考え事#55 時間感覚について②
引き続き、時間感覚についての考察を書いてみる。
前回、時間は外部で起こるイベントの発生間隔によって認知されるという話を書いた。
今回はイベントの受信回数と時間感覚の関係について述べたい。
イベントの受信回数と時間感覚
まず前提として、太陽の日周運動や時計の針の動きといった、規則的な外的イベントだけが身の回りで起こるのであれば、時間感覚はそんなに大きくブレることがないだろう。というのが僕の論である。
しかし、例えば楽しみにしていた予定は始まってしまうとあっという間に過ぎてしまったり、楽しみとは決して言えない日々の消化には長い時間を感じたりする。これが時間感覚の本質的な一面だろう。
これをどう説明すれば良いのか?
例えばこういう仮説はどうだろう。
「人間は、集中したいイベントに対しては、情報受信感度を下げて対応するが、体感の時間間隔は通常時の情報受信感度に基づいて認知される。」
この仮説が正しかった場合以下のように説明できるのではないか。
①:周囲で起こるイベントが特に集中したい対象ではない場合、多くの周辺情報も含めて大量の情報を受信しつつ、取捨選択を繰り返している。この情報の受信量が体感時間の基本的な間隔(インターバル)を決める。
②:集中したいイベントに向き合う時には、そのイベント内の細々とした断片的な情報を一連のもの(普段の雑多な情報よりも、繋がっていサイズの大きい情報)として受信する。
③:これによって、単位時間における受信情報数が著しく減少する。
④:しかし、体内時計の時間間隔は「通常運転の際のイベント受信数」を基準に計算されてしまう。
⑤:③④のズレにより、物理的な時間間隔より体感の時間間隔が短くなってしまい、(物理的な)時間が流れるのが速く感じてしまう。
例えば、ある人の1分間の通常時のイベント受信回数が100回だとしてみよう。
この人が、特に集中したい情報にアクセスして情報を受け取る場合、本来ならば1分間で100回の情報を取捨選択できるところを、情報をいくつかごとに繋げて受け取って、結果20回のイベントとして受信したとする。
この場合、通常時の1分間の量(100回)のイベント数を受信するには物理的な時間で5分要することになる。
結果として、集中して100回受信する場合に体感する時間は1分間であるにもかかわらず、実際には5分間という物理的な時間が経過しているという現象が起こる。(時間が過ぎるのが早いという状態)
時間は絶対的なものとして普段過ごす習慣がついている人は、この文章はなかなか難解かもしれない。何度か読んで考えてみていただければ幸いだ。