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殿二自治会 日誌 2

#地方自治を現場から見つめる自治会長の日記です

【静岡市清水区駒越地区・殿沢2丁目界隈】


配信の第2回目です👀
 
 令和5年4月6日 ☔️晴れのち小雨 気温20.8°  西風 気圧1016hPa

 ・防災マップをA3サイズのカラーコピーをすると、コンビニでは一枚80円。浸水マップと避難マップを2枚コピーするもコンビニのコピー機では両面対応しておらず、無駄な枚数を費やした。
・昨日よりExcelの表計算ソフトを活用し、DBに取り組み入力を始める。

 前回、配信した投稿の中に、元禄年間に発生した元禄関東地震がある。この地震の浸水状況の🗾地図があった。それが上記の📂ファイルである。
 発生は元禄16年11月23日(新暦1703年12月31日 午前2時😴)。まさに、〝草木も眠る丑三つ時〟に元禄関東地震は起こった。
 マグニチュード8.2、震度7の海溝型地震で、元禄関東地震という名だからと、静岡県は関係ないとするのは早計で、静岡県も他人事ではなく、牧之原市、吉田町、焼津市、静岡市駿河区、清水区、富士市、沼津市、西伊豆にも浸水被害が出ている。
 誘発されて発生した津波は東伊豆で17m、熱海でも7mの津波が襲来した。
 清水区の津波浸水被害状況がが1m前後だからと、安心は出来ない。
 格言
 〝二度有ることは三度ある。〟

 谷崎潤一郎の『細雪』でも掲載されている格言だ。過去を侮ってはならないという戒めである。

 作成に着手してから痛感したが、何で地震予知が難しいのかが判り始めた。資料が散逸し、学者が各々好き勝手に資料を作成しているため、取りまとめるのに、大変手間がかかる。
 記録が少ない上に、散らばった資料に統一性を欠く資料の体裁、3.11以前の観測記録は一つとして完全な記録がない。
 小職が愚考するに、地震の記録として必ず記しておかなければならない項目は、
1.発生日時
2.発生時間
3.震源地・震央(北緯・東経)
4.規模・マグニチュード
5.津波の高さ
6.震源の深さ
7.地震の種類(直下型・海溝型など)

 であろうか?
 資料がタテ版だったり、ヨコ版もあり、和暦・西暦も西暦で揃えてある資料が有るかと思えば、和暦で時系列的に並べている。
 加えて、和暦と西暦の符合性がズレている資料も多く、和暦西暦を一件一件確認する作業も手間だ。

 緯度・経度が資料によって順序が変わっているのは未だ可愛い方で、省略記号が資料作成者によってまちまちで、後で一覧にして統計的にまとめようという発想は無さそうだ。
 そこへいくと、国立天文台(NAOJ)が配信提供している日蝕月蝕DBは秀逸で、-2999〜2999年間の☀️日蝕・🌓月蝕・🪐惑星蝕は和暦まで併記。
 地震予知は難しい。
 でも受験勉強の時を思い出せば、過去問を多くこなして傾向と対策を練ったではないか?
 記録に残る最古の地震は416年8月22日(旧暦 允恭天皇5年 丙辰 7月14日)の允恭地震で、〔允恭天皇《いんぎょうてんのう》〕明日香村で大地震があったと📖『日本書紀』に、記述がある。

【岩波文庫刊『日本書紀』】

 令和5年4月7日 ☔️雨 気温20.0° 南南西 気圧1009hPa

 仕事から帰宅後、📖『日本書紀』、『続日本後紀』などから過去の地震履歴を拾ってみた。
 記録に残る日本最古の地震は、
◎416年8月22日(允恭天皇5年7月14日)であるらしい🤔允恭天皇《いんぎょう てんのう》の名を冠し元号允恭で、この年に起こった大地震を允恭地震と名づけたようだ。
 この巨大地震は、讃岐国(うどんで有名な香川県)でも大いに揺れた。被害状況が記録に無いため、震度や地震の規模を表すマグニチュードも推定出来ないが、史料にわざわざ記録したほどだから、よほど大きな地震であったろうと愚考する。
 以来、183年経過後に記録された推古地震が発生。
◎599年5月26日(推古天皇7年4月27日)は、M7.0。
 80年後に、記録された地震が筑紫地震。
◎679年1月21日(天武天皇7年12月27日) M7.5。
 36年後に記録された地震が遠江国地震。
◎715年6月30日(和銅8年3月26日) M6.5。
 19年後に記録された地震が畿内七道地震。
◎734年5月14日(天平6年4月7日) M7.0。
 11年後に記録された地震が天平地震。
◎745年5月14日(天平17年4月27日) M7.9。
 17年後に記録された地震が美濃・飛騨・信濃地震
◎762年6月5日(天平宝字6年5月9日) M7.0

 何が言いたいのか?

 この間も頻繁に日本国内で地震は起こっていた筈たが、記録して残さなかったために、後世の研究や調査が進まないことだ。

令和5年4月8日(土) ☀️晴れ 22.8℃ 西風 1002hPa

 伊能忠敬の測量を調べている内に、吉原・蒲原宿は江戸時代に発生した元和地震、安政大地震で多大な被害に遭った場所だと知った。

【現在の蒲原宿】
※旧東海道はこの分岐を左に直角に曲がったところからが、同時の蒲原宿です。
この先には、江戸時代を彷彿とさせる風情ある町並みが残っています。

 調べてみると、被害に遭った建物と大地震にもしっかりと耐えた建物があることが判り、その違いは何なのか?
 現地を歩いて見た👣
 JR東海道本線で吉原駅を下車、吉原駅から徒歩にて田子の浦港、海岸線をゆっくりと見学。
 海抜3.8m。
 吉原駅から徒歩10分ほどで、沼川石水門、通称「六ツ眼鏡」がある。
 津波の襲来以前に起こる引き潮被害にも悩まされていた同地が、明治18年完成させた水門だ。

【沼川石水門の🪧】
※🇳🇱お雇い外国人の土木技術者・ファン・ドールンに指導を仰ぎ完成させました。
ファン・ドールンは大久保利通に厚く信頼されていた技術者で、彼の助言で完成した水門は現在でも利用されています
【現在の沼川石水門】
※🇳🇱オランダの息吹きが息づいています。
オランダから持ち込まれたものは、
カステラや🎳ボーリングだけではありません。

 吉原宿は元々、現在のところより東にあったそうで、現住所でいう「元吉原」に吉原宿があったが、元和2年(1616年)の津波で被災し、中吉原に移転。
 64年後の延宝8年(1680年)8月⒌6日の大津波で中吉原が再び被災し、新吉原に移転した。
 因みに、興津宿辺りは海抜5.1m。らしい
 海抜3.8mの地では津波による被災は免れない。
 三保地区や駒越地区は海抜2.0mの地盤も多く、殿沢地区も他人事ではない。

令和5年4月9日 (日) 🌤晴れ 16.6℃ 西風 1014hPa

 ・昼より清水市長選挙🗳静岡県議会議員選挙があるため、駒越生涯学習館に出向いた帰路、前会長から殿沢二丁目の防災倉庫があると聞かされた殿沢二丁目公園に初めて出向く。
 ・駒越生涯学習館の駐車場には、迎山町防災倉庫が設置されている。
 殿沢二丁目公園はノダ社員寮を上がった三角形の狭い土地。ベンチ二カ所、白い丸テーブルがある。
・ついでに消化器🧯が設置されている防災箱1〜13、4-1、4-2、4-2-2を開けて🧯消化器の有無だけでなく、消化器の使用期限を確認し、異常無し。
・忠霊塔公園にある東家と🚾多機能トイレを目視し、異常なし。

令和5年4月10日(月) ☀️晴れ 気温22.0℃ ↙️南西の風 気圧1017hPa
 
 ・防災MAPのカラーコピーを試してみる。A3版のままがよく、ランニングコストを考えて、A4縮小版も試したが見辛い。視力に自信のない方には、A4版は無理であろう🤔
 ・YouTubeの動画配信で南海トラフ地震関連の動画を四本観る。その中で、

1.「宇宙すずちゃんねる『南海トラフ巨大地震』では、震源が和歌山県沖で発生した場合、静岡市には最短で42秒後に震度4の第一波の地震が襲来。
 第二波は56秒後に震度7以上の本震が襲来と、あった、本震襲来の15分〜42分後に想定10m〜15mの津波が静岡市に襲来するとしている。

2.「宇宙すずちゃんねる『南海トラフ』巨大地震が迫っています」では、
 1498年 明応地震の107年後
 1605年 慶長地震の102年後
 1707年 宝永地震の147年後
 1854年 安政地震の90年後
 1944年 昭和東南海地震の2年後に
 1946年 昭和南海地震
間隔だったが、ほぼ100年周期の南海トラフ地震は年々間隔が短くなって来ている傾向があり、最短で88年後の2034年に発生するかもしれないと、指摘している。
 2034年は、令和5年から11年後にあたる。

 古人曰く〝備えあれば、憂いなし〟。
 
 ・会社の総務が全社員に配信している📨メールでも、本日付けで巨大地震・津波に備え準備しておくような✉️が配信されていた。社内メールなので、社内限定、配信不可であるため、公表出来ないが、避難対策の構築や避難経路の再確認は促す内容だった。今年に入って2件目、最近では本店検査でも🏠自宅や勤務中の避難所・避難経路の再確認は検査項目に入り始めていた。
 社内でも南海トラフ巨大地震への対応が始まっている。

令和5年4月11日(火) 🌤晴れ 24.6℃ ↙️南西の風
1017hPa

 ・YouTubeが気になり始め更に3本の配信動画を鑑賞する。
1.「新たな大地震に警戒」
 地殻変動と巨大地震との関連性について
 1年に5〜6cm西向き 北西方向にフィリピン海プレートが沈み込むと言う。

【南アルプス山系の赤石岳】
※鳩十郎さんの児童本『月の輪熊』の舞台が赤石岳でした
【駿河湾と静岡県の地形模型】
※閉館してしまった東海大学海洋科学博物館2階の展示コーナーにありました。
水深2500mの駿河湾には、富士川糸魚川構造線が南北に貫き、孤島だった伊豆半島は永い年月をかけて本州の陸地へとドッキングしたのでした。

 そう言えば、南アルプス山系の赤石岳は、毎年3cmほど地盤の隆起で標高が上がっていると聞いた。駿河湾からの地盤が毎年動いている証拠だ。

【岩手名物・わんこ蕎麦】
※私は最初に出された刺身のお造りなどを食べてしまったため17杯でgive up。

 3.11東日本大震災後、新たな歪みが蓄積されわんこ蕎麦で有名な岩手県一関市で3.4m

【相馬の名物・相馬野馬追】
※私が観に行った時は草競馬だけでなく、甲冑姿で合戦模様が勇壮でした。

 相馬・野馬追で有名な福島県相馬市では2.6m北西方向に地盤がズレ、これを「余効変動」《よこうへんどう》と言うそうだ。
 宮城県牡鹿半島は3.11後に、1.1m地盤沈下した
と言う。そう言えば、安政地震により、薩埵峠の地盤が隆起して陸地の一部が海面より上がり、現在の国道1号線や東海道本線が敷かれることになった。

【薩埵峠・由比西倉沢地区】
※江戸末期の安政地震の前まではここは海中でした。

2.「NHKスペシャル・もしも南海トラフ巨大地震が発生したら」では、
 静岡市と思しき町が想定されていた。
「臨時避難情報」が発令されたら、
 気象庁→自治体→地域
 の順で知らされる手筈だ。
 ただし、臨時避難情報の事前避難 避難勧告はあくまで自主的な判断でするとのこと。
 ここでも自己責任だと言う。
 
 なんか、気象庁や政府の責任回避の姿勢が垣間見る思いがし、日本学術会議は提言すらしない。だから、学術会議不要論・無用論が出るのではないか?

              (2週目 投了)
次回は第三週。

 





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