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あの日、あの街で、彼女は。〜勝どき駅〜

季節の移ろいと共に、彼女の心境は。

「勝どき」と駅名を聞いてもピンと来なかった。ぐるっと横長の楕円で都内を囲うように、地下の奥深くを走る都営大江戸線。ホームから地上までの時間は計算してくれないGoogleマップに嫌気がさす。

休職中の後輩が退職した。隣の課にいる新卒だった。毎日のテレアポがしんどかったのかな、達成できなくて辛かったのかな、お客さんからのプレッシャーに耐えられなかったのかな。考えても答えは分からない、調べたら誰でも分かるような浅はかな問いしか思い浮かばない自分が嫌いだ。休職する前に飲みに行ったとき、前兆はあったのだろうか。

年明け早々に、課長から「一緒に頑張ろうね」と後輩の企業の引継ぎを受けた。勝どき駅の地上に出て、湾岸エリア特有の冷たい風を浴びた日。Googleマップを見ながら歩かなくても一目瞭然。高層オフィスビル、いやタワーが複数建ち並んでいた。正真正銘、営業人生で最もきれいで、立派で、堂々たる佇まいだった。エントランスに踏み入れただけで、バリキャリ営業マンの空気を身にまとった気でいた。

課長と一緒に無事に引継ぎ訪問を終える。物腰が柔らかくて、人当たりのいい少し白髪混じりの担当者に安心した。前任の退職をどう伝え、担当変更をどう受け止めてもらったのか、記憶はおぼろげだ。彼女自身は、前任者がいない引継ぎは初めてで、緊張が伝わらないように振る舞うことで精いっぱいだった。

新緑と太陽がまぶしい季節になった。「営業現場の研修も兼ねて、新卒を数名同席させてもよろしいでしょうか?」断る理由なんてないよと、快諾いただく。課長と彼女と担当者、3人にはもったいないほどの広々とした会議室が、新卒3人の初々しい雰囲気で満たされていく。

「一緒に頑張ろうね」との声かけ通り、二人三脚でお客さんに向き合ってきた課長が異動になった。真夏の月末、定時過ぎ、頭が真っ白になる。前日に一緒に飲んでたのに。もっと一緒に仕事がしたかったのに。業績もメンタルも低迷していた時期に支えてもらった恩返しが間に合ってないのに。やるせない気持ちが悔し涙に変わる。

新しい課長を連れて訪問に向かう、猛暑のピークを過ぎた頃。新しい課長は、今すぐの契約には至らないからという理由で、訪問する必要あった?おじいちゃんの長い話を聞いてるみたいだったね、とあっさり言い退けた。お世話になってる人が否定されることは、彼女自身が否定されること以上に耐えられない。たった30分ほどの会話だけで判断しないでくれよ。もう同行には絶対に連れて行かないと心に決めた。

勝どき駅とオフィスビルの中間あたりに、つけ麺を看板メニューに掲げるラーメン屋さんがある。引継ぎ訪問の帰りに課長に誘われて、初めて訪れた。新卒を連れて席がバラバラになってしまったこと、新しい課長と一緒に食べたくなかったこと、実はひとりでは一度も訪れなかったこと。

季節が何巡しても、一緒にいた人たちの表情が目に浮かぶ彼女を思い出す。

あの日、あの街で、彼女は。


*プロローグ

*マガジン

※基本的には経験上のノンフィクションですが、お客さん情報の身バレを防ぐために一部フィクションにしています。

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