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【PODCAST書き起こし】劇作家の長田育恵さんに聞いてみた(全4回)その3

【PODCAST書き起こし】劇作家の長田育恵さんに聞いてみた(全4回)その3

【長田】戯曲セミナーで1年掛けて1本書くんですけど、その1本を1年間教わった講師の中で誰でもいいから希望を出せて。

【山下】自分で希望が出せるんですか?

【長田】出せるんですよ。それで読んでいただいて、その先生がいいと思ってくれてたら翌年に個人研修生として推薦してくれる制度があって。

【山下】当ててくれた先生がってこと?

【長田】はい、そうです。

【山下】なるほど。そしたら最初に長田さんは井上さんのところにそれを出したんですか?

【長田】はい、出して。

【山下】そしたら、「じゃぁ来年おれの個人研修生でもいいよ。」って言ってくれたんですか?

【長田】そんな前向きじゃないですけどね。個人研修生になりたかったらなってもいいよぐらいな(笑)。そんな。

【山下】なるほどなるほど。

【長田】でも本当にだから、ほかのクラスとかは、例えばゼミ形式でしっかり次の週は課題が出てみたいにやられてたけど、井上先生の場合は、私のときは私だけだったし、私含めて上に二人いただけで3人しかいなくて。

【山下】すごい、少ないですね。

【長田】そうなんです。そういうゼミ形式って言うのも一切なく。自腹で、追いかけてっていい権利だけをちょっともらう感じですかね。

【山下】追いかけてはいいと。ノーとは言われないと。

【長田】例えば仙台文学館で先生の講演があるときは自分で行って、先生が登壇される前に控え室とかで、ちょっと時間過ごすじゃないですか。その控え室のときに挨拶に行って。

【山下】少しお話しが出来る。

【長田】お話しするとか。紀伊國屋で、『父と暮らせば』とかの上演が。

【山下】公演ね。こまつ座の。

【長田】あるときとかは、開場時間が始まるちょっと前に、物販でやる本を、一生懸命サイン本をついたての向こうで先生がサインをされてるんですよ。「こんにちは。」って言ったら、もうサインする手を。

【山下】お手伝いする?

【長田】いや、休めないまま、「こないだのあれなんだけど、あのシーン、あぁいうシーンを各ときはこうしたほうがいいよ。」ってその場で講評を。

【山下】サインをしながら。

【長田】しながらバーッと言われて、「え、今ですか。」みたいな感じで。とにかくそれを覚えて帰って客席に言ってノートに書き留めるとか。そういう感じの研修。

【山下】それが1年間続いたんですか?

【長田】そういうやつを(笑)。

【山下】それで書いたのがあれですか?

【長田】旗揚げ公演の脚本になります。

【山下】それはなんてやつなんでしたっけ。旗揚げ公演の脚本。

【長田】『ありふれた惑星』っていう公演をやったんですけど。はい、そこにつながりました。

【山下】それを井上先生は見に来られたんですか?

【長田】いえいえ。

【山下】井上先生との思い出はそういうような感じでわりとつかず離れずみたいな感じ。

【長田】もうそれが先生の亡くなる2年前なんですよ。本当にもう最期だったので。先生がなくなって初めてちょっとちゃんと真剣に書こうと思ったのが『乱歩の恋文』って作品だったんですけど。

【山下】『乱歩の恋文』ね。

【長田】だからもう先生が亡くなられてから、いろいろ奥様とかとも応援してくださったりとかのつながりはありつつって感じですかね。

【山下】『乱歩の恋文』、ぼくも拝見しました。シアタートラムのネクストジェネレーションで。

【長田】それが選ばれて。最初は王子小劇場で上演したんですけど。

【山下】そうなんですね。王子小劇場って今花まる学習会がやってますね。

【長田】それが、劇団旗揚げしてから第3回目の公演で。それがシアタートラムのネクストジェネレーションに選ばれて、初めて劇作家として認知され始めたってことですかね。

【山下】これは小学校のときに読んだポプラ社の江戸川乱歩シリーズは影響してるンですか?

【長田】今思うとしてるのかもしれないですけど、そのときは全然してなかったですね。

【山下】じゃぁさっきのちょっと井上ひさしさんの話に戻ると、ぼく、井上ひさしの展覧会に行ったことがあって。横浜の文学館でやった展覧会、ご覧になりました?

【長田】はい、見ました。

【山下】 あれ、ものすごかったんですよ。ぼく、そのときに井上ひさしさんの図録の本を買って。資料の読み込み方が尋常じゃない。

【長田】そうなんですよ。

【山下】もう異常に、すごい量の本を読んでて、劇作1本作るのに何時間かかってるんだろう。

【長田】いや、だから、先生と出会ってから以降は、うかつに物が書けなくなりましたね。

【山下】本当にこれは大変な仕事だなと身体で実感したんですけど。たぶん長田さんもその薫陶を受けてる訳なので、この『乱歩の恋文』を書くときも江戸川乱歩の資料とかたくさん読まれたんですか?

【長田】読みましたし、あとは登場人物が目にした景色を私も見てから書こうと思うようになったので。

【山下】なるほど。

【長田】島とかにも行きましたね。奥様が生まれた島とか。

【山下】乱歩の?

【長田】二人が出会った島とか海とか。どんな景色をずっと心の中で忘れないでいたのかなとかを全部自分で、肉眼で確かめて見てから書くってことをやりました。だから、てがみ座での上演作品は全部ほとんどが旅と一緒になって、すごくそういう意味でも取材もそうですし旅をするってこともスタイルになりましたね。『青のはて』っていう宮沢賢治の。

【山下】宮沢賢治さんの。あれ、よかったですね。

【長田】書いたときは、樺太に検事が旅に言った話だったので。

【山下】樺太はだからまだ日本の領地だったから、日露戦争に勝ったときに。

【長田】そのときの日本の最北端は樺太だったので、だからサハリンまで行って。同じ程で。

【山下】 どうやって行ったんですか? パスポートを持って。

【長田】そうです。

【山下】ルートは1回ハバロフスクかなんかから行くんですか?

【長田】そうですそうです。なんか。

【山下】北海道から船は出てないですもんね。

【長田】はい。でも、私はもう飛行機で。
日程の関係で飛行機で行っちゃったんですけど、行ってすごくいろんな経験が。

【山下】でも宮沢賢治も樺太に行ったってことですよね。

【長田】そうですね。その、宮沢賢治が行った場所に。

【山下】そこまでちゃんとロケハンみたいなこともして。

【長田】はい。自分もそこでたどり着いたこととか感じてることとかを全部劇作に落とし込みながら書いて。

【山下】でもよくできてましたよね。

【長田】ありがとうございます。

【山下】割とここからちょっと大きな話になるんですけど、長田さんが評伝劇を書くことすごい多いじゃないですか、それは、井上ひさしさんの影響なのかもしれないけど、それは自分が書きたいからっていうことなんですか? 江戸川乱歩なり宮沢賢治なり宮本常一でしたっけ。

【長田】そうですね。

【山下】あと、茨木のり子さんとか。

【長田】その器を使ってやりたいことがあるってことですかね。

【山下】器を。

【長田】別に時代劇が書きたいわけじゃなくて、その器を使っていかに今の人たちに、今私が考えていることを届けるかっていう、そのために一番効果的な器が評伝劇だったっていうことだったり。

【山下】それはやっぱりあれですか? 長田さんが考えていることをその表現の中に織り込んでいくっていうのは、やっぱり自分の中では無意識かどうか分からないけどやってらっしゃる。

【長田】そうですね。時代劇を書くつもりは一切なくて、時代劇の枠を使った現代劇のつもりでは書いていて。
【山下】まさに、そういう意味では『現代能楽集』は分かりやすい事例ですよね。

【長田】そうですね。例えば金子みすゞとか書いたときは。

【山下】はいはい、金子みすゞのやつ。

【長田】3.11以降で。

【山下】そうでしたよね。

【長田】ACの宣伝で「みんな違ってみんないい」とかがすごい繰り返し流されたときで、本当に、私が作家だったらこんな。

【山下】使われ方をしたくなかった。

【長田】うん。本当にいやだなぁと思って。この作家のこと調べてみようと思ったら、26歳で自殺した童謡の、かわいそうな女の人みたいなそういう捉えられ方してて、でも本当かなと思って調べだしたんですけど、そしたら文壇デビューしたあとにペンネーム、金子みすゞっていうペンネームを使って作家活動してたけど、それが旦那さんからしてみたら、そうやって筆名を使って東京の文壇でちやほやされることとかを許せなくて、奥さんに創作活動を封じるような感じの旦那さんが相手で。彼女は創作をしたいって気持ちの中で揺らめいていながら旦那さんから性病をうつされちゃって、もう命の残りが無くなってきたときに彼女にとっての創作の原点がお父さんだったんですけど、彼女の自殺もわざわざ、その全うに死んでしまうと嫁いだ婚家のお墓に入ることになっちゃうんですけど、そこ漁村なので、海難事故で死んだ人とか不慮の事故で死んだ人は無縁墓に入れられるんですね。お父さんは海でなくなっているので、お父さんは無縁墓に入ってるんです。彼女はお父さんの祥月命日を選んでその日に自殺をして無縁墓に入るようにして。だから創作したいって魂をお父さんのお墓に入ることで意思を表示したってすごく表現者として前向きな彼女の人生をどうやって生きるかって意思表示に見えて。
それを例えば女性が創作に向かうこととか嫁いだ先でどうやって自分の魂の自由を失わずにいるかとか、最後に抑圧された中でも自己表現をどういうふうに、意思を示すかとか、これを書こうと持って。例えばこれが現代劇で書こうとしたらものすごく窮屈な、しかもちょっとアジテーションが強すぎるものになりますよね。だけどこれをすごくそういうテーマって、今の私たちが見ても心が震えることで、でもそれを金子みすゞって人を使ってちゃんと力点を込めて書ければ女性がどうやって生きたいかっていう話になって。現代劇で現代をベースに書くよりも、より飛距離が伸びるというか。

【山下】現代に通底する問題はその中に必ずあると。

【長田】そうです。

【山下】それを、あぶり出してるだけかもしれないんですね。いい意味で。

【長田】それが出来る題材だけを取ってきてるっていう。

【山下】だからそれができるかもしれないっていう仮説を立てるんですか?

【長田】そうです。感でというか。

【山下】これ行けるんじゃないかな。じゃぁ調べてみようか。金子みすゞだとこういうことがあったんだ。資料がどんどん増えていくごとにいろんなことが見えてくる。

【長田】基本的にもう、本に書かれてることは劇作にする必要はないと思ってるので、自分だけの着眼点は何かあったら書けるって。だから最初に何かいろんなことで違和感を感じたら、そこの違和感を種にして掘っていくって感じですね。

【山下】最初に、今の話を聞くと書き始めるまですげぇ時間かかりませんか?

【長田】かかりますね。

【山下】だから、ある宿題の資料が膨大にあって、それを読み込みながら自分で考えてその思考と仮説の繰り返しを追いながらこれだったら行けるんじゃないかっていうところにたどり着くまでたぶん書けないですよね。やっぱそうですか。

【長田】そうなんです。

【山下】それは、その思考の過程はどんな感じになってるんですか? 何か読むと、こういうことがあったんだって。これだとフューチャーしたほうがいいかもしれないとか。

【長田】でもやっぱりそんなに回り道している時間はないんですね。上演活動が年に2、3回はあるわけですからね。だから、そこはちょっと感としか言いようが。後戻りはしないで掘っていく。

【山下】そこをどうやって構成していくのかっていうような仮説も見ながら。

【長田】だから最初にこれだって行く前の有象無象の段階でたぶん取捨選択はしていて。

【山下】あるんでしょうね。だからそのときに大量のインプットが役に立つのかもしれないですね。

【長田】おそらく。これだったら偉人伝とか、もう既にお話になっていることをなぞることには意味がないと思ってるので。自分の立脚点が有りそうだってことだけを探しているって感じですね。

【山下】なるほど。いや、創作のね、どういうふうにしてらっしゃるのかな。逆に言うといろんなプロダクション作業があると思いますけど、締切もあるけど、その資料を読み込まないと行けない。そうすると、例えばこの読み込むのにすごい大変なやつだと何日ぐらい掛けて何冊ぐらいの本を読むんですか?

【長田】ちょっと具体的には言えないんですけど。だから、1作書くためにそういう旅とかそういう取材は別にしても、資料本とかだけでも段ボール3箱半とかそのぐらいにはなってるんで、そういうのをバーって読みながらってことなんだと思います。

【山下】そうすると、段ボール3、4箱が、わかんない、金子みすゞの本とか宮本常一の本とかって段ボールが。

【長田】そうです。あって。

【山下】いくつかの選択肢が、これがまた横につながったりする。

【長田】もちろんあります。例えば、そうですね。宮沢賢治を書くサハリンでの旅で、韓国の、韓国から来たおじいさんと帰る間際に出会ったんですよ。それで、本当に、「サハリンから明日帰るぞ。」っていう雨上がりの王子清酒工場の跡地を見に行って。まだ工場のがれきみたいなのがそのままあって。それを見に行ったんですけど、バス待ってたらおじいさんがやってきて。おじいさんが片言の日本語でしゃべりかけてくれて。そのおじいさんは子どもの頃、日本統治下で日本人の家族と暮らしてたんですって。日本人の家族が引き上げて、自分は一人ここに取り残されて、一人で帰られるようになって初めて朝鮮半島に帰ったんだけど、自分にとっての生まれ故郷はここだから、死ぬ前に1度ここに来たかったっておっしゃってて。でも向こうの人たちはそういう感覚は分からないって言ってて。今私と出会ったことで、日本語を思い出して、今うまくしゃべってるかわからないって言ってたけど、でもとてもお上手にしゃべってくださってて。死ぬ前に日本語が話せて良かったっておっしゃってて。ただのバス停での出会いだったんですけど、ずっとそのことが記憶にあって。それから何年かして手紙座での新作でその『海超ええの花たち』って。朝鮮半島に終戦後取り残された日本人女性たちをモチーフにした作品をそこで書いたりとか。

【山下】これはチラシがちょっとありました。こんなのですね。

【長田】そのときの出会いの記録とかぬくもりとか絆みたいな者とかを信じながら、私にとっての真実はそれだから、それで作品を書こう、ちゃんと消化しようっていうふうにつながっていたりとか。1つの旅がそういう部分につながってたりとかありますね。

【山下】 そうするとそのときにインスパイアーされたものを今度書いてみようかなというのでそれが創作につながっていくと。

【長田】そうですね、例えば。それからあと、民芸さんからの依頼で、柳宗悦をテーマに『SOETSU』って作品も書いてるんですけど。

【山下】民芸の運動の、民芸運動家の。

【長田】なんかそれも、例えばそのおじいさんと出会ったことで日本とアジアの問題を私は考えなくっちゃって宿題を手渡されてきたから。

【山下】とても大きな宿題ですよね。

【長田】宮本常一も、例えば第2次大戦下に民俗学者たちが何をしたかってこととかも一つの大きな宿題を手渡されて帰ってきた感じなので、その宿題に基づいたテーマを探し始めるとか。つながっていっています。

【山下】宮本常一さんのやつだと、今NHKの大河でもやっていますけど、渋沢栄一もね、やはりつながりが圧倒的に大きいし。あれはほぼルネッサンスで言うメディチ家みたいな感じですから。それと、ほぼ芸術家じゃないですか、宮本常一さんも。そうやって広げていくと本当に世界が広がっていくなと思って。

【長田】アジアの中から見た日本とか、日本はどういう場所かってこととかを多角的に見てみようっていうのがちょっと自分にとっての宿題になったりとか。

【山下】演劇は公演の予定がずいぶん前から決まっているから、2年ごとか3年後とか予定されてるじゃないですか。そのときにてがみ座でも締め切りがあると思いますけれども、じゃぁこれに向けて何を書こうかっていうのはじゃぁ書く前にいろいろ有象無象の者があって、じゃぁ今回これやってみよう。自分で決めて。

【長田】そうですね。そういう感じで。

【山下】それは主催者でもあるからっていうことですよね。もう1個だけ戻ると、長田さんが劇作家になるために戯曲セミナーをしたあとに、自分で演劇公演をやるじゃないですか。それを、自分で稼いだお金を全部つぎ込んで演出家にギャラを払い、劇場費も払ったんですよね。全部貯金を無くしてしまったと。それ、どういう覚悟でそれをやることにしたんですか?

【長田】やはり劇作家っていう職業にちゃんと就きたいなっていうのが、戯曲セミナーが終わった後で、もうその時点で30歳ぐらいになってはいて、劇作家になるためには日本で言うとまず劇団を作り、旗揚げし、作品をプレゼンしないことには劇作家になれないとわかってきて。

【山下】なるほど。それは周りの人にいろいろ聞いてるとそういうことでしか作れないのか。という。

【長田】とか、例えば、劇作家協会の新人戯曲賞を取っても、それは劇作家としての職業に就けるわけではないなっていうのも入ってすぐに分かったので。だからまず自分の作品を上演というプレゼンをしないことには劇作家という職業には就けないんだなってことは分かったので。東京だと劇団が激情を抑えるのは1年前とかなので、だからセミナー出てすぐにとりあえず当てはないけど1年後に旗揚げしようと思って激情だけ抑えに言って。本当に劇団とかもなく、契約に来たので。玉山さんっていう当時の支配人の方が驚いて、「え、本当にできないよ。」って。

【山下】スタッフもいないしキャストも決まってない。

【長田】出来ないよって言われて。決まってない、誰もいなくて。出来ないよって言って。

【山下】でもそういう意味ではすごい熱量ですよね。

【長田】でも1年有るから。でもとりあえず整ってから取りにいくとまた1年先じゃないかと思ってたのでまず劇場を取ろうと思って。手付金だけ払いに行ったんですけど、そしたら、「今、ここで今日上演している劇団が公演終了後にお茶会をやるみたいだから見ていったら?」って言われて。見て、それがすごく言い作品だったので、劇場契約に言ったから書き上げた脚本を自分の分と劇場に渡そうと思って2部持って行ったんですよ。それを見て、あの主演の人いいなと思って、終わったあとに、「来年ここで旗揚げしようと思うんですけど出てもらえませんか?」って脚本を渡して。

【山下】ストレートなオファー。

【長田】その相手が、扇田拓也さんだったんです。

【山下】すごいじゃないですか。これが最初のご縁ですか?

【長田】それが、最初のご縁です。

【山下】それからずーっといらっしゃるから。スゴイ縁ですよね。

【長田】そうです。それで美術も素敵で、お茶会には美術さんもいらしたので。

【山下】杉山さん。すごい。杉山至さん。

【長田】そうなんです。杉山至さんっていう、全然知らなくて。

【山下】ぼくらは青年団のファンなのでみんな知っています。

【長田】私は本当に全然それも知らないぐらいで、来年旗揚げしたいんですけど美術をお願いできませんかって。至さんは、本当にそれぐらい無知だったんで、「いや、ぼくはこれから旗揚げする人の美術は、ぼくはちょっと引き受けてないんだよ。」って言われて、「でも脚本があるんなら読んでみて一応決めるよ。」って言って持って帰ってくれて。

【山下】あたたかい。

【長田】そうなんです。天文学者の話をたまたま書いていて。至さんはお兄さんが天文学をされている方で。これはちょっとぼくが引き受けなきゃ行けないと思ったからって言って、おっしゃってくださって。旗揚げ公演の美術とかイタルさんから舞台監督とか。

【山下】紹介してもらった。

【長田】紹介していただいたりとか、扇田拓也さんからいろいろ紹介してくれたりとか。

【山下】扇田さんはそのときは演出じゃないんですよね。

【長田】主演をやっていました。

【山下】だから演出はそのときは長田さんがやったんですか?

【長田】演出はそのときは。

【山下】誰か頼んだんですか?

【長田】早稲田で知り合ってたナラハラくんとかあとミュージカルでちょっとつながりがあったマエジマさんとか。

【山下】なるほどなるほど。そういうふうに全部座組をしていったんですね。

【長田】はい、作って。最初に、井上先生に見てもらったのが二人芝居だったので、二人だと採算取れないなって自分でも分かってたので、あと13人出てくる芝居を作って同時上演しました。

【山下】同時上演と。なるほど。いろいろ、計算はされていたんですね。

【長田】それは。やっぱり3回目ぐらいまでで、これまで10年ぐらい社会人をやっていて、普通にボーナスが出る会社だったので、でもその分の貯金は全て使い果たして。

【山下】すごいですよね。その覚悟っていうのがやはりすごいなと思って。それはそれで覚悟を持ってやったことはどうですか? 今になって。やってよかったなっていう。

【長田】いや、なんだろう。

【山下】もうそれは別に。そういったものがなくなってもいい。

【長田】あんまり。後悔するよりかはやろうっていう感じで。3回やってだめだったらたぶんだめなんだろうと思って。それで3回目の公演で、扇田さんが実は演出もやってみたいっておっしゃって。じゃぁ演出お願いしますって。井上先生も亡くなったから本当に勝負の1作を書こうと思って書いたのが『乱歩の恋文』って作品で。

【山下】それで、ネクストジェネレーションに。

【長田】ネクストジェネレーションに入って。

【山下】そこも物語ですね。もう本当に。

【長田】 それでサラリーマンを辞めました。もうこれで行こうって思って。

【山下】これでやっていこうと。

【長田】やっていこうと。

【山下】それ、家族の応援とかもあったんですか?

【長田】そうですね。

【山下】素晴らしいですね。

【長田】いろいろ説得は。

【山下】いや、でもそれをやっぱり理解してくれて「公演してやってみたら」って言ってくれたのがよかった。

【長田】最初に結婚、最初にとかいって違う、一人しか結婚してないんですけど(笑)。結婚した相手が演劇以外のジャンルの方だったんで、元々そのサークル活動で演劇をやってたけど、自分で劇団作ってからは稽古も全て自分で取り仕切って、打ち合わせとかも深夜になるじゃないですか。だから普通に終電とかがざらになるっていうか。やはりすごく説明はしてたんですけど、劇作家になるためには上演活動をしなきゃ行けないから上演活動するために稽古が必要で。だから家に帰ってこなくなりますって説明してたんですけど、やはり最初ギクシャクはしたんですよ。

【山下】そりゃそうですよね。

【長田】説明はしてたのに、とか思ってたんですけど。でもそのとき話し合って、でもちょっと今はやってみたいので、もし本当にこれが許せないんだったらたぶんちょっと離婚しないとだめだと思うけどどうしますかね。

【山下】なるほど。わりとそこまでガチで話をした。

【長田】ガチで話して。そしたら、やらないと後悔するならやってもいいですって話し合いになり。じゃぁやります。

【山下】いや、すごい話ですね。今、この年になってからやっと思えるんですけど、お金はあとでなんとでもなるような気がします。

【長田】そうですか。

【山下】でも、この年になるまで分からなかった。だからそれは本当に怖いことだと思うし。暮らしていけなくなるかもしれないっていうリスクがあるから、それはすごいなと思いますけど。

【長田】まぁでも本当に公演ってやはり1回旗揚げを初めちゃうともう2回3回っていうのは。

【山下】そうですね。てがみ座でまたやるんですかって話になりますもんね。

【長田】あともう1年後の劇場の予約を取り続けなきゃいけないっていうと、途中で活動辞めるのも大変になっちゃうので。自分だけの問題じゃなくなっちゃってるっていうのもありましたね。

【山下】このポッドキャストもそうだけど、やはり始めたらずっと続けないとだめですよね。ちょっとてがみ座のホームページをお出ししますけど。こんなのなんですけど。本当にもう何年目ですか、これ。2009年とか。12年ぐらいですよね。

【長田】ちょっとコロナで公演中止にしてから今1回お休みをしているんですが。

【山下】扇田さんとはたまたまそれで会ってっいて。あれ、ちなみに、扇田さんのお父さんって扇田昭彦さんって有名な朝日新聞の記者で劇評家だったんですけど、お会いになったことはありますか?

【長田】もちろん扇田さんが助演してからは。

【山下】あ、そっか。見に来ていらっしゃったのか。

【長田】えぇ。何度も見に来てくださって。

【山下】本当に舞台に対する愛が。

【長田】そういう意味ではすごく親戚みたいに思ってくれていましたね。

【山下】ちょっと早すぎましたね、お父さんね。

【長田】逆に、近すぎるから書けなくてごめんねって、すごいおっしゃっててくれてて。

【山下】分かります。ぼくは、劇評の学校に行こうと思ったのは、本当に扇田昭彦さんの朝日新聞の記事で。すごくたくさん演劇を見出すきっかけになったのが、KERAさんの創作されたナイロン100℃の『フローズンビーチ』の朝日新聞の劇評。この劇評を見て、なんだこれはと思って、見に行ってそれが紀伊國屋ホールで35歳ぐらいのときかな?それで、またものすごく演劇を見に行くようになったんですね。

【長田】やっぱりすごい勇気をくれますよね。

【山下】いや、だから扇田さんの文章だけで本当に。

【長田】なんかすごく旗揚げ公演直後で、「いいものはいいよ」って認めてくださったりとか世界に誰か一人でも認めてくれる人がいるってだけで次も書ける力になるというか。

【山下】あ、ぼくもそう思います。この、『みんなで語る小劇場演劇』もそういうメディアになっていけるといいなと本当に思うので、こういう人いいよっていう方がいたら紹介してください。そしたらちょっと呼んでここでお話をして、ぼくもいいなと思ったらどんどん広めていきたいと思います。

【長田】本当に、見てるよとか褒めてくれる人がいるだけで。

【山下】うれしいですよね。

【長田】無駄じゃないっていうか、どっかに届いてるって思えるから。

【山下】表現者って、そういうところありますよね。お金じゃなくてそれだけでいいっていうのがちゃんとありますよね、本当に。ちょっと、もう時間があれなんですけど。長田さんわりとその評伝劇が結構多くて、ぼくもすごいたくさん見て面白かったんですけど。

 テキスト起こし@ブラインドライターズ
 (http://blindwriters.co.jp/)

---- 担当: 藤本昌宏 ----
このたびはご依頼いただき誠にありがとうございました。
演劇には元々興味がありましたが、評伝劇というジャンルについては、今回のお仕事で初めて知ることができました。お話しを書き起こしていた最初の頃は、評伝劇とは単に偉人や昔の文筆家の生涯に関するお話なのではないかと思っていたのですが、「既に本になっていることではなくて、自分なりの着眼点で書こうと思った。」という長田さんの言葉を聞いて、ただ歴史や人生をなぞる演劇ではないのだと分かって勉強になりました。また、偉人や文筆家といった人たちの、「器を使って伝えたいことを伝える」という長田さんの言葉も印象的で、全て一から自分で考えるのではなく、そういう先人たちの考えも使って創作をすることの意味についても考えさせられました。
そして、私も趣味で小説を書いているので、最後の辺りで出てきた、「いいよって認めてもらえるだけで表現者は幸せである。」という言葉に大変共感しました。
またのご依頼を心よりお待ちしております。

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