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あの日、あの街で、彼女は。~南千住駅~

ひとりより、ふたりのほうが心強い。

「北千住」は知っていたけど、「南千住」は知らなかった。隅田川を挟んで、ちゃんと南北の位置関係だ。南千住駅は、つくばエクスプレスもJR線もメトロ線も通っているのだから、もう少し知名度が上がってもいいのではと勝手ながらに思う。これでも、北千住駅を通る路線の半分足らずで、いかに東京の東部や北部を牛耳っていることか。

JR線南千住駅のだだっ広いホームが、どことなく物寂しい。トレンチコートから冬用のチェスターコートに衣替えを迷う頃、冬の足音が追いかけてきたせいだろうか。まだ16時台だというのに、だんだんと薄暗くなる空を見上げては、ハァ〜っと息の白さを確かめたくなる。東京の冬は、まだ始まっていなかった。

苦手な乗り物のダントツ1位は、バスだ。降りるバス停はまだまだ先なのに、乗った瞬間からソワソワが止まらない。でも、バス特有のスピードで、知らない街のローカルな雰囲気に紛れる感じは、ちょっと好きだ。

訪問先はマンションの一室。ここまでは割とよくあること。ただ、靴を脱いでカーペットの上を部屋の奥まで進み、ソファの手前の地べたに座りながらする商談は、後にも先にもこの企業だけだった。相手は男性担当者だ。もし最悪の事態が起きても、誰にも助けてもらえない…と気が引き締まったことを思い出す。

駅に戻るバス乗り場からは、スカイツリーの上半分だけが白っぽく光って見えた。すぐ手前にある街灯の明るさに負けていた気がする。写真を撮ろうにも、光の反射加減が難しくて諦めた。帰宅ラッシュのバスに押し込まれて、南千住駅まで戻る。

南千住駅前のロータリーは飲食店で賑わっていて、降り立ったときの物寂しさはすっぽり覆い隠されていた。「帰ってくる」街なんだなと、彼女が帰る場所ではないのに、なぜかほっとした。

帰宅ラッシュの電車に乗りたくなかったこと、お腹が空いていたこと、パソコン作業をしてから帰りたかったこと、彼女が選んだのはデニーズだった。唯一覚えているのは、キャラメルハニーパンケーキを食べながら作業していたら、アイスが溶けてどろどろになってしまったこと。

翌年の秋、ブラシスを組んでいた新卒に引き継ぐことが決まった。マンションの一室が不安だったこともあり、片手で数えるくらいは一緒に同行した。移動中はオフィス内だと話しづらい悩みも打ち明けてくれたし、ふたりで特に盛り上がったのは下期から異動してきた課長の愚痴だ。新卒の目にも同じように映っていた課長は、相当悲惨だった。

更に翌年、ブラシスは解消されたが、同じ組織のままだった。そして飛び上がるほど嬉しいことに、課長が変わった。全員から慕われる先輩が課長に昇格したのだ。

寒空をものともしない、子犬のような新卒の笑い声に救われていた彼女を思い出す。

あの日、あの街で、彼女は。


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※基本的には経験上のノンフィクションですが、お客さん情報の身バレを防ぐために一部フィクションにしています。

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