東寺に寄って来ました
⬜︎はじめに
大阪天満に仕事で出向く用事が出来たため、静岡を朝早く出て、大阪へ。
新幹線なら、2時間半、便利になりました。大阪までの出張なら、日帰りです。
大阪は行き慣れていないため、天満へは一つ目の駅で下車すればいいのに、福島方面に行ってしまい、逆方向だと気づき、また乗り換えて二駅乗って、目的地の天満駅へ。
午前中で仕事を終えたので、そのまま静岡に帰路するのもなんですから、帰りの道すがらで寄れる場所を考え、京都駅そばの東寺に寄ってみることにしました。
学生の頃の修学旅行では行ったことがありませんでした。
でも‥‥。
新幹線で京都駅を通過する度に、東寺の五重塔が見える❣️五重塔。京都タワーと並んで京都駅を連想せるシンボルではないでしょうか?
国宝・奈良、室生寺の五重塔は、間近で拝観したことはありますが、この歳になるまで東寺の五重塔は拝観していませんでした。
木造建築でありながら、風雪に耐えて佇むこの建造物は中に鎮座している仏像もさることながら、匠の確かな技に惹かれます。
ちょうどムック本『隔週刊 古寺行こう 東寺②』が発売されていました。
初回の法隆寺も解り易くまとめられていました。法隆寺に訪ねてみた際に、大変参考になりました。なにより仏像など撮影禁止の宝物はこういう雑誌で綺麗なご尊顔を拝察した方が判り易いものです🙏🏻
⬜︎いざ、いざ東寺へ
東寺(英語表記はToji Temple)は真言宗総本山・教王護国寺の別名があり、教王とは王に良き教えを説き善に導くとのことで現在で例えるなら、仏教の教えを説く👨🏻🎓大学・研究機関です。
ユネスコ世界文化遺産にも1994年に登録され、平安時代から伽藍の配置が変わっていないということも驚きです。
平清盛らを配する平家の先祖とする桓武天皇が平安遷都として、現在の京都に都を移した延暦13年10月22日 辛酉(新暦 794年11月22日)の二年後に、
宮城の入口にあたる羅生門の東側に官寺として創建されたのが始まりです。羅生門の東側にあったから、東寺だそうで、西側にはやはり官寺として西寺が建立されています。
その官寺、つまり国営の寺院から弘仁14年(823年)に、弘法大師・空海に下賜されます。
あの〝弘法も筆の誤り〟で余りにも有名な真言宗の開祖・弘法大師様です。
🚅京都駅に降り立ち、新幹線ホームがある八条口の改札を抜けると、ホテルなどが立ち並ぶ建物の中に、東寺の五重塔が見えますので、それを目印に👣歩いてみます。
案内表示にも徒歩15分とあります。
歩いてみると、今までの京都とは違った風情があります。路地を歩くと、ワークシェアリングをしている民家があったり、外国人の方々が利用なさっている民宿に、三味線の工房も。
歩いて15分ということで歩いてみましたが、もう少し時間がかかった気がします😄
静岡では見かけない大通りを渡り、近鉄奈良線の高架を潜り、ようやく五重塔が見えて来ました❗️
境内が広いので、戻り甲斐があります😅
九条大宮にある東大門は、京都で戦乱になった際、足利尊氏が東寺に逃げ込み、門を閉めたことから、不開門《あかずのもん》の別称があることを知りました😱
👮🏻♀️交番脇の慶賀門を潜って、初めて東寺に。この慶賀門の基礎にあたる基壇は平安時代後期のものと云いますから、室町幕府を開いた足利尊氏も足をかけたかもしれません。
東寺の造営は、延暦15年(796年)に始まると拝観する際に拝観料を払うと、中々立派なパンフレットをいただけて、その東寺略年表に記されていました😱
拝観受付までも👟歩きます。
駐車場も兼ねている、この広場では修学旅行生が様々に記念撮影をしていました。
🚻公衆トイレも非常に衛生的で綺麗だし、最新のものでした。
●拝観時間
AM08:00〜PM05:00
〈受付終了はPM04:30〉
現在は、秋のライトアップ夜間特別拝観の期間中のようです。
●拝観料500円
いよいよ、東寺に。先ず目につくのは手入れの行き届いた瓢箪池を囲む庭園です。
芝生はもちろん、玉砂利の小道にもゴミ一つ落ちていません。凛とした佇まい、身が引き締まる想いがします。
晩夏に寄ってみただけでしたが春、🌸枝垂れ桜が満開の時や🍁紅葉が見ごろな時に来館すれば、もっといいだろうなぁと、実感しました。
東寺のシンボル五重塔は、天長3年(826年)に、あの弘法大師によって創建されたとパンフレットに、ありました。しかし四度も火災で焼失し、その度に再建されたとのこと。
現在の五重塔は正保元年(1644年)、江戸幕府3代将軍・徳川家光が東寺に寄進によって竣工されました。
日光東照宮造営には56万8千両、大軍を率いての上洛には100万両を3回、4代将軍・家綱に600万両を残して、幕府財政の財政均衡策を崩すきっかけを作ります。
現在の貨幣価値に直すと、1両=10万円〜15万円ですが、計算し易いように、1両=10万円として、
100万両×3回=300万両は、3000億円。
家光時代だけで、500万両は散財したといいますが、額面上で5000億円となります。
ただし、現在と違って江戸時代初期の頃は今のような貨幣経済が根付き始めた初期の段階なので、物々交換での市場もまだまだ広く全国に行き渡っていましたから、物価は今よりもっと安いため庶民感覚からすれば、5兆円を超える巨額を使ったとみていいでしょう。
それが出来たのも、家康&秀忠の時代のように、関ヶ原合戦や大坂冬・夏の陣のような大戦が無かったために、軍事費の支出が少なかったからでしょう。
更には、納税を現在のように所得に応じて現金納税ではなく、🌾米で納付する石高制が米価の安定により破綻していませんでした。
いづれにせよ、家光の大盤振る舞いで竣工に至った東寺・五重塔は高さ55m日本の古塔中、最高の高さを誇り、国宝です。
ご開帳はありませんので、中の秘仏である四仏坐像はパンフレットに登載の写真でご尊顔を拝謁なさって下さい🙏🏻
五重塔の前座のような瓢箪池と庭園は見事の一言に尽きます。
五重塔から庭園を過ぎて、左に👀目をやると南大門、右に目をやると国宝・金堂があります。
この南大門は明治元年に焼失、明治28年に三十三間堂の西門を移築したそうです。
砂砂利が敷き詰められ、歩く度にジャリジャリ音がします。
金堂の幅33.5m、奥行き18m、金堂内には薬師三尊像・薬師如来をご本尊に、脇侍《きょうじ》には日光菩薩&月光菩薩が安置されていました。
文明18年(1486年)に焼失し、現在の金堂は天下人・豊臣秀吉の遺児、豊臣秀頼の発願で家臣・片桐且元が作事奉行として再興させ慶長8年(1603年)に竣工したと、あります。
天下分け目の関ヶ原合戦は慶長5年(1600年)旧暦9月15日ですから、その僅か3年後にこの金堂を竣工したことになります。
次第に頭が高くなる徳川家康に、豊臣家の財力を誇示する狙いもあったのでしょう。
秀頼の発願で再興したものは、東寺・金堂だけではありません。織田信長や秀吉が篤く想いを寄せていた愛知県津島市にある⛩津島神社の南門も、慶長3年(1598年)秀吉の病の快癒を願って、寄進しています。
金堂内には、薬師三尊像と十二神将が鎮座していました。中は暗いし、撮影禁止なのでご尊顔はパンフレットにて拝観なさった方がより判り易いです。
この金堂と先ほどの食堂の間に、一直線に並んでいるのが講堂です。
こちらは、重要文化財です。
金堂と同様に、入母屋造 本瓦葺で、空海が説く真言密教を学ぶ場です。
やはり、こんなことは中学の修学旅行でバスガイドさんからご教示いただいたとしても、頭の片隅には残りませんね。
案内して下さったバスガイド嬢が可愛かったり、美人だったり、そんなバスガイド嬢が🚌の中で、🎵『Let's It Be』を英語で歌って下さったことは覚えていても、法隆寺の有難さや薬師寺の素晴らしさは記憶に残っていません😅
食堂の左手には、大師堂があります。またの名を御影堂、南北朝時代に建立された入母屋造 檜皮葺きの大師堂も国宝です。
仕事帰りに駆け足で参詣したため、ここでタイムアップです。今度はもう少しゆっくりと落ち着いて拝観したいなぁと、実感しました。
この他にも大日堂、宝物館、北大門、観智院、壬生通りを回って歩道橋から南大門と五重塔の絶景ポイントを逃しました。
宿題の残る東寺散財です。
帰路は歩き疲れたので、横着して近鉄奈良線の東寺駅から一駅区間ですが、乗車してしまいました💦
各駅停車・京都駅行きを待つ間に、近鉄特急が通り過ぎます。
🚅新幹線八条口改札に近いことから、乗り継ぎには便利です。
新幹線を待つ間、少し時間がありますので駅ビル内で京都駅に着いたら、必ず寄る京都で超有名な☕️珈琲店「イノダコーヒー」で伝統のアラビアコーヒーを一杯❣️
今日は、夕食も兼ねて、🍝ナポリタンまで😋
(終わり)