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考え事#49 コロナ禍の評価①空虚な言葉の伝播

先日、書き溜めてきた考え事をマガジンにまとめてみた。

画像はCanvaで自作した。なかなか気に入っている。うっすら入っている背景画像はAI生成(CanvaのAI機能)した画像だ。


画像はこんな感じ。

マガジンにしたついでに、過去の記事を一通り読んでみた。そうだ、そもそもこのnoteはコロナ禍で空いた時間に開設したのであった。

あれからもうほぼ4年が経過したとは。
ちょっとコロナ禍自体を振り返り、あの環境で教育にどんな影響があったのか、僕の観測範囲でまとめてみるのも面白そうだ。連続して書くかどうかは別として、今回はコロナ禍で度重なった会見に出てきた言葉について書いてみる。


度重なる会見で繰り返し抜かれた言葉

首相にしても、各都道府県知事にしても、2020-2021年あたりの、日本のリーダーの皆様のメディア露出は物凄かった。

全ての会見の全編を見たわけでは無いから、発言内容とそれを扱うメディアの切り取り方を批判する内容、と捉えていただければ幸いだ。

当時の状況下の会見で繰り返される言葉に、皆さんにとって頭に残っているものは何があるだろうか。

空虚な目標

僕は以下の言葉が本当に気になって、半ばノイローゼになりかけた。

しっかり〇〇する
きちんとした〇〇を

何かにつけて用いられたこれらの副詞には、ただただその場を切り抜けることへの願望が込められていたことは、全国民がそれこそしっかりと認知していたのではないか。

中でも僕が1番気になった言い回しは、会見の場でのしっかり検討するという発言だ。
本当にしっかり検討するのであれば、

達成すべきこと、検討のタイムライン、検討内容のチェック方法などなどがセットで出てくるべきだろう。そうで無いのであれば、純粋にこれから検討するで良かったと思う。

これは単に政治家の問題ではない。政治家も人間なので、万能では無い。記者会見でのスクリプト棒読みは確かに辟易するものだったが、そうさせてしまったのは国民やメディアのせいでもある。それでも政治家が悪い、という意見もあるが、それはそのまま彼らを選挙で選んだ有権者が見る目が無いというだけの話だ。学生の頃から思っていたが、政治家を純粋に批判して良いのは選挙権を持たない子供たちだけだと僕は常々考えている。

話を戻す。

日本のリーダーを見てきた生徒達の変化

コロナ禍を経て物凄く体感的にだが、生徒達の「目標」や「振返り」の記述に、上述した「しっかりと」という言葉が増えたように感じる。

僕以外にもこの感覚をお持ちの先生方はいないだろうか?

子供たちは大人の言動をものすごい感度で受け取っている。
あの期間に繰り返された日本のリーダー達の言葉は、しっかりと子供たちに伝播しているように思う。

彼ら、彼女らが、しっかりとした大人ではなく、明確な計画性や言語化能力を持った大人に成長してくれることを願い、今日もプリントにフィードバックを返却するのであった。

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