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【POD CAST書き起こし】三鷹の森元さんに演劇プロデュースのことを聴いてみた:全5回(その1)つかこうへいさんとの思い出
【山下】皆さん、こんにちは。『みんなで語る小劇場演劇』のお時間です。この番組は、普段は総合映像プロダクションに勤める小劇場好きが大集合、小劇場をたくさんの人に好きになってもらうために、あの手この手で勝手にPRを頑張る番組です。ということで、森元さんお久しぶりです。
【森元】どうも、よろしくお願いいたします。
【谷】去年の12月以来になります。
【森元】12月でしたかね。
【谷】12月7日に収録を行いまして、本当は1月にやる予定だったのが緊急事態宣言で急きょ中止にして。
【山下】緊急事態宣言でちょっと延びてしまいましたけど。ポッドキャスターを務めるのは、私MCの山下と……。
【谷】谷です。よろしくお願いします。
【山下】うちの谷さんと、前回に引き続きゲストの三鷹市芸術文化センター……正しくは法人名はなんと言うんでしたっけ?
【森元】公益財団法人三鷹市スポーツと文化財団。
【山下】というところの森元さんに来ていただきました。そうだ、「公益財団法人三鷹市スポーツと文化財団」ですね。
【森元】はい、大丈夫です。
【山下】ということで、前回は森元さんがこの公益財団法人三鷹市スポーツと文化財団に入って、公演をいろいろ始められるところまでお話をさせていただいたんですが。ときどきこのスライドを見ながら話をしていきたいと思いますけど、ちょっと最初のスライドを出してみてもらえますか。これで1996年から99年にかけてということで、つかこうへい、南河内万歳一座、エル・カンパニーなどをやったそうですが、最初にやってたものということで、これ森元さんからいただいたメールを書いたんですけど、どんな、なんか思い出とかございますか?
【森元】まあ、この間も言ったかどうかちょっとそこを忘れてまたしゃべるかもしれないんですけど、そのオープニングフェスティバルの中に若手の劇団を一つ入れたんですね。そしたら、その若手劇団、下北沢で前回公演千人集客があったんだけど、うちでやったら700になっちゃったんですよ。で、当時、今からが期待される小劇場の劇団を公立ホールにお呼びして公演ごとやってもらうというものはあまりなかったんで。なるほど、三鷹のホールできたばっかりだし、あとやはり駅からも遠いし知名度もないので、若い劇団には……なんて言うんですかね、ご迷惑をかけてしまうかもしれないな、と。勢いを止めてしまうのは良くないなと思って。その劇団のことも結構頑張ってはやったんですけど、ちょっとお客さん落ちたので、1回ちょっと若手の劇団を招聘(しょうへい)するというのはペンディングにしたんですね、私の中で。それで、知名度があるけれども自分はこの舞台はいいなという芝居、しかも三鷹だけでということを目指して、いろんな劇団、自分がそれまでに見てていいなと思った舞台、劇団にお声をかけて、「ぜひ三鷹でやってもらえませんか」という時期が、この感じですね、はい。
【谷】最初が、つかこうへいさんだったわけですか?
【森元】これ、同時並行だったんですね。これ以外にも、この間ちょっとお話ししたシティボーイズもやってましたし、あと星屑の会といってラサール(石井)さんの公演を三鷹だけでやるとか、いろんなことをやりましてね。で、お客さん結構来てくださったり、やはり三鷹しか見れない、「この公演をやるんだな。この公演を見ようと思ったら三鷹に行くしかないんだな」というふうなこと。あと一生懸命プレスリリースという、マスコミの方、雑誌社とかそういうところに「今度この公演を三鷹で」とやったときに、やっぱりどこでもやっている公演ってそうそうは取っていただけないんですけど、三鷹だけということになると雑誌とか。今はネットとかありますが、当時は雑誌、新聞がメインでしたから。
【山下】そうですね。その時代はまだそうですね。
【森元】はい、ですから雑誌社、新聞社に記事にもしていただいたりして、結構お客さん来ていただいたので……というのが3年ぐらいやっていたということですね。
【山下】中でも森元さんの思い出深い公演はなんですか?
【森元】思い出深いのは、つかこうへい先生かなあ。
【山下】これは、つかこうへい先生も自らいらっしゃった?
【森元】もちろん。つかこうへい先生作、演出ですから。で、私は高校のころは広島にいて、当時つかさんの本は文庫本でたくさん出てて。
【山下】出てましたよね、角川文庫。
【森元】角川文庫でね。本当に面白くて。それで大学入ったら、東京に行ったらつかさんの舞台を見たいなと思ってたんですが。当時つかさんの公演が広島に来るってことはなかったですから。ただもう文章の切れ味が……。
【山下】すごかったですからね。
【森元】もう半端ないんですよね。小説ももちろんすばらしかったですけれど、エッセーとか本当に読めば読むほど元気になるっていうか、「こんな文章あるんだ」みたいな感じだったので。つか先生、私が東京に来たころには、劇団1回休んでおられた時期だったんですよ。すごい残念に思ってたんで。
【山下】北区ができる前。(※「北区つかこうへい劇団」1994年4月に結成)
【森元】そうですね。私が大学の2年ぐらいかな、『今日子』っていう芝居で、岸田今日子さんを使って独り芝居かなんかでおやりになるというのが、つか先生が久しぶりに復活される最初だったのかな。それとかもう一生懸命並んでチケット、みたいな感じでございまして。北区をやられるようになってからつか先生のお芝居をいくつか見に行って。この『ロマンス』というのは「いつも心に太陽を」ってセリフが本当にいいし、素舞台でも本当にこんなに熱い舞台って作れるんだなっていうのをいくつか拝見して。もちろん風間杜夫さん、平田満さんに届かなかったんですね、私は。それが本当に見たかったですけども。だから北区の若手の人が本当に体を張って目いっぱい頑張っておられて、その公演を見せていただいて、ぜひ三鷹でということになりました。そしたら、ここに書いてあった『青木さん家の奥さん』、これが前の週にあって。
【山下】この南河内万歳一座、スライドにある。
【森元】これも私大好きな芝居で、アドリブのお芝居ですけど。お呼びして、その翌週がつか先生の『ロマンス』だったんですね。そしたら、その『青木さん家の奥さん』がいよいよ始まるかなっていうころに北区のつかこうへい劇団から電話が鳴って、「森元さん、電話です」と。「はーい」と言ったら、「芝居出来上がりました」って、「ああ、良かったです。再来週からお待ちしています」って言ったら、「ちょっとつかが、芝居が濃すぎるから、ちょっとオアシスが欲しいから森元さんに出てもらうように言ってくれ」って言われて。
【山下・谷】ははははは(爆笑)。
【森元】言われて、だから城山羊(しろやぎ)の会の前に出演したのがもう1回だけここがあるんですよ。
【山下】そうなんですね。
【谷】ここがデビューですか?
【森元】デビューって言わないでください。出さされた。
【山下】(爆笑)
【森元】これと2回だけなんですけど、本当に。
【山下】すごい思い出ですね。
【森元】で、断ったんですよ。1回断ったんですよ。「無理です」と。今は実は3人で三鷹の公演担当しているんですけど、その頃まだ私一人だったんです。
【山下】ああ、忙しいですね。
【森元】本当に一人って、今考えたらどうやってやってたんだろうって。当日清算やって、当日券やって、影アナやってみたいな。これどうやってやってたんだろうというぐらいの時期で、つかさんの事務所の方に「無理です」と。
【山下】マンパワー足りなすぎると。
【森元】「ちょっとお客さんが。すみませんが」と言って、その前に北区の職員の人が出てられたのも見てたんですね。同じような感じで素人を一人配置して。
【山下】北区つかこうへい劇団で職員が出ていたんですか。
【森元】出てる。そういうときもあったんですよ。
【山下】えー? 過去に事例があった。ふーん。
【森元】ありました。だから、「うわっ、え、俺に?」みたいな。僕は本当に役者できないんで断ったんですよ。
【山下】(笑い)
【森元】したら、また1時間ぐらいして電話が鳴って、「北区つか劇団から」って。「また電話鳴ったなあ」と思って出たら、「つかですけど」。うわっ、本人だ、本人だ。
【山下】本人が。俺が口説くと。
【森元】「森元さん出ないなら、この芝居やめるよ」。うわーー! みたいな。
【山下】うわー、すごいな。
【森元】それで「分かりました。じゃあ、とりあえず稽古場行かしてください」って言ったら……このお芝居ご存知ですかね? 高校の水泳部の男の子たちの話なんです。コース台が1から8って書いて、その上にみんな立って。
【山下】『ロマンス』、僕何回か見ました。割となんかボーイズラブ的な要素が結構あるんですね。
【森元】そうなんですね。男と男が愛し合うというお話ですけども、その水泳の高校総体の話のシーンで、「8コースに森元さんは立ってください」と。
【山下】結構重要な役じゃないですか(笑い)。
【森元】で、なんて言うんですかね、「あした、海水パンツを持参してきてください」って言われたんですよ。海パンなんて、競技用なんて持ってないし。それで店に行って試着室で……こんな太っているでしょう、なんかもう試着室で泣き崩れそうになるんですよ、僕。
【山下・谷】(笑い)
【森元】いやいやいやいやいや、いやうそーと思って。競泳水着ですからね、男性用の。うわーと思って。
【山下】昔はピチピチのやつだったからね。今は膝ぐらいまでのやつが競泳だけど、今は全然違いますもんね。本当ビキニ型のやつですもんね。
【森元】ビキニ型で。本当泣き崩れそうになって。結構高いんですよ。ああいうちゃんとしたやつだから。もちろん自費で買っていって、8コース。で、最初1回、できてるのを見せてもらって、「じゃあ、8コース森元さん立って」と言ったら、その段階で一人の俳優さん降りているわけですよ。昨日まで8コースやってた方が。
【山下】そうなんですか。
【森元】おかしいでしょう。はっきり言って。
【山下】その人はそこで見てるんですか?
【森元】うん、そうそう、わきに行ってね。
【山下】結構辛いですね。これはつかさんのなんかすごいエピソード。
【森元】「いや、申し訳ないなあ」と思って、ヤマヌマさんにやってもらって、8コース立ってもらってって言って。つか先生口立てなんで。
【山下】そうなんですよね。これ、有名ですよね。
【森元】有名で。
【山下】口立てでセリフをこういうふうに言ってくれ。それちょっとぜひ聞きたいんですけど。
【森元】僕はあれですよ、すごい簡単だったんですよ。
【山下】どんな感じでやられるんですか?
【森元】ポンとセリフ言われて、「この通り言って」みたいな。
【山下】じゃあ、オウム返しにやってくれみたいな。
【森元】そうです、そうです、そうです。
【山下】ああ、なるほど。
【森元】「お前誰」とつか先生が言ったら、私が「お前誰」と言って、「三鷹市芸術文化センターの森元です」、「三鷹市芸術文化センターの森元です」と言って、ある人が「なんでここにいるんだ」と言ったら、僕のセリフで「つか先生に出させてくれって言いました」とか言って。そんなことは全然言ってないんですよ。
【山下】いや、面白いなあ。
【森元】そのあとにラインで、西城秀樹さんの『Y.M.C.A』に乗せてラインで8人で踊るダンスシーンがあって。
【山下】ああ、なんかありましたね、ダンスシーン。
【森元】例えば私は本当に役者できないですから、一人で踊って下手で笑われて引っ込むんならまだしも、8人でラインなんですよ。僕だけ間違えるわけにいかない。で、床に寝て1、3、5、7の人が足を開いて、2、4、6、8の人が足を閉じて、開いて閉じてがもう芝居はできてるんですよ。それで僕だけいきなりで、1分半ぐらいあるのかな。「これ今度、来週月曜日までに覚えてきてください」って言われて。
【山下】(笑い)すごいですね。
【森元】そこから『青木さん家の奥さん』の公演がうちで始まるから。
【山下】あ、そうか。それもやらないといけない。
【森元】毎日従事して、当時は打ち上げももちろんあって。日替わりゲストのある芝居だから必ず打ち上げもあって。
【山下】夜、必ず。演劇人は多いですよね。
【森元】まあ多いですからね。夜中の12時とか1時に家に帰ってから、次の朝、劇団の人は夕方4時入りとかですけど、僕は朝の8時とか8時半から出社だから、1時ごろに家に帰ってから稽古が始まるんですよ。『Y.M.C.A』。
【谷】独り稽古ですね。
【山下】(笑い)
【森元】独り稽古ですよ。だから、3回ダンスがちゃんとできたら寝るみたいな。
【山下】おー、なるほど。
【森元】いや、芝居壊すわけにいかないんで。だから、隣の人はたぶん気が狂ったと思ったと思うんですよ。ずっと『Y.M.C.A』かかってて。
【山下】音楽流しながらやるわけですね。
【森元】そうです、そうです、そうです。
【山下】鏡をちょっと見て。
【森元】そうですね。次の週月曜日に行ってですね、火曜日からつか先生小屋入り、三鷹のための小屋入りだったんですけど、月曜日に行ったら「森元さん、赤ふんどしで」って言われて。
【谷】ははははは(笑い)。 すごいですね。
【山下】水着でなくて。
【森元】水着、高い値段出して買ったんですけど、赤ふんどしになって。そこからまたセリフがどんどん増えていくんですけど。そのあと先生と車に乗せられて、「ちょっと食事行こう」みたいに言われたんですけど。他にも役者さんとか乗っておられたんですけど、「森元さん、あそこでこう言って」ってどんどん言われるんですよ。俺は本当に役者だと自分で思ってないので、「先生、本当にそれぐらいにしていただいて」みたいに言ったら、あとで役者さんが「先生からセリフもらって断る人、初めて見た」とか言われて(笑い)。いやいや、僕は役者じゃないから。で、先生に一つだけお願いしたんですよ。「最初の20分と最後の20分だけは出番やめてください」と。
【山下】劇場仕事がありますからね。
【森元】はいはい、遅れ客誘導とか。アルバイトさんにやってもらってもいいんだけど、やっぱり責任者は僕ですから。言ったら先生「分かった」とおっしゃったんですよ。
【山下】分かってない、分かってない、絶対分かってない(笑い)。
【森元】おっしゃったのに、始まって2分で出番があるんですよ。
【山下・谷】(笑い)
【森元】だから。
【谷】無理ですね。
【山下】分かってないですね。いいね、つかさん。
【森元】そうなんですよ。「森元さんにあのシーンやってもらって」って言って、始まって2分で赤ふんどしで裸で出て蝋燭垂らされるって、もうわけわかんないでしょう。
【山下・谷】(爆笑)
【森元】それで、だからしかたなく開場時間がありますよね、30分前。その開場が間もなく来る10分前ぐらいに劇団の人に赤ふんどし……ちゃんと東京衣装と書いてありましたから。締めてもらって、赤ふんの上からスーツを着て。
【山下】あ、そうか。すぐ脱げるように。
【森元】そうです。客入れして、遅れ客とか入れて、「じゃあ行ってくるから」って言って楽屋の廊下で脱いで、なんかもう服が点々としているような感じで。
【山下】いつもスーツでネクタイですもんね。
【森元】そうです、そうです。そのまま出てみたいな感じで。
【谷】(笑い)
【山下】いや、すばらしい。
【森元】そう、口立てという点では、例えば出番が近づきますよね。そうするとつか先生が僕のところに寄ってこられて……。
【山下】袖にいらっしゃるんですか?
【森元】つか先生、楽屋でモニターで見ておられたんです、いつも。客席じゃなくてモニターで。音は流れてくるし。で、見ておられて、そしたら僕のところに近寄ってきて、「森元さん、次のセリフこれに変えて」って言われるんですよ。で、「はい」とか言って、「これ、こういうふうに言って」と言われて、「はい」って言って、出ていくでしょう。で、そのセリフ言ったらびっくりするのは……。
【山下】俳優たち。
【谷】周りは知らないですからね。
【森元】森元さんが間違ったとしか思ってないんですよ。
【山下】面白いですね、わざとそういうことを。
【森元】そういうのはありました。
【谷】森元さんの出番は初日からずっと?
【森元】はい、最初の2分のところと、1回引っ込んで今度25分目ぐらいのところでコースロープのシーンがあって、最後のほうで、初めてゲイバーに連れて行かれる高校1年生の男の子って、もう無理があるでしょう。
【山下・谷】ははははは(笑い)。
【森元】30越えてるんですよ。
【谷】別の役なんですか?
【森元】別の役ですね。
【山下】2役やられたんですか?
【森元】3役。3役になるんじゃないですか。遊ばれてただけです、本当に。
【山下】いやいや、面白いですね。
【森元】そんでね、なんだったかな。チャイナドレスみたいなのを着せられて。
【山下】割と女装もするんですか?
【森元】そうそうそう。最後残り5分のシーンは。「ラスト20分は勘弁してください」って言ってるのに、残り5分で出番があるんですよ。
【山下】さすがやわあ。
【森元】それで少しでも近づけるようにといって、なんかマニキュアされたんですよね。しばらくするとペディキュアまでされて、「いやいやいや、なんかおかしいな、これは」と思って、そのマニキュアとペディキュア落とす時間がないから、引っ込んであと3分ぐらいしかないから、もう一気に着て「ありがとうございました」って言ったら、お客さんがみんな笑いながら帰っていくわけですよ。「さっきの人だよね」。
【谷】(笑い)
【山下】出てる人ですからね。
【森元】終わって打ち上げもあったりして、深夜になるからタクシー乗ってて、ふっと気づいたらペディキュアしたまんまとかね。
【山下】取るの結構時間かかりますもんね。
【森元】「あ、今これ俺事故って死んだら、親泣くかなあ」とか思いながら(笑い)。
【谷】(笑い)
【山下】大丈夫です。今だと全然大丈夫です。
【森元】大丈夫ですね。
【山下】今はもうマニキュア、ペディキュアしている男の人結構増えましたからね。
【森元】だから、そういうつか先生のいろんな、ね。
【山下】いや、すごいエピソードですね。
【森元】いや、そうですね。他にもいろいろ本当につか先生には良くしていただいて。やっぱり北区とも組まれたり大分とも組まれてたり。
【山下】あ、そうなんですか。
【森元】だからやっぱり、お芝居に情熱があるよっていう自治体から声かかったら、すごい大事に考えてくださって、うちはご一緒して劇団をやるってことはなかったですけど、「『ロマンス』、『いつも心に太陽を』という芝居が、すごくいい芝居だと思っているんで、ぜひ三鷹で」と言ったら、分かってくださって3年連続ぐらい。
【山下】あ、そうですか。
【森元】その前には『熱海殺人事件』とかもやっていただいたりとかしましたけど。やっぱり今読んでもいいセリフ多いなあっていう作品なんで。つか先生との思い出はそれだけで2時間いってしまうぐらいたくさんあります。
【山下】本当ですね。
【谷】ぜひ僕もつか戯曲見てみます。
【山下】ぜひぜひ、面白いですよ。
【谷】この間、熱海は見ましたけどね。大池容子さんのやつは見ましたけど。面白かったですけどね。
【森元】『いつも心に太陽を』という戯曲とか。
【山下】文庫本になってますよね。
【森元】あとは、『広島に原爆を落とす日』とか。小説でも本当に面白いですし、あとは『つかへい腹黒日記』っていうエッセー集とか。
【山下】そんなのがあるんですね。
【森元】あります。これは『つかへい腹黒日記 part2』とか、『つかへい腹黒日記』、その辺のエッセーの切れ味はちょっとたまんないです。
【山下】ある種天才ですよね、言葉の。本当に。
【森元】幻冬舎の見城(徹)さんとかもデビュー当時、当時つか先生の担当の角川の名物編集者。
【谷】その流れですからね。
【山下】角川書店から出て、見城さんは幻冬舎をお作りになったんですよね。(角川)春樹さんとのつながりもあったからということでしょうけど。
【森元】だからなんて言うんですかね。のちに見城さんとかテレビで見ると、僕とかは「あのつか先生のエッセーで出てきた方……」みたいな感じでしたね。
【山下】なるほど、なるほど。そこに見城さんが出てくるんですね。
【森元】今でも全然色あせないというか、つか先生の本はすばらしいなあと、はい。
【谷】勉強してみます。
【山下】いやいや、ありがとうございます。
【森元】いえいえ。
【山下】僕もつかこうへいは、本当最初に面白いなあと思ったのが、劇団☆新感線がやったときの『熱海殺人事件』があって。渡辺いっけいさんがまだいらっしゃったとき大阪で見て。だからつか先生のおかげでございます。本当に私が演劇を好きになったのは。
【森元】新感線とかも最初はつか先生の作品を結構やっておられて。
【山下】そうなんですよね。いのうえひでのりさんが演出です。
【森元】そういう中から自分たちの機軸を打ち出されて、ということなんで。
【山下】だから、つか先生が本当に演劇界に波及したパワーといったら、ある種すごいものがありますね。
【森元】全然違いますよね。セットもなく、役者を見てもらうんだみたいな。
【山下】そうですね。俳優と言葉だけの力で。
【森元】本当か嘘かは分かりませんけど、『蒲田行進曲』の銀ちゃんのこと、それを舞台にするときも階段を最後まで作らせなかった。階段を作る準備だけはしてた。それも本当かどうかエッセーで読んだだけですけども、最後作らずに、階段がなく階段落ちを表現できるのが役者だ、みたいな感じでやっておられたから、やっぱりそういう芝居の本質的なところの……。
【山下】想像力の中で。
【森元】想像力なんだということは、本当につか先生が一時代を切り開かれたかなと思いますね。
【山下】いや本当そう思います。何年か前に『つかこうへい正伝』というつかこうへいの評伝の本があるんですよね。これものすごく面白かったです。そのときに、さっき森元さんがつか先生にいろいろいじられたようなことを、割と普通に平気でやって。本当に口立てで言葉でやるので、もうどこからああやって湧いてくるんですかね、あれ。
【森元】うーん、そうですねえ。
【山下】それはすごい。どんな感じですか?
【森元】いや、本当にボン、ボン、ボン、みたいな感じだったですよ。おそらく若いころはもっと。私のころは、もう元があった上でのセリフだったんですけど、僕は新作を口立てっていうのは経験してないですから。
【山下】そうか、ゼロイチで口立てはすごいですよね。どんな感じだったんでしょうね。
【森元】新作の口立てのころの切れ味は見てみたかったですよねえ。
【山下】本当ですよね。いや、本当につか先生はすごいと思います。シアターコクーンでつかさんの芝居をやったときに、亡くなった年だったかな、最後に暗転してポーンとスポットライトが当たったら、椅子の上につかさんの写真が……。すごい、感動しました。
【森元】あ、そうですか。拝見してない。ああ、なるほど。
【山下】いや、本当それはすごい拍手が出て。
【森元】やっぱり、つか先生と仕事した人はみんな付いていきたくなるというか。
【山下】そうですよね。でも人間としては、正伝とか読むとむちゃくちゃな人でもあるじゃないですか。
【森元】いや、でも優しい方。僕とかは劇団員じゃないから、また本当に優しくしていただいたんだろうなとは思うんですけど。
【山下】そこも裏腹みたいなのが絶対あったんでしょうね。むちゃくちゃだけど、やっぱり愛で包んでいくみたいな。
【森元】そうですね。
【山下】そこが作品にも出てるような。だって『蒲田行進曲』がそうじゃないですか。好きな銀ちゃんの命令でヤスが小夏と結婚すると言う構図で本当にマゾヒスティックなことを楽しむというようなことが行われてて。
【森元】まあよく僕とか伝え聞いて、それもあとから伝説として付けられたことかも分からない。私のは本の知識だけなんですけど、誰か役者の親が見に来るって言ったら、その人のセリフが増えるとか、というのは(笑い)。
【山下・谷】ああ、なるほどね。
【山下】分かる、分かる。そういう家族的なところがあったんですね。
【森元】あとは、僕がすごい覚えているのは、先生は稽古のときはむちゃくちゃおっしゃっていたということは経験したことはあるんですよ。僕が8コースの上に行ったら、僕には全然何も怒られないですよ。ですけど他の役者は、それこそ今だったらあれなのかもしれないけど「やめちまえ」みたいな。
【山下】パワハラ的な?
【森元】パワハラは僕の見た限りはないですけど、「なんべん言ったら分かるんだ」みたいなそういうセリフはありました。殴ったりとか全然なかったですよ。言葉でも、今で言うパワハラほどのことはなかったけど。灰皿とかも全然飛ばなかったし。
【山下】じゃあ、そこは昔の蜷川先生とは……(笑い)。
【森元】とにかくそのなんと言うんですか、厳しい言葉は言っておられた。そして本番でもそれができなかったり、ミスをした役者さんいたけど、打ち上げあるじゃないですか。「お前、あそこは良かったな」とかしかおっしゃらないんですよ。で、制作の方に「先生って駄目出しとかは?」って言ったら、「駄目出しは、つかはほぼやらないです。つかは終わったあとは絶対怒らないです」って。その前まではいろいろ言うけども「あそこ良かったな」、「あそこミスってなかったよ」みたいなぐらい褒めるし。最初だけ出て、私がお仕事したころは北区の若い役者さんでしたから、最初だけ出て乾杯して一通り今日ごとの「あそこな……、今日お前の彼女来てたんだって?」とか言ってわーっと笑わせて、ふっといなくなっちゃう。「じゃあ」って言って。あとはお前たちでって。俺がいつまでもいたらお前ら楽しく飲めないだろうみたいな感じで。
【山下】かっこいいですね。
【森元】かっこ良かったですねえ。
【谷】そうやって役者さんも育つんですよね。自信を持つんでしょうね。
【山下】そうですね。最初やる前までは結構厳しい。終わったらそれはプラスに転じさせて。
【森元】「あそこ良かったな」とかおっしゃっているのは、よく聞きましたね。
【山下】そのころって、つかさんおいくつぐらい?
【森元】いや、すいません。つか先生は……40代か50代に手届くかぐらいじゃないですかね。
【谷】亡くなったのは2010年でしたね、確か。(※2010年7月20日)
【山下】そういういろんな経験をされてたから、その歳でそういうふうにしてあれになったんだな。
【森元】これでつか先生だけでこんだけしゃべってしまって、今日もまた次回とか言うようになる前に(笑い)。
【山下】今日は巻いていきますよ。
【森元】分かりました。本当にすいません。山下さんと谷さん、お話がしやすいし、私がしゃべり過ぎてしまう。
【谷】こういう話がいいんです。
【森元】そうですか。
【山下】つかさんの話は、本当に……生前のつかさんとなんかやってる人(の話)はものすごく聞きたかったんです。
【森元】あ、そうですか。
【山下】本当に。本も読んですごい興味持ったんで。
【森元】いくらでも(笑い)やります。
【山下】ありがとうございます。
テキスト起こし@ブラインドライターズ
(http://blindwriters.co.jp/)
---- 担当: 橋間 信市 ----
今回の番組を拝聴して、もちろん演劇界で活躍されたつか先生のことは存じ上げていましたが、そのお人柄や今回お話しされていたエピソードなどは全く存じ上げていませんでした。つか先生の著書をぜひ拝読してみたくなりました。
ご依頼ありがとうございました。