そういう世界

うやむやにしてきた今日に幾つの後悔を置いてきて、

うやむやにしてきた昨日に今日後悔を抱くと、


明日言おうと思ってた言葉が明日言えなくなる。

今日なら言えたのに明日言えなくなってる。

明日言おうと思ってたありがとうが、

明日言おうと思ってた愛してるがなぜ言えなくなるのか。

それは今日言わないから。

些細なタイミングで伝えたいと思ってる相手はいなくなる。
些細なタイミングで好きだと思ってる人がいなくなる。
些細なタイミングで大事だとだと思ってる人がいなくなる。
いなくなってからの後悔は本当につまらない。


この言葉は一生忘れることはない。

日々生活を送っていてどこかで潜在的に周りの人に対してこう思っているのだろう。

こう思っていたとしても、『あの時ああ言えばよかったな』とか、『ああしてればよかったな』とか後悔や反省はする。

言葉にしても伝わらないこともある。
思ってること全部伝えるなんて不可能に近い。


だから『言えって』となるのだろう。『大事なんだって今すぐ言えって』と。

『当たり前』にも終わりがくる。


終わりは突然くる。

毎日精一杯生きていても後悔するのに、なくしてからの後悔なんて計り知れない。綺麗事なんて恥ずかしかろうと大きな声で言えばいい。言わないよりよっぽどいい。


私はこれからも大きな声で綺麗事を言い続けると思う。


誰に理解されなくてもいい。

私は私でしかないし、あなたもあなたでしかない。すれ違いなんてたくさんある。違いもたくさんある。そのすれ違いが、そのズレが、もっともっとって愛おしく思う。そんな日々を過ごしているうちにそんな感情すらも生活が全てを飲み込んでいく。

なくして失って気付いて愛おしく思ってまたなくして。


あと何回これを繰り返していけばいいのだろう。それが人生だと一言で片付けてしまえば簡単だ。
こう思って、やっぱり思わなくなって、トラウマになるような傷つく出来事だってあった。
もう一生人を信用しない、大切にしない、仲良くならない、好きにならない。そんなことだってある。そしてまた元に戻ったりまた思わなくなったり。不思議だ。

自分だけそう思っていても辛いのならやめてしまったほうが楽だ。傷つかないから。
落ち込むくらいなら期待しない、傷つくくらいなら信じない。そう思っていたはずなのに、明日になればまた変わって。

そんな儚い世界だから少しのことで、『ありがとう』とか『大丈夫だよ』とか周りの人に伝えたい。
嬉しいことがあったときも声をかけたい。
辛いことがあったときも声をかけたい。


『あなたがいてよかったよ』って言いたいし、言われたい。


友達だろうと同僚だろうと恋人だろうと家族だろうと。


そんなふうに私は周りを大切にできているのだろうか。毎日問いかけている。

『当たり前』がずっと当たり前であってほしい。
幸せに敏感でありたい。

だから、しっかり毎日を噛み締めて生きていきたい。


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