朝って、これすごいですよ。

【三浦】いや、恐ろしいですよね。

【山下】重圧ですね。

【三浦】ちょっと俺出る幕ないなぐらいに思っちゃいますよね、トリは。

【和田】いやいや、でもこれは本当に客としては楽しかったですね。

【三浦】楽しいでしょうね。

【山下】すごいですね。

【和田】すごかった、やっぱり。僕は生で見てないですけど、やっぱり三平さんの忘れ形見っていうのがあって、みんなが付き合って「応援するよ」みたいな感じでやってましたね。

【三浦】ちょっと話が戻るんですけど、日比谷の第一生命ホールでの立川流の一門会って、開口一番とかは今いる志の輔さんとかそういう人が出てたりするものなんですか?

【和田】志らくさんが当時前座だったんです。

【三浦】あー、志らくか。

【山下】あー、志らく師匠が前座。

【和田】はい。開口一番でした。彼は84年か85年の入門だと思うんだけど。

【三浦】談春師匠よりはちょっとあとですよね。

【和田】ちょっとあと。っていうことは85年ぐらいですかね。85、6年かもしれません。それで『強情灸』っていう落語をやっていましたね、開口一番で。それで、すごく……。なんか今で言うとちょっとコンプライアンスで非常に問題のあるようなギャグを言うわけですよ。

【山下】閉じられてますからね、そこはね。放送じゃないですもんね。放送じゃないのはいいですよね。

【和田】そうです。それも当時のノリですね。危ないことを言うっていうのが。

【山下】あった、あった。たけしさんなんかもやってましたもんね。

【和田】そうです。いわゆる放送禁止ライブみたいな、その場だけで危ないことを言うっていうのが今以上に盛んだし、なんかすごく値打ちあるっていうふうに。

【山下】ライブでしかできませんもんね。

【三浦】それをやることがやっぱりいい。

【山下】今だと炎上しちゃいますよね。昔はそういうのはなかったから炎上もしないし。

【三浦】でも今も閉じられた会だったらいいんですよね。

【山下】全然それはまあ。ただ誰かがつぶやいたりすると、そこが。

【三浦】あー、そうか。今SNSがありますからね。

【山下】SNSをみんなやるからやっぱりね、コンプライアンス……。

【三浦】なんかよく最近、落語家さんが言ってますよね。「決してSNSではつぶやかないように」って。

【和田】あー、そうですね。

【山下】でもそうやって、やっぱり表現の自由が損なわれるのはちょっと寂しいですよね。

【三浦】うん。そうか、志らくさんが開口一番だったんですね。

【和田】そうですね。志らく、談春、関西の人なんだけど談坊さん、それから、のらくさんっていうのが4人で同時に二ツ目になったんですよ。それが88年か89年だったんですよ。ちょっとキャリアが違うと思うんだけど、二ツ目昇進は同時で4人まとめてだったんです。それで朝日ホール、マリオンの上にある。

【三浦】有楽町。

【和田】有楽町の。あそこで披露目をやったんですよ。

【三浦】あのでかいホールですよね?

【和田】でかいホールで。それを僕、落語聞き始めだから別にそんなものなんだと思って結構豪華なアレだなと思ってたんだけど、あとから考えるとすごい豪華ですよね。

【三浦】すごいですよね。

【和田】すごい豪華です。

【三浦】二ツ目ですもんね。

【和田】二ツ目昇進で披露っていうのはちょっと。

【山下】すごいですよね。

【和田】談春さんが『赤めだか』っていう本に書いてますけどね、その会の様子を。

【三浦】書いてあったですね、そういえば。

【和田】春風亭栄橋さんって人が、まあ彼らが世話になった先輩なんだけど、もう体が悪かったんだけどアポなしで朝日ホールに来て「今日ちょっと来たんだけど俺が出たら迷惑かな?」って言って「いやいや迷惑どころじゃありません、ぜひ!」って言って口上に並んでくれたっていうのが『赤めだか』に。で、僕それ客で見てて。

【三浦】あー、本当ですか!?

【山下】えーっ! すごいなあ。

【和田】その幕内は数十年後に知るから「あー、栄橋さん出るんだ」みたいな感じで。

【三浦】え? 何さんですか?

【和田】春風亭栄橋っていう。

【三浦】春風亭栄橋?

【和田】栄える橋って書く。

【三浦】はい、栄える橋。

【和田】面白い人なんだけど、パーキンソン病にかかっていて最後のほうは出たり出なかったりみたいな感じでもうお休みが多くなっちゃってたんですよ。そのときはまだ出られたんですけどね、その時点では。どういう流れかは分からないんだけど、談春さんとか志らくさんを面倒見るというか、ちょっと教えてあげたりとかすごく世話してたんです、栄橋さんが。

【三浦】当時? 談志師匠もそれは「じゃあ行って来い」みたいな感じですか?

【和田】談志師匠と仲が良いんですよ。まあ稽古をつけたりとかあったのかもしれないし、これもちょっと流れをよく覚えてないんだけど、栄橋さんとか関西さん、談坊さんとかがなぜか戸塚ヨットスクールに入塾して……。

【三浦】おお! 戸塚ヨットスクールの話も『赤めだか』に書いてましたよね?

【和田】あります。入塾して一緒に泳いだりとかして。

【三浦】そうそう、戸塚ヨットスクール。

【山下】なるほど。懐かしいですね、戸塚ヨットスクール。

【和田】栄橋さん、泳いだら体が良くなるみたいな。なんかそういう意図があったんじゃなかったかな? まあそんなことがあって、結構面白い人だったんですけどね。

【山下】面白いなあ、本当に(笑)。

【和田】で、朝日ホールで披露目があって。

【三浦】立川流以外でその披露目に並んだのは栄橋さんだけですよね?

【和田】栄橋さんだったと思いますね。

【三浦】あと皆、一応袂を分かってますもんね。

【和田】そうそう。

【山下】破綻していくところが面白い(笑)。それ受け入れちゃうのが落語の世界ってすごいな、やっぱり! もうなんでもありですね、本当(笑)。突然来て俺もやらせてくれって普通言わないもんね、今(笑)。

【和田】そうそう。俺もちょっと、出たら迷惑かな? って言って。

【三浦】とんでもない、どうぞどうぞと。ぜひぜひと。それも朝日ホールで、有楽町の。

【和田】朝日ホールで。

【山下】プロデューサーとかびっくりしちゃいますね、えー!? みたいな感じで。

【和田】でも、 あの『赤めだか』を読むとすごい感動的ですよ。フラっともう約束とかもしないで着物持って来て。迷惑なわけないじゃないですか。

【山下】もちろんですよね。

【和田】そうでしょ。

【山下】そりゃそうですよ。

【和田】でも栄橋さんはそういう言い方をするわけですよ。俺が来たらちょっと悪いかなみたいな。そこがなんかちょっと含羞があるっていうか。

【山下】そこを談春さんがそういうふうに捉えて、そういうに表現すると割と人情味のあるものになってくるっていうね。やっぱり談春さんのいいところですよね、本当に。

【和田】そうです、いいところで。だから僕は何十年後に、客で見ていたけどそういう舞台裏があったんだって言って、当日そんなことがあったんだなあと思いましたね。

【山下】なるほどね。

【三浦】面白いですね。春風亭栄橋、そっか『赤めだか』もう一回読み直してみよう。

【山下】名作ですもんね、『赤めだか』は本当に。
(※https://www.amazon.co.jp/%E8%B5%A4%E3%82%81%E3%81%A0%E3%81%8B-%E6%89%B6%E6%A1%91%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E7%AB%8B%E5%B7%9D-%E8%AB%87%E6%98%A5/dp/459407362X   )

【和田】そのときに二ツ目披露の会っていうのがあって、談志さんが……、まあでも確か談志師匠がトリを取ったんですよ。二つ目披露と言いながらね。

【三浦】お客さんはそれもやっぱり期待はしている? 談志師匠がトリを取ること。

【和田】もちろん。まあ出番順は行ってみなきゃ分からないんだけど談志師匠が出るから、あと他の人も出るのでっていうのもあったんですけど。談志師匠が高座に上がって来て「今来る電車の中で、落語の本を読んでて『包丁』っていう話が書いてあるから、これだいたい覚えたからちょっとやってみるわ」って言って。

【三浦】本当ですか? それ。

【和田】いや、それで『包丁』をやったんですよ。結構良かったの。

【三浦】 それ落語の本を見て『包丁』っていう話があるからって知ったんですかね? 談志師匠は。

【和田】いやいや。だから……。

【三浦】そんなことないですよね?

【和田】そのときに、僕高校生だから「あー、そうなんだ」って言って。談志師匠って電車の中で速記本を読んだらもうできちゃうんだって言って。俺すごい天才だなと思って。

【三浦】それすごいですね。

【山下】それしてたら本当に天才だよね。
【和田】稽古とかも全然してなくて。「ああ、そうなんだ」と思って。これは貴重なもの聞いたし、突然やったにしてはめちゃくちゃできてるじゃんと思って、これはいいなと思ったんですよ。そしたらそれも30年後ぐらいに『赤めだか』を読んだら、要するに『包丁』って談志師匠が若いころにやろうと思って紀伊国屋ホールの独演会で一回『包丁』って予告を出したんですよ。だけど、どうしても難しくてできなくて。『包丁』っていうのはこれは僕もあとから知ったんだけど、三遊亭圓生師匠の大得意なネタなんです。もう素晴らしいネタなんです。

【三浦】そうですよね。

【和田】で、談志師匠が『包丁』をちょっと今日やろうと思ってたんだけど、紀伊国屋でね。ちょっとうまくできないと、現時点でできないと。今日は本物を見せるからって言ってゲスト圓生師匠を出して、シークレットですよ。シークレットで圓生師匠を呼んで、圓生師匠に『包丁』をやってもらったって。

【三浦】本当ですか? それ! 

【和田】本当。

【三浦】すごいですね、それ! 客は知らないわけですよね?

【和田】知らないです。

【山下】サプライズですね、もう完全な。

【和田】うん。圓生師匠にはもちろんちゃんとお礼して『包丁』をやっていただくっていうサプライズをやったことがあるんですって。ものすごい若いころに。そのぐらいの演目なんですよ。だから電車の中で読んだわけないわけ(笑)。

【三浦】そうですよね。

【和田】そう。一回やろうと思って難しくてちょっとできないみたいなこともあり、その値打ちも知り。
【三浦】高座でちょっとシャレとして言ったっていうことなんですかね、その速記本を読んでっていうのは。

【和田】って言うのはもちろんシャレですね。それでそのときに『赤めだか』に書いてあるのは、要するに弟子の披露目の会って言ってるんだから、自分のいわゆる鉄板ネタとか安全なこれだったら外さないよっていうネタがあるじゃないですか。それやればいいでしょ、普通だったら。それでやったら別にそれで済む話じゃないですか。でもそのときに『包丁』っていうものすごい自分にとって難易度が高くてほぼたぶん初演の話を……。

【三浦】そのときが初演?

【和田】おそらくね。初演か初演じゃないにしてもチャレンジネタですよね。それをわざわざ出してきて客にもぶつけるし、あとその4人に見せてるわけですよ、その4人に。

【三浦】そうですね、俺の姿を見ろってことですよね。

【和田】そういうことです。

【山下】格好いいじゃないですか、プレイングリーダーじゃないですか、本当に。格好いいね。

【和田】俺はやっちゃうよっていうことですよね。で、客には「今電車の中でちょっと本読んで来てさー」って。それ真に受けてるっていうね、客が(笑)。

【山下】それ知らないと真に受けますよね(笑)。

【三浦】まあ真に受けますよね。

【和田】そう。あー、そうなんだーって言って。すげーなーって言って。

【山下】でもチャレンジャーですね。ずっとチャレンジャー。死ぬまでチャレンジャーだったんですね、あの方は。

【三浦】紀伊国屋寄席って確かにネタ出ししてますもんね。今でもそうですもんね、紀伊国屋の。

【山下】あ、そうですね。何の演目をやるかって書いてありますね。

【和田】あっ、そうですね。紀伊国屋寄席じゃなくて紀伊国屋ホールで談志一人会っていうのをやってたんです。独演会。

【三浦】そのときにネタ出ししたってことなんですか?

【和田】そのときに予告してたらしいんですよね。

【三浦】そうか、自分の会だから圓生師匠をシークレットで呼ぶことができたんですね。

【和田】そうです。

【山下】じゃあ自分でプロデュースもしてっていう。それは毎月のように紀伊国屋でやってたんですか? 一人会って。

【和田】そうです。

【山下】あ、そうなんですね。

【和田】だから談志さんが紀伊国屋書店の田辺茂一さんっていうね。

【山下】はい、創業者。

【和田】創業者の田辺茂一さん。

【三浦】有名な人ですよね?

【山下】有名ですよね。

【和田】親しくて。紀伊国屋ホールっていつできたのかな? まあもちろん戦後なんだけれども。基本的にできた当時っていうのは演劇だとかそういう小屋ですよね、紀伊国屋ホールは。

【山下】そうですね、基本、演劇小屋ですもんね。

【和田】今もそうだけど。それで田辺茂一さんと話して、田辺さんがやれって言ったのかちょっと順序はアレだけども、とにかく落語をここでやりたいと言うので「じゃあやればいいじゃないか」っていうことになって。確か月一だと思うんだけど、とにかく定例でやってて。当時落語の独演会っていうのが、定例の独演会って今と違ってそんなにないんですよ。だから非常に珍しい会だったし、それをいわゆる寄席の演芸場じゃなくて紀伊国屋ホールっていうところでやるよっていうのも当時画期的なことだったらしいですね。

【三浦】そのころってまだホール落語もそんなに行われてなかったんですか? まあでもそうか、東横劇場とかそういうところ……。

【和田】そう、東横がありますね。東横が、あれはね……。30年代の前半ぐらいのスタートだと思います、東横落語会。湯浅喜久治。

【山下】30年代?

【和田】昭和30年代。

【山下】あっ、昭和。あっ、はい。

【和田】30年代半ばぐらいか。とにかく談志さんが柳家小ゑんのころに東横に出てるんです。だからさっきの話だけじゃないけど開口一番に出てるんです。

【山下】そうなんですか。

【三浦】そうですね。二ツ目のときの名前です。

【山下】小ゑんさんだったんですよね、談志さんが昔。

【和田】で、後ろに志ん生だとか三木助が出てるのの本当にトップバッターですよね。『蜘蛛駕籠』っていう話をやって。

【三浦】『蜘蛛駕籠』。

【和田】安藤鶴夫が、小ゑんっていうのが出てきて『蜘蛛駕籠』を開口でやったと。非常にできがいいですって褒めて。で、談志さんが新聞に安藤鶴夫さんが書いたから、それを切り抜いて楽屋で貼ったりとかしてたら小さん師匠にすごい怒られたっていう(笑)。

【三浦】そういうことするんじゃねえと(笑)。

【和田】そう、自分でするんじゃねえって。


---- 担当: 前田 愛 ----

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お仕事だということを忘れて、毎回楽しく聞かせていただいております。
新型コロナウイルスが落ち着きましたら私も寄席に行ってみたいです。
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