⛰竜爪山に登って来ました💦
⛰竜爪山の歴史
静岡市の市街からなら、よく見かける竜爪山ですが、ご覧のように両壁並び立つ山です。
左側が文殊岳・標高1041m、右側の薬師岳・標高1051mです。標高を示さないと左の文殊岳の方が下界からでは高く見えてますが登山口にある案内図や登った際に身に付けて行ったカシオ プラトレックが示す高度でも確認してみました。
と、記述がありました。
また、📖『謎を解く 竜爪権現 穂積神社』にも、
著者が指摘するように、薬師如来には左右に脇侍たる日光菩薩と月光菩薩が三位一体となって薬師三尊像となります。
文殊菩薩は🦁獅子に乗っているケースが多く、釈迦如来の脇侍たる普賢菩薩と共に釈迦如来三尊像となりますが、薬師如来は脇には参りません🤷🏼
ですが調べてはみたものの、先人たちの論調も踏まえて、定説はございません🤦🏻
縄文時代に形成された山岳宗教・修験道が発展し、幾多の変遷を経て室町時代に至り、一気に花が開きます。
華道の世界も室町時代を境に、一気に花が開くほどの大転換期を迎えたと言われていますが、登山や修験道も広く民衆の中に溶け込んで行ったのでしょうね。
〝寒の入り〟と言われた二十四節気の「小寒」が過ぎた、永禄11年12月13日 戊子 (新暦1568年12月31日金曜日)🐅甲斐の虎とも言われた武田信玄が駿河国に侵攻を開始します。
武田軍 別働隊は現在の東海自然歩道を軍道に利用して、竜爪山から遠州・秋葉山まで進軍します。
武田軍は川中島へ向かう際にも、現在も名残りがある「棒道」を使って、諏訪・信州に素早く進軍しています。高級別荘地でも名高い蓼科には、その痕跡を残す「棒道」が所々にあり、現代風に言えば、〝武田信玄のアウトバーン〟のようです。
武田軍はまさに幟の「風林火山」を地で体現していました。進軍のその速さには、進軍ルートを巧みに利用した物流的な視点があったのでしょう。
室町時代後期になってからの竜爪山の開創は、望月権兵衛 豊正と言う武将で、元は武田信玄の家臣だったそうです。
権兵衛は静岡市清水区両河内の樽地に家系図が残っているそうで、系図の始めは清和天皇だそうですから、清和源氏と一緒で源頼朝の遠い遠い親戚にあたることになります🤔
ですが徳川家康を三方ヶ原で駆逐し、尾張に向かう途中で信玄は急病で急逝し、跡目を継いだ四郎勝頼が天正10年3月に織田信長・信忠父子に滅ぼされ、武田の落人となった権兵衛は、以前には甲州・駿河の通行の要衝・樽峠を守備していました。
慶長2年に権兵衛は竜爪山に移住します。
権兵衛が竜爪山に入山し、白鹿を撃ち取ると、その災いから病で床に臥せた際に、夢枕に老人が現れて、
「白鹿は神の使いである、山頂に社を建て祀るならば治癒してやる」との仰せに、権兵衛は早速、竜爪山に竜爪権現をお祭りしたのが、竜爪山開創のいわれです。
📺NHKの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも、頼朝や実朝の夢枕に、法皇が現れますが、昔の人の夢枕にはいわゆる〝お告げ〟が起こるようですね🤣
⛰静岡低山ウォーク
国民体育の祭典、国体や高校クラブ活動の運動競技の全国大会であるインターハイにも、登山競技部門があります。
🇩🇪ドイツ語の3Kをデザインしたインターハイのマークは、
Kraft( 力 )、Kunst( 技 )、Klarheit( 明朗なる精神 )の頭文字「K」を表しています。
毎年、静岡県の登山競技部門はこの竜爪山が競技会場です。
私たちも高校の山岳部では何回も登り、合宿も行いました。
その⛰竜爪山に卒業して以来、実に41年ぶりに登ります💦
当時は初日に梶原山から下山し、則沢小学校校庭でテント⛺️張り、則沢から翌日に竜爪山へ登って、再び則沢小学校校庭に戻って来るルートでした。
今回は日帰りということもあり、平山口という⛩穂積神社の参道筋から登り始めます。
今回のコースは高低差700m、走破距離14.2km、所要時間はスタートとゴールラインをしっかりとしていなかたったので、計測は間違っています😅
今回初めて、YAMAPを利用してみました。もちろん、国土地理院発行の地図🗾1/25000分地図は必需品です。
予めルート選択すると共に、高低差やルートを予習して頭に入れながら、高校の時に身に付けた読図の知識を活かして登りますが、雑誌『山と渓谷』が推奨するYAMAPがどれほどのモノかも実証したいと思います。
先ず驚いたのは、最初に設定した登山ルートから外れると5分以内に間違いであることを知らせてくれることです。
YAMAPでは予め、登山地図🗾のダウンロードと共に、ルート選択をし、通過タイムを設定します。ペースも早めの0.5倍から遅めの3.0倍まで自由に選ぶと、コースの目標地点の通過タイム、標高まで瞬時に携帯📱画面に表示されます。
学生の頃に習った読図や地図の略式マークや高低差が判る等高線、その間隔を読まなくても高低差までグラフィカルに描かれるだけでなく、自身が辿るルートを青く太いラインで表示されて行きます。
これには正直、驚きと共に感動しました❗️
📱電話のGPS機能とリンクしているのでしょうけど、📱電話の通話が出来ないような山の中でも、現在地を知らせてくれる機能は心強いものです。
とりわけ単独行では、有り難いですね👍🏻
方位や高度、周囲の樹々などを観察して地図でこの辺りかなと目星を付けていた過去の登山に比べて、飛躍的な進歩です。
登山の世界もDXが確実に進んで、登り易くなっています。
途中、二カ所ほど急登する岩場には、🪢ロープがツラ下げており、初心者の方でも足場に注意を払いながら登っていけます。
高校時代の競技登山と違って、先を急ぐハイキングではないので、ペースはあくまでも参考程度です。途中、写真を撮ってみたり、YAMAPのつぶやきコメントなども投稿して来ましたので、のんびり山行です😅
樹齢を調べて来るのを忘れてしまいました😂
左に行くと薬師岳に向かう急登と階段、右へ歩み出すと富士見峠に向かいます。🗻富士山の眺望を期待して富士見峠に向かってみます。
富士見峠は、国体予選もインターハイ予選も競技ルートに入っていないため、走破したことが無かったので、初めてルートです。
分岐点から崩壊していた沢を渡ると、このようなのどかなトラバース道が続きます。
写真下部が崩壊していることが解りますか。
富士見峠から薬師岳に向かうルートも初めてなので、新鮮です。
富士見峠を過ぎて直ぐ、急登が始まります。先ほどまでの緩やかな登山道では標高は稼げないなぁと思っていたら、ここで帳尻合わせのような急登ですが、薬師岳に向かう直登する階段よりはマシと、自分に言い聞かせて登ります。
⛰竜爪山の一つ薬師岳へ
40分ほどで、薬師岳山頂に到着です。
薬師岳山頂から文殊岳山頂までは15分ほど、一旦は下がりますが登り始めたら、10分ほどで今日の目的地、文殊岳山頂 標高1041㍍に到着です。
晴れてはいましたが☁️も多く、富士山や下界の眺望までは視認出来ませんでした。
無類の☔️雨男の私です。
☔️雨が降らなかっただけでも有り難いですね。
3月の空にしては☁️雲が厚く、頂上からは富士山が望めませんでした。気を取り直して下山することにします。
下山する時に頭を過ぎったのが、⛩穂積神社へ下る急な階段です。
私がインターハイ予選大会出場の時は☔️小雨が間断なく降り続く日で、滑り易く難易度が上がっていました。
競技登山では、登山ルートの読図で現在地の位置や周りの樹木など正確に把握しているか?や、登坂の足場を安全に早く見出しているかなど採点対象の場として、ポイントが高い場所でした。
昭和56年のインターハイ予選時には、やはり審査員がいました。
高校時代の思い出が走馬灯のように蘇ります。
そして、ついに階段の最上段に到着しました。
高度も短時間で稼げますが、登りも楽ではありませんが下りも神経が抜けず、集中力を持ち続けながら下ります。
長い下り階段です。
何段あったか数えるのを忘れていましたが、何しろ百や二百ではないほどの長い階段を下り終えるとようやく⛩穂積神社の奥宮と先ほど見た夫婦杉が目に入って来ます。
小休憩を取り、体調を整えて旧登山道の平山登山口に向かいます。二カ所ほど急な岩場の下りに注意を払いながら、50分ほど下ると平山登山口に戻って来れば、今日の日帰り低山ウォークは終了です。
コンクリート製の⛩が見えて来ると、ほっと一安心ですが、日帰り山行の完走でもあります。
今回、参考にさせていただいたのが、静岡新聞社 刊の『日帰り しずおか低山ウォークBest20』のムック本です。
登載番号010に掲載されています。
国土地理院発行1/25000地図「和田島」「清水」でした。
(終わり)