無防備の快感:瞑想がもたらし得る「あるがまま」「なすがまま」の境地に至る方法
超瞑想状態へ覚醒していくコツとは?
瞑想は無防備状態でやるのが一番です。
無防備とは赤ん坊や幼児のような純粋で無垢な、そして自分を守ろうともしない、ひたすら感覚に身を委ねて、一週の今この時を感じることを言います。
大人であっても、瞑想でその精神状態に立ち返ることができたら、とんでもない効果が得られるでしょう。
脳がリセットされるばかりではなく、退行状態で純粋なクリアな脳を獲得でき、言い表せない至福感や恍惚感に浸れます。
あるがまま、無為自然という理想の状態になるための瞑想、しかし…
無防備になることが何よりも大事ですが、そう簡単に行かないのが瞑想の難しいところです。
あるがまま、なすがまま、無為自然、この言葉は誰もが聞いたことがあると思いますが、実際にその境地になることが難しい。
そもそも、瞑想がうまくいって初めてその心境に達するのに、瞑想がうまくいくためにはその心境になっていなければならないという矛盾に直面するのです。
逆に、瞑想がうまくいくときは、あるがままがさらに深いあるがままを生み出す好循環に入り、私達は努力をせずとも、超瞑想状態の奇跡の恩恵に預かれるでしょう。
なぜ超瞑想状態に入り込めないのか?
では、どうしたら無防備状態のあるがまま、なすにまかせよ状態になれるのでしょうか?
まず理性があると無理です。
さらに精神的な緊張、身体的力みがあっても駄目です。
意図や意識も不必要なものです。
結局幼児に戻ることしかないのですが、知識と知恵と経験値と固定観念のある人が、そうなることは難しく、瞑想を通してなったほうが早いのです。
そうなると、結局鶏が先か卵が先かの理論となり、禅問答のように答えた一生でないことになるのです。
無防備状態、あるがままの境地に達する秘訣
とりあえずすべてを捨ててください。
手放してください。
力んでいたら、放棄してください。
努力をやめてください。
もしそれでも努力をしてしまうのであれば、逆に徹底的に努力して瞑想を行ってください。
そして無駄を悟ってください。
疲労困憊にしたあとの脱力感の中で瞑想をしてもいいと思います。
これを毎日欠かさずやること、そしてあえてなかなか無防備状態になれない人混みの中でやることもアリです。
というのも、他人がいる中で黙想をすることは、案外緊張感と警戒感を伴うものです。
しかし、その中でこそ瞑想、黙想をする癖をつけて、できるだけ無防備になってください。
防衛能力を放棄してしまうのです。
メンタルブロックの手強さ
また無防備になろうとすると、自分が邪魔をしてくるでしょう。
雑念、不安感、落ち着きの無さが生み出され、瞑想がかき乱されます。
それでも、上述したことを毎日実践すべきです。
力の抜け具合の感覚がつかめたら、あとはその流れに乗るだけです。
すべてを捨てながら瞑想をしてください。
瞑想の限界を感じた人、先が見通せない方へおすすめの瞑想法
もしそれでも限界を感じたのならば(決して努力不足でも修行不足でもありません。従来の瞑想法はそういうものなのです)、完全受け身になれる瞑想誘導法(おすすめは岩波先生の覚醒瞑想誘導法、脳覚醒誘導技術です)を受けてみてください。
瞑想は自分の主体的な意志と受け身の感受的な部分を一人でやらなければならないため、そのバランスが崩れると、理想通りには事が運びません。
ならば、いっそのことすべてを任せて、誘導者、施術者の支持に従うだけのほうがよっぽど効果が出ますし、早いです。
ただし施術者、指導者の誘導に対して警戒感を持つのが人の常ですので、相性もあるかもしれません。
そこで、岩波先生の脳覚醒誘導技術ならば、自分の警戒感、不安感、恐怖感、緊張感すべてを上回る技量で、一瞬で超瞑想状態に導いてくれます。
まさに瞬間瞑想で、瞬時にあなたの求めていた瞑想による答えが導き出されます。
そして、同じ瞑想状態は二度とありません。
瞑想状態を遥かに超えた超覚醒状態です。
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人生の、特に瞑想や精神世界をやっている人にとっては、半分以上を損しています。
いやすべてを損しているのかもしれません。