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"孤独"や"苦しみ"は、実際は"暖かな午後の陽射し"であるかも|西城樹里ソロ曲解説
シャニばんは〜。ベンプです。
本記事は僕が企画主を務めている「シャニマス我儘なnote連作」の樹里編となります。
概要をまとめたnote記事は下記。
ここまでに出た記事をまとめたマガジンは下記。
僕が以前書いた摩美々の解説記事はこちら。
そして本記事となります。
この連作企画は、シャニマスファンサーバー『SHINY CORD』との協力をしています。
毎週木曜にコミュ語りをする企画なんかを僕もやってたりするサーバーです。デカいサーバーなのでシャニマス友達の一人や二人できるかも。(前の記事をそのままコピペしてくる男)
概要をまとめた記事でも記載しておりますが、本企画は特にサーバーに参加していなくても自由に書いていただいて構いません。
これを見ているあなたにもアイドルのソロ曲について注目してほしいポイント、過去コミュから感じ入ってほしいポイントなどあるかと思います。
その場合は、記事など書いていただけたら僕はめちゃくちゃ喜びます。
投稿の際は「 #シャニマス我儘なnote連作 」のタグを記事に入れていただけると幸いです。
そして本記事は西城樹里さんのソロ曲、
「過純性ブリーチ」の解説をしようとする記事です。
…………………とはいっても。
今回の記事のメインコンテンツとなる部分、歌詞の解説はもう一人樹里のnoteを書いてくださる方がいらっしゃるので、そこに丸投げし(!?)、
書きたいことだけ、書きます。
僕がめちゃくちゃ西城樹里さんが好きな理由と、それを感じられるセンテンス群を抜粋してお届けし、
それをソロ曲に繋げるだけのnoteです。
では、どうぞ。
ささいなきっかけで
回りくどい書き方が得意ではないので、本題から行きます。
西城樹里という女性は、その活動を通して「ささいなきっかけであなたも変われるよ」とメッセージを伝えてくれるような、そんな魅力的な女性であると思っています。
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事実、彼女はプロデューサーに声をかけられてスカウトされるまで自分が「アイドル」になるなんて、想像だにしないような状況でした。
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この時樹里は、髪の色について触れられ、「髪を染めているのが気に入らない」と判断されたと思い、反発しますが、プロデューサーはむしろ綺麗な色だと思い、髪色について触れたのです。
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ここに今後も樹里のコミュに出てくるセンテンスが大きく詰め込まれており、
「物事はその事象の捉え方により(=ささいなきっかけにより)、意味を悪くも良くもする」
ことが示されています。
捉え方一つで、"金髪"が「不良の象徴」にもなり、「その人を象徴する綺麗な髪色」(樹里の場合は「孤高の狼のような」)にもなる。
この「ささいなきっかけ」での転換はコミュ内で頻出します。
もちろん、ソロ曲でも。
これに関する例示は本当にかなり多いので、今回は1つ、コミュを紹介し、ソロ曲の節に移りたい。
僕が大好きで、西城樹里さんのことが好きになった"ささいなきっかけ"であるコミュ、【曲がり角のランウェイ】のTrue End、『甘酸リフレクション』を。
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楽しそうな縁日に訪れる樹里とプロデューサーですが、その雰囲気が樹里の過去の1ページを想起させます。
真剣に取り組んでいたバスケ。
練習終わりにみんなで来た縁日。
今は、そうじゃない。
りんご飴が酸っぱかった。
あれ以来、食べていない。
それを………ただ、思い出していただけ。
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突然、「じゃありんご飴だな」とプロデューサー。
今日のは甘いかもしれない。
これを言うことで「今は違う自分かもしれない」と読み手側に想像させるところ、良い…
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辛かったり苦い思いをしたからこそ、そういう経験の分だけいろんな気持ちを知っている。
だから、樹里は優しくなれるのかも。
これも「事象の捉え方の転換」なんですよね。
大好きだったバスケ。でも今はできていない。
あの時感じた辛さや苦しみ、ともすれば絶望は、捉え方を変えれば優しさの根源なのかもしれない。
ちょっとだけ世界が優しく見える、シャニマスの捉え方が本当に好きです。
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結局押し切られてりんご飴を食べる樹里。
少しだけ甘さを感じた。
でもやっぱり、酸っぱかった。
そう大きな変化はない。
でも、少し甘かった。
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樹里は、プロデューサーの優しさの根源を伺う。
自分に教えてくれたのと一緒なのか?
それに対するプロデューサーの回答が、
「ささいなきっかけ」の極みなんです。
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「りんご飴が"甘くて酸っぱい"と知ってるから、"優しく"なれる」。
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そう、「意味不明」なんです。
でも、これも「事象の捉え方の転換」です。
ともすれば全く無関係なものにすら、"ささいなきっかけ"を見出すように誘導するプロデューサー。
ここで"りんご飴"を過去の象徴として、隠喩を用い評価するのは簡単なんですが、バカ真面目に正面からこのコミュを捉えることで、見えてくるものがあります。
僕は、あなたは、究極、樹里ちゃんも、
"今日は晴れている"から、"晩御飯をカレーに"したっていいし、
"朝うまく起きれた"から、"大切な人にありがとう"を言ってもいいし、
"雨が降っている"から、"いつもよりちょっぴり仕事を頑張る"ことをしてもいいし、
"りんご飴が甘くて酸っぱい"から、"誰かに優しく"してもいいし、
"バスケをやめた"から、"アイドルになっても"いい。
だから、ささいなきっかけであなたも変われるよ。
そう、彼女の姿が教えてくれる気がして、僕は西城樹里さんが大好きです。
ず〜〜〜〜っと、元気でいてね。
アイドル、楽しんでね。
この道を選んでよかった、って思えるように。
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過純性ブリーチ
ソロ曲のプチ解説に移ります。言いたいこと言うだけだが…
この曲の歌詞の中には、ともすれば見過ごしそうな"きっかけ"がたくさんあります。
歩道橋に引っ掛かった レモン色の風船に
何故か 心重ねる
風がやっと吹いた瞬間 遙か高く消えてった
Ready Go 負けられないね
追い風が「走れ」って言う
朝焼けが何度も呼ぶ
駐車場で睨んできた 懐かなそうな野良猫が
強く 逞しく見えた
だけどのんびり欠伸して 深呼吸するひと時も
Alright 大事って言える
歌詞の形にすれば、もちろん歌われているので当たり前のようにそれを享受しがちですが、
"レモン色の風船"も、"野良猫"も、"追い風"も、"朝焼け"も、
なぜか自分と重ねたり、強く逞しく見えたり、「走れ」って言ってるように感じたり、呼んでいるように感じたり、
全部そう捉えている、という「事象の捉え方の転換=ささいなきっかけ」と言えると思っています。
ささいなきっかけで勝手に勇気づけられたり、背中押されたり。
だから…………この曲はあの時のささいなきっかけで踏み出す前の過去の自分に向ける曲になるのだと思います。
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このコミュタイトル、bleachが意味する"漂白"とかかっていて最高です
おわりに
本当はもっとごちゃごちゃ喋ることあるんですが、読みやすさを優先して、この程度にします。
結構用意してたんですが、ものすごく収まり良い構成になった。初めての経験かも………
ちなみに、タイトルに使った、
「"孤独や苦しみ"は、実際は"暖かな午後の陽射し"であるかもしれない。」
という一文は『特撮』というバンドの"ケテルビー"の一節だったりします。
大槻ケンヂのバンドって言うとわかる人もいるかも。
なんというか、「絶望と仲良くなって希望にする」みたいな発想が好きなのが、大槻ケンヂが書く詩から来ていて、こういう記事を書きたくなったのも根源はここかもなあ、ということで引用しました。
これを読んで、過純性ブリーチという曲を楽しめるようになっていただければ幸いです。
ベンプでした。さようなら。
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