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Suchmos、Ryohu「GIRL feat.呂布」

今日の曲は、Suchmos、Ryohuの「GIRL feat.呂布」。

作詞はHSU・呂布。作曲はHSU。

Suchmos(サチモス)は、2013年結成された日本の男性ロックバンド。ロック、ソウル、ジャズ、ヒップホップなどから影響を受けた音楽性を持つ。

バンドメンバーは元々昔からの友人だった。HSUとTAIKINGは母親同士が友人、TAIKINGとOKは幼稚園の頃からの幼馴染、HSUとTAIKINGは同じ小学校、KCEEはOKの弟、TAIHEIはHSUが通っていた音楽大学の後輩という関係であった。YONCEは、高校時代のバンド活動でOKと知り合っていた。彼らはSuchmos以前にバンドを組んでいた。最初のバンドは、2007年にベースのHSU、ドラムのOK、ギターのTAIKING(当時はボーカル)、もう1人のギタリストAYUSTATの4人で組んだ「Ivory」だった。2009年に楽器店が主催するバンドコンテストで全国大会に出場し、その流れで音楽プロダクションに所属した。しかし、プロダクションへの所属はデビューへの道筋を示したり、音楽性を伸ばすものではなく、商業的な「売れ筋」にはまることを要求された。バンドを飼い殺し状態にし、何も生み出そうとしないスタッフの不誠実な態度にOKが反発したところ、スタッフはドラマーの交代をメンバーに提案し、OKは脱退。ほどなくHSUもやる気を失い、結果的にバンドは空中分解した。

YONCEは中学2年生でバンドに目覚め、2008年、高校2年生の冬にロック・バンド「OLD JOE」を結成。藤沢のライブハウスをたまり場にして、ライブ活動に打ち込んでいた。そんなYONCEとOLD JOEを2009年頃からOKはライブハウスや出演した学園祭で見ていた。Ivoryから離れてフラフラしていた時期にOKはYONCEとバンドについて話し込んだ。Ivoryの分解から3年後、HSUは音楽大学に進学。OKもHSUの影響を受けて音大に進むと、HSUと一緒に音大仲間の家で酒を飲みながら音楽を聴く時間が重なっていった。そんな中で、再びバンドをやるという話に展開していった。

2013年1月、HSUとOKは、AYUSTATとバンドを結成し、ボーカルとしてYONCEに声をかけた。新バンドとして初めてHSUが作った曲「Miree」を持ってスタジオに入った。OKから渡された譜面を見たYONCEは新鮮な印象を抱き、加入を決めた。バンド名は、ルイ・アームストロングの愛称「サッチモ(Satchmo)」が由来。バンド名を決めるよりも先に初めてのライブ出演が決まってしまい、YONCEが当時勤めていた都立大学のリハーサルスタジオで悩んでいたところ、そこのテレビモニターにアームストロングのライブ映像が流れてきた。それを見た大学時代ジャズを学んでいたHSUが「ルイ・アームストロングって“サッチモ”って言うんだよ」と説明。その響きを気に入り、バンド名に採用した。「ルイ・アームストロングはスキャットのパイオニアだから、自分たちも音楽的なパイオニアになりたい」という意図が込められている。なお、一部のファンがSuchmosを「サッチモ」と発音しているが、それは誤りである。また、メンバー間では、バンド名のアクセントを巡って議論がなされている。

2013年、後のバンドのマネージャーとなるSPACE SHOWER MUSICの金子悟と出会う。新人発掘の為に色々なライブハウスに足を運んでいた金子が、ある日会社からの命令で見に行ったライブで、目当てのアーティストが遅刻し、リハーサルの順番が変更になった。そこで先にリハーサルしていたのが4人時代のSuchmosであった。スケートボードを持ち込み、映像にもこだわっていた彼らに対して金子は「なんだこのクソ生意気なやつらは」という印象を抱いたが、ボーカルの声やバンドの雰囲気を気に入り、その後もSuchmosのライブに通うようになる。2013年の年末に新宿ロフトで行われたオールナイトイベントのパフォーマンスが良かったことから、正式に声をかけた。

2014年、マネージャーの勧めで、FUJI ROCK FESTIVAL「ROOKIE A GO-GO」に応募し、合格。同年7月26日に出演を果たし、トリを務めた。当時は積極的にライブ活動をしていたわけではなく、友人に誘われて月1、2回出演する程度で、Suchmosとして名前を上げるという強い意識も持っていなかった。しかし、このフジロックへの出演が『Essence』やアルバム『THE BAY』を作るきっかけとなった。2014年終わり、EPの制作に取り組み始めた。この時点ではEP単発での契約だった。

2015年4月8日、SPACE SHOWER MUSICよりデビューEP『Essence』を発表。同作から、KCEEが監督した「Fallin」のミュージックビデオが公開された。『Essence』の制作中、アンダーグラウンドの方向を目指したいAYUSTATと、メジャーの方向で勝負したい他のメンバーとの間で表現の違いが生まれ始め、フルアルバムのレコーディング直前、同年5月にAYUSTATが脱退。新しいメンバーとして、HSUの大学での後輩でサポートメンバーだったTAIHEIをキーボード、OKの弟KECCをDJとして招くとともに、以前のバンドではボーカルだったTAIKINGをギターとして再び呼び寄せた。

2015年7月8日、初のスタジオ・アルバム『THE BAY』を発表。このとき、SPACE SHOWER MUSICと正式にマネジメント契約を交わした。宣伝にあたり、マネージャーの金子はあえて音楽業界や音楽媒体を避けて、スタイリスト、アパレルのメディア担当者、セレクトショップの店長など感性が豊かで発信力のある人たちに「和製ジャミロクワイ」というコピーを添えてプロモーション盤を配った。アルバムはオリコン週間チャートで最高26位、Billboard Japan Top Albumsでは最高16位を記録。アルバムからのリード曲「YMM」は、Billboard Japan Hot 100で最高44位、J-WAVETOKIO HOT 100では最高2位を獲得。同年12月、Apple Musicがとりわけ優れた音楽作品にスポットライトを当て、その素晴らしい音楽体験を称賛する、年に1度の特集企画「Apple Music Best of 2015」のベストニューアーティストに選出された。12月12日、六本木 Super Deluxeにて初の自主企画イベント「Suchmos The blow Your Mind vol.1」を開催。Suchmosが尊敬するアーティストを招いて定期的に開催する自主企画であり、第1回のゲストとしてSOIL&"PIMP"SESSIONSが出演した。

『THE BAY』製作時に、正式なバンドロゴが制作された。デザインを担当したのは、以前からマネージャーの金子と一緒に仕事をし、その流れで『Essence』のデザインを手がけたアートディレクターの佐藤穣太である。それまでバンドは、『Twice-Day&Night-』の時はKCEEが手掛けた書き文字テイストのロゴ、『Essence』の時は佐藤が「バンド周辺にグラフィックデザイナーがいるはずだから、その人に頼めばリアル感が出るのでは?」と提案し、金子がイラストレーターのYUGO.に依頼して制作されたロゴ、『Miree / Pacific』の時は佐藤が手掛けたMLBチームロゴに影響を受けたメトロ・スクリプトという書体を使ったロゴを使っていた。『THE BAY』の時に、佐藤に再びバンドロゴの依頼がきた。『Miree / Pacific』の時のロゴが野球のイメージに寄っていた為、彼らの武骨な感じを盛り込みつつ、普遍性も加えたいと考えた佐藤は、スクリプト書体とサインペインティングを上手く融合させたものを探った。佐藤は、サインペインティングの古本をオーストラリアから取り寄せたりもした。線の太さと緩急が重要だと分かり、そこにカリグラフィーの手法を取り入れ、「h」に変化を付けた。それをやりすぎるとエレガントになりすぎると分かった為、バランスを考慮した。佐藤は普遍性という意味で、コカ・コーラのロゴを参考にした。佐藤によると「特定のターゲットを意識したデザインではなく、ロゴとしてドン!とある強さが理想」だったと語っている。佐藤は『THE BAY』以降、ロゴを変えたいという要望があると思っていたが、バンドメンバーはロゴを気に入ったらしく、その後も継続して使われている。

音楽性はロック、ジャズ、ヒップホップなどの要素を含む。Suchmosはジャミロクワイ、ディアンジェロ、J・ディラに影響を受けた。特にディアンジェロのアルバム「ブードゥー」は、カーティス・メイフィールド、ダニー・ハサウェイなどを他のアーティストを「掘り下げて聴く」という音楽の聴き方をするきっかけとなった。J・ディラからは特徴的なリズムとベースのグルーヴ、サンプリングの手法に影響を受けた。バンドサウンドのバランスを考えるときにはドナルド・フェイゲンのアルバム「ナイトフライ」のサウンドを参考にしている。コード進行はアース・ウィンド・アンド・ファイアーのそれを参考にすることが多い。その他、影響を受けたアーティストにハイエイタス・カイヨーテ。

YONCEは影響を受けた歌手としてカート・コバーン、カーティス・メイフィールド、フレディー・マーキュリー、MISIA、チバユウスケの名前を挙げている。フレディー・マーキュリーの高音でシャウト気味になる歌唱法を参考にしている。MISIAの表現力の高さを目標にし、チバを「ヴァイブスの塊」と称賛している。YONCEは、「ボーカルはスターじゃないといけない」という価値観を持っているが、その価値観に影響を与えたのは、MISIA、マルーン5のアダム・レヴィーン、チバ、デヴィッド・ボウイ。松任谷由実はYONCEの歌声を「ハイトーンなのに膨らみのある声」「レンジ的には、普通はキンキンしちゃいそうだが、良い感じで紗がかかっている」と評価している。また、Suchmosがジャンルを横断して多様なアプローチをしつつも、いつも音の粒立ちがよくポップに聴かせることができているのは、彼の声が理由の1つだろうと述べている。

タワーレコードのフリーペーパー「bounce」の元編集長・西尾大作は、Suchmosの音楽は1970年代のソウルやファンク、1990年代のアシッドジャズやR&Bなどのブラックミュージックからの影響が大きいと指摘している。また、ジャズやフュージョン/AOR、オルタナティブ・ロック、ヒップホップ、ネオ・ソウル、そして現行洋楽シーンの様々なジャンルからの影響を彼らなりに消化しているとも語っている。音楽プロデューサーの松尾潔は、Suchmosの佇まいはSOUL'd OUTのデビュー時を思い出させると述べている。クレイジーケンバンドの横山剣は、ザ・ゴールデン・カップスに通じる魅力があるとコメントしている。

今回の曲「GIRL feat.呂布」は、Suchmosが2015年7月8日にSPACE SHOWER MUSICから発売した1枚目のオリジナルアルバム『THE BAY』に収録されている。

この曲は高校生のときに初めて知り、当時1番のオシャレソングとしてよく聞いていた。

このメロウさがSuchmosの好きな音楽であり、ヨロシクを代表するSuchmosソングである。

今日の写真は、日本のラッパー、トラックメイカーでありKANDYTOWNとAun beatzのメンバー のRyohu(本名:中山 亮平(なかやま りょうへい))。

10代より音楽活動を始め、OKAMOTO'Sのメンバーと共にズットズレテルズとして活動。

ヒップホップのクラブ文化とバンドのライブハウス文化を上手くMIXさせたニュースタンダードなアーティストである。

この時のちょっと垢抜けてない感じもすごくいいよね。

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二軍のプレイリスト

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