学びの多様性とカリキュラム
数年前からの疑問がある。
学校の教科・科目(すなわちカリキュラム)は現行のままで良いのか?というものだ。
過去、高校に情報が追加されたり小学校に英語が追加されたりなど、変遷はあるものの大きな骨格は歴史の長い権威的な学問に紐づいたものばかりである。
これらに興味を持てない生徒にとってはより細分化され、さまざまな科目がより多く学べるカリキュラムに変わっていく必要があるのではないか。
そう思っていた。これはカリキュラムの多様性を細分化によって担保しようとする、離散的多様性のための道筋といえる。
ここに、一つの認知バイアスに関する問いが生じる。
カリキュラムという仕組み自体がそもそも多様性を阻害していないか?
この答えの一つが、探究といえる。
探究的な学びは、土台がカリキュラムベースの学びの認知バイアスの陰にある。探究的な学びは、学びの連続的多様性のための取り組みである。
ここがキャッチできないと、見た目だけの、形骸化した探究が構造化されていくだろう。
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