【PODCAST書き起し】iakuの劇作家・演出家:横山拓也さんに創作についてきいてみた(全4回)その1「iaku創設までの活動」
【PODCAST書き起し】iakuの劇作家・演出家:横山拓也さんに創作についてきいてみた(全4回)その1「iaku創設までの活動」
【山下】皆さん、こんにちは。みんなで語る小劇場演劇のお時間です。
私がMCの東北新社の山下です。そして、弊社のポッドキャスターの。
【谷】谷です。よろしくお願いします。
【山下】谷さんでーす。
今日はゲストにiakuの横山拓也さんに来ていただきました。
横山さん、よろしくお願いします。
【横山】よろしくお願いします。
【山下】毎回こうやって作家の人に来ていただいて、演劇の好きな人に向けて演劇の創作の秘密とか、エピソードとか、いろんなことを聞いてるんですけど。実は私、横山さんの舞台を最初に観たのは5、6年前かしら。2014年、三鷹市芸術文化センターで『流れんな』を初めて観せていただいて、それからコンスタントに観せていただいていまして。
前回の、今やっている『フタマツヅキ』で、10本観せていただいていまして。
【横山】ありがとうございます。
【谷】ちなみに私は『あつい胸さわぎ』からなんで、それでも『涙目コント』も合わせて6本です。
【横山】ああ、ありがとうございます。
【山下】ということで、横山さんの創作の秘密に迫っていきたいと思いますが。横山さんは1977年1月21日に大阪で、お生まれになったのは大阪?
【横山】大阪です。
【山下】吹田なんですか。
【横山】出生は隣の池田市なんですけど、吹田出身ということに、してます。
【山下】あっ、なるほど。僕も実家が高槻なんですけど。
【横山】近いですね。
【山下】茨木の高校に行って、吹田の大学に行って。
大学4年まで大阪で。妻が千里中央で。
【横山】ああ、そうなんですか。
【山下】そうなんですよ。妻の妹が、横山さんと同じ大阪芸大に行ってたんですよ。なんかすごい懐かしいなと思いながら。
私が最初に演劇を観始めたのが、昔、阪急ファイブにオレンジホールというのがあって。
HEP FIVEのところに劇場が入ってて、そこでまさに大阪芸大の(劇団☆)新感線がやっていて、そのときつかこうへいのやつをやってたんですけど、むっちゃおもろいなあと思って。それが大学2年のとき。20歳ぐらいのときですかね。だから40年間、そっから、ずっと観続けているっていうことに。
【谷】新感線は41周年ですから、ほぼ初期ですよね。
【山下】あっ、そうか! そうですね。82年とか3年ぐらいに観たのかな。
【横山】あのころ関西の劇団は、みんな、つかさんの、芝居をコピーされてやってた時期だと聞いています。僕も。
【山下】そうなんですか。横山さん大阪で、これ知らないんですけど、「(劇団)売込隊ビーム」っていうのは、一緒に結成されたんですか。
【横山】大学1年生のときに、同級生で結成した学生劇団のようなかたちで始まったのが、「売込隊ビーム」というエンタメ劇団ですね。
【山下】なるほど。そのとき横山さんは、作家として参加されたんですか。
【横山】そうですね。最初作家で、俳優が演出してたんですけど、だんだん作・演出も自分でやるようになっていきました。
【山下】出演は?
【横山】出演はしたことないです。
【山下】横山さんは作るほうに回ったんですね。
それで、随分間が空くんですけど、2012年にiakuを立ち上げたってことは?
【横山】売込隊ビームという劇団を、15年ぐらい続けてました。
【山下】そんなにされてたんですか。じゃあ、割と関西中心に活動されてた。
【横山】そうですね、ずっと関西で。2003年ぐらいから東京公演も実はやってたんですけど、なかなか広がらず、苦労してました。
【山下】なるほど。
関西だと、どういった劇場でやってたんですか、売込隊ビーム。
【横山】OMSという、扇町ミュージアムスクエアがあったころなんですけど、そこでやれるようになりたいねって大学のときに言っていて、だんだんそこでやれるようになっていき、OMSも無くなってしまって。
そこから転々といろんなとこでやってたんですけど、ABCホールっていう場所ができて、ABCホールでできたらいいねって言って。そこでもやれるようになってというふうに、大阪ではまあまあ頑張ってた劇団なんです。
【山下】その売込隊ビームの仲間で、インスパイアを受けた劇団とかってあるんですか。こういうのいいよねえとか、人によって違うのかな。
【横山】そうなんです、劇団は結構バラバラで、みんな好みバラバラでした。僕はもう大学生のときからMONOに憧れて……。
【谷】ああ、土田さん。
【横山】土田英生さんの、最初おしゃってくださった『涙目コント』にも呼ばれてうれしかったですけど。そうやって土田さんみたいな作家が京都にいるんだなということを知って、そこからずっと背中を追いかけてたってところです。
【山下】ということは、MONOの公演はよくご覧になられてたんですか、関西では。
【横山】ほとんど、欠かさず観てると思います。
【谷】そうですか。
【山下】そもそも横山さんって、なぜ劇作をやろうと思ったんですか。
【横山】んー、僕、大阪芸大の文芸学科なんですよ。普通、演劇を目指してる人たちは、舞台芸術学科に行くんですけど。僕、何か書き物をして、表現できないかなと思っていたんで、小説とか、高校のときに同級生と短編映画撮ろうよみたいなかたちで、シナリオとか書いてたんですけど。
【山下】そうなんですね。
【横山】まあ、あんまり舞台ってイメージはなかったんですけど、そのまま大阪芸大の文芸学科へ行って、高校の同級生と一緒に。その彼は舞台芸術学科に行ったんで、一緒に劇団やろうかとなったんですね。
【山下】なるほど、なるほど。
それで高校のときには、少し書かれてたというのは、映画のほうのシナリオ書いたんですか。
【横山】映画といっても、身内でちょっと撮れたら面白いねぐらいなかたちで、撮ったか撮ってないかすら忘れましたけど。
あとまあ高校の文化祭で、演劇の台本書いたりはしましたけど。全然演劇部とかではなく、普通にサッカー部に入ってました。
【山下】ああ、そうなんですね。
【横山】今、誰も信じてくれないです。
(3人の笑い声)
【山下】大阪の北のほうって、サッカーする人結構多いですよね。ナイナイの矢部さんもね、茨木やったかな。
【谷】ああ、そうですよね。
【横山】そうですね。
【山下】うちの妹が、高槻南高校なんです。高槻南もサッカーが割と……。
【横山】強いですよね。
【山下】強かったんですよ。すごいローカルな話ですみません。
【谷】いえいえ、とんでもないです。そういう話が大切なんです。
【山下】それで、売込隊ビームを15年やったんだけど、もうやめてiakuを立ち上げようって思われたのは、何か理由があったんですか。
【横山】まあ、いろいろあるんですけど。まだ売込隊ビームに在籍中に、別のユニットから依頼を受けて、2009年に『エダニク』って作品を作ったんですね。
【山下】食肉加工場のね、面白かったです。
【横山】この作業が、ちょっとかなり新鮮で。演出家が上田一軒さんっていう関西のスクエアという劇団でやられている方なんですけど。一緒に作業した経験がめちゃめちゃ自分の中で大きくて。
そこから徐々に、劇団とは違う作品の発表の仕方はないのかなというのを模索し始めて。いろいろ、東日本大震災なんかも、僕は大阪にいたんですけれど、すごく影響を受けてしまって。
それを機会に、劇団をお休みしたいって僕が言い出して。
そのあとですね、iakuを立ち上げたの。
【山下】東日本大震災の影響が、何かあったんですね、やっぱり。
【横山】そうなんです。ちょうどその年の3月から4月にかけて、東京と大阪で劇団公演があって。僕が東京に行きたくないって、すごく言い出して。
いやいや、そういう訳にはいかないよって説得されて。今回、取り合えずやるけど、もうちょっと1回お休みさせてくれっていうふうに、ちょっと気持ちが折れちゃったときがあったんですね。
【山下】僕らもありました。2011年の3月に、僕、関西大学なんですけど、関西大学のプロモーションビデオを作ってくれって頼まれて。大学の先輩の黒田秀樹さんがディレクターで。で、大阪でロケって言って話が来たんですけど。そのときに、東京のスタイリストの方がいて。息子さんが、お母さんがいなくなると嫌だと。
「山下、ちょっとこれ延ばせへんか、スケジュール」っておっしゃって。
で、僕が大学側と交渉して。
そしたら「いいですよ」って言って、すごく大学の人、大変だったんですよ。
エキストラは関大の学生やったから、何百人も集めないといけないのを、
ほんとうに時期をずらしてくれて。
僕そのときにね、電話の前で泣いてしまったんですよ。本当にそのときの広報部長さんと担当の方に感謝してて。何かそれを今、すごく思い出しました。
【横山】そうやって理解のある方で良かったですね。
【山下】いやあ、本当に僕も先輩に言われたから、なんですけどね。
それで、プロデューサーだから、絶対ちゃんと言わなあかんわと思って、誠実に言ったんですね。受け入れてくれないんだろうな、と思ったんだけど、関西大学の広報部長が「じゃあ、いいよ」って言ってくれたのをいまだに覚えてて、感謝しかないんですけど。
なんか、それくらい気持ちが、高ぶっていたのかもしれないんですけど。
【横山】そうですね、テレビばっかり見てると、
もうちょっとしんどくなりましたよね、あの時期はやっぱり。
【山下】ちなみに横山さんって、1995年の1月17日は大阪にいてはったんですか、阪神大震災。
【横山】そうです。その日は、実は僕の小劇場初体験の日だったんです。
16日が日曜日だったんです。
【山下】前日ですよね。
【横山】伊丹アイホールで、惑星ピスタチオの『破壊ランナー』を観てたんです。
【山下】惑星ピスタチオ、すごいその頃あれ(※大人気という意味です)だったですよね。
【横山】そうなんです。これが一緒に劇団立ち上げたメンバーが、「こういう世界があるから観てみたら」って言って教えてくれて。初めて行って、すごい衝撃を受けて。
【山下】大阪で結構有名な劇団でしたもんねえ。
【横山】そうなんです。
【山下】それは大学のときですか。
【横山】高校3年生です。
【山下】ほお、じゃあ割と多感な時期なので、衝撃を受けますよね。
【横山】大学ももう決まってて、一緒にやるメンバーも大学も決まってて。
たぶん僕を、そういう演劇に誘うために教えてくれたのかもしれないですけど。
【山下】周りの友達が。
【横山】その興奮して寝た日の朝だったんで。ちょっとまあ記憶としては、演劇の初体験の記憶と混ざって残ってますね。
【山下】いやいや、貴重なお話を聞けました。
【横山】いえいえ。
【山下】僕らも、大阪で地震があったらしいよって言って、東京から自宅に電話したんだけど1回もつながらなくて・・・。
それで、また話戻りますけど。
2011年の震災を経験して、ちょっと1回休憩しようかな言うて、iakuを立ち上げて。その手前に、上田一軒さんとのやり取りがあった。
【横山】そうですね。さっき言った2009年の『エダニク』で、初めて一緒に作業して。そこからまた新しい作品をやるまでには、少し時間が空いたんですけど。
『エダニク』を私自身じゃない団体の再演をしてもらったときに、それを観たABCホールのプロデューサーが、ABCホールで作品、作らないかと言ってくれて。
【山下】新作を。
【横山】はい。僕と上田一軒さんのコンビで、『目頭を押さえた』という作品をABCホールプロデュースで作らせてもらったんです。
それが2012年でした。
【谷】今年、パルコ・プロデュースで。私、拝見いたしました。
【横山】ありがとうございます。
【山下】そうそう、谷さん、行ったんですよね。素晴らしい。
【谷】寺十(じつなし)さんでしたね。
【横山】そのときは寺十さん演出でやっていただいて。9年の歳月を経てやってもらいました。
【山下】上田一軒さんと出会うきっかけは、何かあったんですか。
【横山】いや、劇団自体は売込隊ビームと上田さんのスクエアは、全く同じ旗揚げの年月なんです。95年か96年の10月に同じ劇場で、たぶんうちの1週前ぐらいにやってたのがスクエアで。
【山下】へえー、スクエアは学校が違ってたんですか。
【横山】近畿大学なんですね。
【山下】近大だったんですか。
【横山】僕らよりたぶん、5歳ぐらい先輩で。年齢的には。
【山下】へええー。上田さんがじゃあ……。
【横山】僕より5歳上なんですけど。
そこから何かと関西の演劇って、横のつながりもあったので、一緒にイベントに出たりとか、何かと劇団として競わされたりとかあって。ただ一緒に物作るってことは全くないまま十何年経ってっていう。
その中で2009年に作業して、2012年に再度作業して。そのときにはiakuってのを自分で立ち上げるって決めてたので、一緒に演出家として関わってもらえませんかってお願いしたんですね。
【山下】なるほど。それは上田さんと横山さんの持ってるもの、価値観とかが通じるものがあったんでしょうか。
【横山】最初はもう圧倒的に上田さんの価値観に、僕が引き込まれたって感じですかね。
【山下】上田さんの価値観は、どんな価値観なんですか。
【横山】スクエア自体は、完全なコメディー劇団だったんですけど。だから僕もお笑いの人だと思っていたんですけど。演劇を作るときの姿勢みたいなもののストイックさが、ちょっと自分がやってきたこととは全然違うスタンスといいますか。
僕らは、劇団は文化祭的なイメージで、楽しくやれたらいいねみたいなところもあったんですけど。実際『エダニク』やったときに、ものすごく本を読み込んでくれて、僕が意図してない部分まであぶり出してくれるような。
改稿の作業も一緒にというか、指摘受けて。なるほどと思ったとこは書き換え、僕が折れないところは議論し、みたいなことを、すごい熱いやり取りをして。演劇こんなにやってきて、こんな真剣に演劇のこと考えたことなかったかもなと思ったんですね。
【山下】なるほど。そこは横山さんが成長するきっかけ作りをしてくれたかもしれないですね。
【横山】いや、本当にそうですね。もうちょっとライトに楽しく演劇やってればいいんだと思っていたんですけど。いや、これ仕事にしていくには、このぐらいの熱量でやらないとダメなんじゃないかって、ようやく30も超えたぐらいで気づきましたね。
テキスト起こし@ブラインドライターズ
(http://blindwriters.co.jp/)
担当者:伊藤ゆみ子
この度は、ご依頼いただきまして誠にありがとうございました。
初めて演劇を観たとき、その熱気に感動したことを思い出しました。あまり劇場に行く機会がなく過ごしてきましたが、こういうお話を聞かせていただくと、よく見えるうちにもっと観ておきたかったなあと、とてももったいないことをしてしまった気がします。
でも演劇は、演者、作家、演出家の皆さんの熱気を、声や空気感など全身で感じられると思いますので、劇場に足を運びたくなりました。
またのご依頼を、心よりお待ちしております。
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