怖いもの知らずから「私なんて」に転落、人生の伏線を回収するまで。
子ども時代の私にキャッチコピーをつけるなら、
・怖いもの知らず
・人前に立つことを厭わない
・大人たちの空気を読んで気を遣う
の3つかなあ。
大人になったいま、もっとも色濃く残っている性格(?)が、「空気を読んで気を遣う」なのちょっぴり悲しいね。昔から変わらないと言えば、聞こえは悪くないけども。
子ども時代を時系列で振り返ってみる。
👧保育園〜小学校時代
どちらかと言えば、「おてんば娘」の部類だったと記憶している。山と川と畑と田んぼと公園(神社の敷地内)に囲まれ、田舎でのびのびと育った。
当時いちばんお気に入りの遊びは、ブランコを立ち漕ぎした後に飛ぶこと。ブランコめっちゃ好きだった〜(笑)。ブランコの前にある柵(?)みたいなのを越えて、どこまで飛べるかよくやっていたなあ。
川で遊ぶのも好きだった。川と言っても、晴れの日が続くと乾いている部分もあるような感じの細い川で、よく上流の方まで走り回っていた。
エモい展開ついでの余談で、いまだにこの神社周辺の風景はよく夢に出てくるんだよね〜。中学生のときに引っ越したので、15年以上は離れているのにね。
保育園の運動会の障害物競走も得意だったし、シンプルなかけっこよりも楽しかった思い出がある。
人生の運動神経のピークを保育園で終わらせてしまった、無念。
運動神経の名残りで、小学生のときは一輪車を乗り回していた。一輪車ブームあったよね!?私も誕生日かクリスマスのプレゼントでもらった記憶。
どこにも掴まらずに乗れるようになって、ちょっとした坂道を上ったり下ったりするのもお手のもの。あの頃は移動手段だと思い込んでいた節がある。
そして、学校に行けばリーダーのような役割をすることもあり、よく人前にも出ていた。誰かの推薦もあっただろうけど、自ら手を挙げて進んで前に出ていたこともある。
大勢の人の前に立つことを恐れていない時期があったんだな〜と、大人になった私は感心してしまう。
「大人たちの空気を読んで気を遣う」ことも、小学生の途中から覚えたんじゃないかな。明確な時期は思い出せない。私は「一人っ子」で、"いとこ"がいなくて、遠方に"はとこ"がいるだけだったので、環境要因が大きいと思う。
最近、父方の祖母に会ったときに言われたエピソードが衝撃で、覚えていないけど昔の私も言いそう〜〜!!なできごとがあったので書かせて。
(祖母同士の関係性がわからないと伝わりづらいかもだけど…)ま、じ、で、言ってると思う。安易に想像がつく。生粋の「仲裁者」爆誕である。
母方の祖母を含む家族関係のことを赤裸々に書いているnoteはこちら👇
🧒中学校時代
いま振り返って思う、小学校時代が地頭とポテンシャルで戦える全盛期だった。
中学校時代からはゆるやかな下り坂というか、なんというか、カーストと相対評価と後天的な諸々で自分のポジションが下がっていく感覚。なんとなく伝わるだろうか。
挙げ出したらキリがないくらい、自分よりもっともっと「上の人間」がたくさんいること知る。
人並み以上に勉強もしていたし、部活もすごく頑張っていた。たまにめんどくさいこともありつつ、仲のいい友達もいた。好きな人もいて、隣の席になって喜んでいた。ふと思い出したけど、交換日記って誰が止めた?(笑)
なんだかんだ充実した日々を過ごしつつも、最終的に「自分なんて」の気持ちが膨らんで破裂したのが、第一志望高校の受験に落ちたとき。人生で一番最初の(当時の私にとっては)大きな大きな挫折。
挫折に拍車をかけたのが、結果を受け入れる家族の反応だ。実は、具体的なことはもうほとんど思い出せないが、ほんとうはこんな風に受け止めてほしかったのかも…と心の奥がチクリとすることはある。
滑り止めの高校に進学した後から、人生のどん底期が始まる。
(学歴コンプレックスにまつわるお話もいつか書こうと思っているので、ここでは割愛します)
でも、そんなどん底期に出会えたのが「BUMP OF CHICKEN」の音楽で、大人になったいまでも命を救ってもらい、心の支えになっている。あのとき、BUMP OF CHICKENの音楽を耳にしていなければ、いまの彼氏とも出会うことはなかった。
高校時代の私を救った5曲を紹介しているnoteはこちら👇
綺麗事を書くつもりはないけど、やっぱり人生は伏線回収の要素が大きい。
いつ繋がるかはわからないし、そもそも回収されない伏線もあるかもしれないけど、過去の一つひとつの出会いや選択が「いまの私」をつくっていて、「未来の私」にも繋がっていく、これは確かなことだと思う。
9月も無事に10記事投稿達成です👏
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