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MISIA「BELIEVE」

今日の曲は、MISIAの「BELIEVE」。

作詞はMISIA。作曲・編曲は佐々木潤。

平成のディーバといえばこの人。「MISIA」というアーティスト名の由来は、「ASIAの方々にも音楽を届けたい」という想いからつけられた。

5オクターヴの音域を持つ、日本のみならずアジアを代表する歌手。日本における女性R&Bブームの火つけ役的存在で、本格派R&Bのメイン・ストリーム化に大いに貢献した。またJ-POPの枠にとらわれることなく、日本にクラブカルチャーを根付かせると同時に、世界基準のサウンド・クオリティとポピュラリティの両立を果たした。ライヴにおいてもコンピュータを駆使した大規模なツアーでは斬新な演出の中心となり、楽器の生演奏のみのコンサートではエンターテイナーに徹し、最新のグルーヴを探究するライヴでは超一流ミュージシャンとのセッションを楽しむなど、常にトップ・アーティストであり続けている。

1999年から始まった「THE TOUR OF MISIA」とタイトルされたライブシリーズは、デビュー当時に考えていた"アンダーグラウンドのカルチャーをメジャーに"というコンセプトを形にしたものだった。音楽バンドにDJを交えて構築されたサウンドとダンサーやドラァグクイーンが登場するステージというスタイルでR&BもソウルもJ-POPも表現するライブは、当時のメジャーシーンでは誰もやっていなかった画期的なものであった。しかしデビュー20周年となる2018年を目前に、すでに当初の目標は達成されたとしてその看板を下ろし、「THE SUPER TOUR OF MISIA」というタイトルで新たなコンセプトのツアーをスタートさせた。

セクシャルマイノリティへの差別・偏見を少しでも減らす社会を目指したい、という考えを持っており、ステージにドラァグクイーン等を起用する姿勢もその表れである。2019年の第70回NHK紅白歌合戦では多数のLGBTアーティストをバックにレインボーフラッグを掲げてパフォーマンスを行った。

幼少期を長崎県の対馬で過ごす。両親、兄、姉の家族全員が医者という家系。国立長崎中央病院の外科医だった父の「離島に新しい医療を届けたいという」という思いを受けて家族で移住し、自然豊かな環境でのびのびと育てられた。そこで教会のゴスペルに触れ、幼い頃から音楽に親しんでいた。福岡県立香住丘高等学校に進学後、黒人のボイストレーナーに師事。歌手になるため、いろいろなオーディションに応募したりレコード会社に書類を送ったりしていた。

今回の曲『BELIEVE』は、1999年4月21日にBMG JAPANから発売された日本の歌手MISIAの3枚目のシングル。日立マクセルによる「マクセルMD」のCMソングでもある。

緩めのテンポで強烈なビートがヒップホップに通じるようなR&Bの真骨頂を感じさせてくれる楽曲。曲のシブさを演出する楽器として、トレモロオルガンやハーモニカが使われており、最後の盛り上がりの部分は、「The glory day」でお馴染み、ゴスペルコーラスでしめている。

作詞について本人はこう述べている。

すごく、この曲を伝えたかったんですよ。でも、言葉に出来ないMisiaの思いで、去年凄く感じた、いろんな人への「愛」とか、自分の感じた「愛」っていうのを、なんか歌で伝えられないかなぁって思ったんですね。上手く自分の中で言えなくて、ちゃんと伝わったかなぁと思って、いま歌を聴いていて、悲しくなっていたりして、去年Misiaを支えてくれたり、応援してくれた人へのMisiaのラブレターでもある曲なんですね。自分を支えてくれてる人が、こんなにたくさんいるんだって、去年すごく気づいたんですよ。それは、Misiaを強くさせてくれて、ここまで来られたんだって最近もすごく思うし、それをMisiaは、言葉にしては上手く言えないんですね。詞を書き始めたのは、そうやって上手く言葉に出来ないから、文字にして、まとめて人に伝えたいって思ったのが最初だったので、歌を歌っているのもそういう所があるんですね。言葉にできないことを歌でどうにかして伝えたいっていう思いが「Believe」の中に全て出ていればいいなあって思います。

歌詞をよく理解した上で聴くと、さらにこの曲の良さが分かる。

聴いているうちに好きになっていくような「噛めば噛むほど味の出る曲」だと思う。



今日の写真は、マクセルのMD。

社名の「マクセル」は乾電池のブランド名「MAXELL」(Maximum Capacity Dry Cell=最高の性能を持った乾電池)から。

この目にいたいピンクが懐かしいディスク。
当然今の若い子は知らないだろう。

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二軍のプレイリスト


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