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【PODCAST書き起こし】桂米朝師匠を中心に上方落語について江戸に住んでいる和田尚久、三浦知之が語ってみた(全6回)その5
【PODCAST書き起こし】桂米朝師匠を中心に上方落語について江戸に住んでいる和田尚久、三浦知之が語ってみた(全6回)その5
【三浦】山下さんって上方出身じゃないですか。
【山下】はい。僕、大阪なんですけどね、はい。
【三浦】上方落語のことで何か。
【山下】いや、今お二人の話を聞いててすごく思ったのが、江戸は散文で上方は韻文だと。で、浄瑠璃とかも聞いていると、「いやぁ、こんなところになんとかが」って言うじゃないですか。あの七五調が、関西弁とすごい近いなあっていうふうに思ってて。
【三浦】あ、そうなんですね。
【山下】だからそれが歌うような感じに聞こえてくるんじゃないかな。で、逆に上方じゃないご出身の和田さんと三浦さんにお伺いしたいのは、関西弁でやってるじゃないですか、上方は。僕は大阪の出身なので、昔、関西弁っていう言葉にすごく違和感があったんです。関西弁ちゃうで、大阪弁ですよ、僕しゃべってんの。京都弁ともちゃうし、神戸弁ともちゃうし、和歌山弁とも違うって言ってたんです。それで僕、東京に出てきて長くなったから、今は関西弁って言えるようになったんだけど、上方の落語は大阪の落語なんですかね? だからまあそういったのもなんか意識しながら聞いたりしてるんですけど、なんかその言葉のニュアンスが、僕、今関西弁でわざとしゃべってるんですけど、どういうふうに感じられるんでしょうか、というのをちょっと。
【三浦】私の場合はやっぱりもう、大阪弁も京都弁もしゃべれる人間ではないので。米朝さんの落語を音源で聞いてる時は、今も聞いててそうなんですけど、非常に気持ちがいいですよね。やっぱりこう、とんとんといく感が。まあ、そのとんとんといく感じ、志ん朝のとんとんじゃないんですけど、ある種こう、言葉を少しずつ引きずりながらも、非常に心地よく響きが展開してく米朝さんの……それはだからさっき和田さんもおっしゃってる、読み物として語り物として台本が完成されてるってこともあると思うんですけど。っていう印象ですね。だから、その関西弁うんぬんの話で言うと、私にとっては大変気持ちがよく、はい。割とかなり好きです。聞いてるのがやっぱり。
【山下】耳になんか馴染むっていう、それはさっきの和田さんがおっしゃった韻文とかに……。
【三浦】ああ、耳に馴染みますね。
【山下】近いんですかね?
【三浦】どうですか?
【和田】逆に伺ってみたいのが、米朝師匠って姫路の神社の息子さんなんですよ。それで僕は全然分からないんだけれども、上方落語の非常にディープなファンの人に言わせると、例えば松鶴なんかは大阪弁なんだと。
【山下】ああ、それは分かります。はい。
【和田】で、米朝さんっていうのは播州の人だから、あれは本当の大阪弁じゃないっていう言われ方があるんです。
【三浦】なるほど。
【山下】播州赤穂ですからね。
【和田】で、距離も多少ありますよね。
【山下】あります、あります。
【和田】それは違いって感じられますか? 米朝言葉の。
【山下】米朝さんの言葉は割と、なんか品がいい関西弁っていう感じで。割と神戸の人って「知っとうー」とかって伸ばすんですね。それは感じなかったです。だから割となんか北の方の北摂地区の大阪弁の品のいい言葉かなって。八尾の方とか行くと河内弁で「われ何しとんのやお前、ぼけぇ」みたいな感じなんですけど、そこは全然違ってて。だからすごく品のいい。で、うちのかみさんの実家のお父さん、播磨っていうんですけど、まさに播州の。で、そのお父さんは本当に米朝師匠が好きで、サンケイホールに毎月行ってらっしゃったりしてたんですけど。だから、その品の良さっていうのがやっぱりあって。枝雀とか全く違う、真逆のタイプでしたけど、どっちも受け入れられてるみたいなところはあったと思いますけどね。だからそんなに、むっちゃ大阪弁やないけど、播州の言葉に近いっていうふうにはちょっと僕は分からなかったです。はい。
【和田】なんかそういう言い方だから大阪……逆に言うと大阪の味が薄いっていうかね。
【山下】はいはいはい。
【和田】っていうのを聞いたことがあって、
【山下】それは分かります。ベタベタじゃないんですよ。だから品がええ、なんか割といい旦那さんみたいな感じ?
【三浦】品は本当感じますね。
【山下】むっちゃ品がいい感じなんですよ。それは、さっき言った大店もの……大店ものって基本船場なんですけど、船場の商家のお金持ちの人って、やっぱり船場言葉っていうのがあって。『細雪』とかそうじゃないですか。ああいうのをしゃべらはるので、やっぱりそれみたいなところをうまいこと吸収して自分のものにしはったんちゃうかなっていうふうに思うんですけどね。
【三浦】まあでもそうなると余計に、日本全国っていうか、いろんな人が聞いてもすごくこう、さっき私が言ったような気持ちがいいというか、聞きやすいし。
【山下】そうなんですよ。だから逆に、その作品化をしていったっていうのが割とそこはすごい客観的に視点としてお笑いになってて、上方落語ちゃんとやらなあかんな、っていうので。
【三浦】上質感はすごくありますね。
【山下】そうですね。だからそれはすごく思いました。だから定本? だいたい落語とか歌舞伎も口立てじゃないですか。口立てで教えて。つかこうへいさんもそうやったんですけど。口立てのものが言語化されてテキストになって、定本になって台本化されて、その台本だと誰が読んでも『はてなの茶碗』がおもろいという、ということになっていくというのがすごいおもろいなあと思って。それはある意味の革命者でもあるし、逆に江戸だと圓朝さんがそうだったのかもしれないんだけど、そういったものを感じました。今日伺ってて。
【三浦】創造者でもあるっていうことですよね。
【山下】そうですね、アーティストですよね。
【和田】そうなんですよ。だから米朝師匠が今、創元社ってところから本の速記集というのが出てるんですけど。活字で読む落語が出てるんだけど、これが本当にいい出来で。
【三浦】ああそうですか。
【和田】はい。この創元社は存命中に1回出てるんだけど、それを晩年にもう1回。内容一緒なんだけど、装丁とかを作り直してまた出したんですよ。これが出た時に、亡くなった香川登志緒さんって大阪の喜劇作家の方が、「上方落語が初めて活字になった」って書いてらっしゃるの。これ厳密に言うと、全然もう別に速記本ってあるし、「上方はなし」って本があってそこに速記が載ってたりするんだけど。ただ、香川さんが言わんとしたことを僕はすごくよく分かって。その時に初めて「テキスト」になったってことなんだよね。テキストっていうのは、みんなが使える。
【三浦】単なるこう聞き書きではなくて、ってことですね。
【和田】そうそうそう。だからしゃべったのを単にレコードしたものではなくて、みんなが参照できる定本ですよね。文字通りの「定本」であり、教科書になったという意味で、だと思うの。それが戦前の速記の昔の、誰かがしゃべりましたっていうのの記録とはちょっと違う部分で、だからやっぱり汎用性がめちゃくちゃ高いんですよ。それから米朝さんっていうのは……あの方は大正の14年生まれだったと思うんですけれども、あの世代にしては非常に珍しいのは、今の大東文化大学に来てたの。
【三浦】東京の?
【和田】東京の。米朝さん。
【三浦】大東文化大学? へえ。
【和田】当時違う名前なんですよ。大学じゃなくて大東文化学院みたいな名前だったんだけど、そこに来ていて戦時中そこで過ごし、正岡容(まさおかいるる)の家に遊びに行ったりとかしてた人なんですよ。
(※正岡 容は、作家、落語・寄席研究家。歌舞伎役者の六代目尾上菊五郎の座付作者ともいわれた。)
【三浦】正岡容、はい。
【和田】だからあの世代の人で、二十歳前後の頃に東京で過ごしてる。東京のカルチャーの中でそういう人とも付き合い、例えば本も読み、あるいは東京の講釈の寄席が当時深川の方にあったんだけれども、そういうところに行ったりして、それを吸収して向こうに戻った。兵庫県に戻ったっていうのが。
【三浦】東京を知ってるんですね、すごく。
【山下】やっぱ異文化を知るっていうのは面白いですね。
【和田】そう。だからそこが松鶴や春団治と全然違うところで。そこ見る時に、いっぺん外国に行った人が故郷を見ている感じ。
【山下】まさに。まさに新渡戸稲造の『武士道』とか、まさにそうですよね。鈴木大拙の本とか。英語で書かれたそういったものを……日本文化を紹介するために、彼らは海外に行ったから英語で書いて紹介した。
【和田】鈴木大拙っていうのはそうですよね。
【山下】そうです、そうです。禅をそれで広めたし。
【和田】若い時から見る目がね、そこで。
【山下】そうです。
【和田】成立したってことです。
【山下】そうすると今の仮説だと、米朝師匠はやっぱり東京の、江戸の文化を見て「あ、こんなとこなんやな」っていうのが……大正の人やったらちょこちょこ残ってるやないですか、昭和初期の。
【三浦】いやあ、残ってますね。
【山下】ええ。そしたらこういうことか、ということでそれをうまいこときれいな関西弁にして、なんか作りあげていったんじゃないかなあと。
【和田】そうでしょうね。だから今の比喩でいうと、米朝さんっていう人は海外渡航した人に近いんですよ。
【三浦】海外渡航した関西人。
【和田】そう。
【山下】江戸という海外ね。
【和田】外国から見たらこういうふうに見えてるんだ、っていうのもたぶんその数年、4年間くらいで分かっただろうし、ということですよね。
【三浦】もしかしたら本当に外国くらいな感じだったかもしれないしね。
【山下】いやいや、あの頃はそうですよね。本当に。
【和田】ちなみに言うと、米朝さんって戦時中だから、大東文化大学……当時の学院かな……は卒業してないの。
【山下】ああ、多いですよね、あの頃。
【和田】兵隊取られたみたいなことがあって終戦迎えてるんですよ。ところが、一時期なぜか卒業ってなった時があって、みんな弟子とかが卒業してへんやんかとか言って突っ込んでたんだけど、最近また戻って。戦争によって最後までは卒業まではしてないんだけど、って。当時そういうケース多かったんだけど。
【山下】うちの父親が大正15年生まれなんですけど、九州工業大学の前身だった学校へ行ったら、そのあと戦争取られて、高知に帰ってきて代用教員やってたって。
【和田】ああ、そうですよね。
【山下】ほぼ米朝師匠と、14年生まれやったから1年違いなんで、ああそんなもんなんや。と。
【三浦】米朝さんって昭和少年ですもんね。
【山下】そうですね、だから二十歳くらいで終戦迎えてるのかな、だいたい。
【和田】そのぐらいの人ってそれが多いんですよね。学校自体もその時期最後はたぶんやってない。
【山下】そう、どさくさになってしまいましたからね、本当に。あともう1個、ちょっとお伺いしたいのが、大店ものは西が多いと。大阪ってあんまり武家屋敷なかったじゃないですか。お武家様が出てくる話というのはあるんですか?
【和田】それは逆にやっぱり東京が多いですよ。
【山下】やっぱそうなんですね。
【和田】侍ものは東京が多くて。基本的に例えば……あれですね、『蔵前駕籠』なんていうのがそうなんだけども。『蔵前駕籠』は浪人ものなんだけれども、御用金を、要するに旧幕派のほうの人たちがお金を得るために駕籠で吉原に行く人たちを刀で脅して、お金を巻き上げちゃうっていう話なんだけども、そういうのが出てきたりとか、あるいはその『棒鱈』なんていう話は……。
【山下】ああ、『棒鱈』そうですね、
【和田】侍と、たまたまその職人っていうか普通の庶民が、座敷でなんか隣り合って。それで喧嘩して、「侍怖くて田楽が食えるか」とか言って、啖呵切って喧嘩しちゃうみたいな話があったりとか。それはやっぱり江戸が多いですね。
【山下】やっぱり風土なんですね。
【三浦】茶碗の話にしても、こっちだと『井戸の茶碗』って、あれ武士もんですよね。
【山下】そうですよね、いい話ですよね、あれ。
【和田】あれはだから講談のから取った話なんですけどね、『井戸の茶碗』は。でもまあまあそういうことですよね。ああいうシチュエーションがあったっていうことで、で、侍ものは西も……だからそこらへんも世界観なんだよな。だから西の、浄瑠璃とか見たら侍って出てくるわけなんですよ。だから侍がゼロではなかったはずなんですけど、それをモチーフとして使ってないっていうこと。
【山下】落語では使わなかったってこと。
【和田】使ってない。だから非常に少ないです。
【山下】なるほどね。
【和田】東の方が多いです。それで東は、例えば今言ったように『棒鱈』っていう話もそうだし、『岸柳島(巌流島)』っていう話があるんですけど。
【三浦】『岸柳島』、はい。
【和田】あれも隅田川の渡し船のところにいろんな人が乗り合っている。ひとつの船にもう30人とか乗っているんだけど、侍がなんか威張ったことをする。
【三浦】そうですね。
【和田】それで、その、ちょっとクズ屋さんがいたりして、それを……要するにそっち視点なわけ。
【三浦】そうですよね、なんか落とすんですよね。
【和田】そう、雁首を落としちゃう。
【三浦】雁首を落とす。
【和田】それでトラブルになるんだけど、どっちかというと侍を「あんな狭いところで威張りやがって、あいつしょうがねえな」っていう視点で描いている。
【三浦】揶揄してる、庶民視点の。
【和田】庶民視点で描いてる。だからそういう意味では侍が……侍と、落語を聞く客層がずれてたんでしょうね。
【三浦】ああ、そうでしょうね、きっとね。
【山下】ああ、なるほど。なるほどね。お侍さんは「落語なんか聞かない」っていう感じだったんですかね、昔だったら。
【和田】でしょうね。だからそういう侍をからかったような話がある。
【三浦】なるほど。
【和田】っていうことだと思います。
【山下】あともう1個だけ。お話を聞いてて、江戸の話は刹那的であるというのがあって。上方はやっぱり家とか暖簾を継承していかないといけないから、ややコンサバになっていく。江戸はもう焼けたら、火事が出たら一瞬で無くなっちゃったりとか、あと参勤交代で割と短期移住者が多かったので、そういうところがあるのかなとか。それで、だから「宵越しの金は持たねえ」っていうのは、たぶん関西では言わないんですよ、それ。
【三浦】火事出たらもう終わりですもんね。江戸はね。
【山下】江戸はそうですよね。
【三浦】火事が出ても壊しやすいように作るっていう。
【山下】壊してましたからね、火事でね。
【三浦】なんだそれ、っていう。
【山下】壊してね。
【三浦】結局壊さないと類焼しちゃうから。あれも本当江戸独特の。
【山下】ね、本当に。
【三浦】文化なのか、そういう気質なのか。
【山下】でも日本人の気質になんかありますよね。なんかこう、全部無くなっていってしまうんじゃないかっていうような、それはすごい江戸の落語に感じるところかあるなあ。
【和田】そうですね、江戸はやっぱり火事ネタも多いですね。
【三浦】そう、火事ネタ多いですもんね。
【和田】確かにね。そう、「宵越しの銭は持たない」っていうのは、あれはなんて言うのかな、持ってもしょうがないっていう……。
【三浦】そうですね。
【山下】そうなんですよね、
【和田】価値観なんですよね。
【山下】ある、そういうね、諦念が。
【三浦】持ってても火事が出たらどうしようもないし、死んで地獄に持って行けるわけでもないし、っていうことですよね。
【山下】そういう意味じゃ、「今自分が生きているこの目の前のもの」みたいなところが、なんか禅の思想とかにすごい通じるなあと思ってて。
【三浦】今山下さんが言った諦念? 諦める? その感じは江戸はすごくありますよね。そうみんなに通じてるところ。
【山下】諦観が割と……僕は関西から出て来たんだけど、それはすごく興味があって、で、共感するんですね。もはや僕は関西人じゃないのかもしれないんだけど、なんかそこの良さっていうのは、やっぱり落語を聞いてるとだんだんこう、入ってくるのね。
テキスト起こし@ブラインドライターズ
(http://blindwriters.co.jp/)
担当:木村晴美
いつもご依頼いただきありがとうございます。
落語のお話の起こしは2回目になります。音源を聞きながら文字に起こしていると、みなさんの落語について語っているのが楽しくて、お話の中に出て来た演目を聞きたくなります。今回も、4席聞かせていただきました。
『はてなの茶碗』米朝さん、言葉のお話をされていて、私は東北人なので、関西弁はひとくくりで関西弁だという認識がありましたが、東北も、津軽もあれば仙台、福島、それぞれ違うように、関西にも違いがあるのだと分かりました。米朝さんの言葉は、聞いていても違和感なく自然にきれいな言葉で聞くことができました。演目も面白くて、出てくる人もいい人で良いお話でした。
『蔵前駕籠』志ん朝さん、駕籠やさんとお客さんのかけひきや、どうしても吉原に行きたいお客さんと感動して連れていくかごやさんのやり取りが楽しかったです。
『巌流島』(5代目)志ん生さん、渡し船での、威張ったお侍さんと、呑気でこっけいな庶民の様子、やりとりがおかしかったです。
『棒鱈』菊之丞さん、庶民とお侍さんの隣り合わせの宴会。言葉のなまりとお侍さんへの面白おかしい捉え方、
4席ともひとりで笑いながら聞かせていただき、みなさんのお話の中の伝えたいことが素人のレベルではありますが、なんとなく分かったような気がしました。
また楽しい落語を聞く機会をいただけたこと、うれしく思います。
ありがとうございました。