見出し画像

なまこ漁

 noteの皆さん、明けましておめでとうございます。正月に少し休みが取れましたので書いてみました。仕事が終了したらまた投稿したいと思っています。本年もよろしくお願いします。

 底引き網、なまこ漁――小説
 虚士(きょし)が小学3年生頃(昭和33年)の話です。その日曜日は朝から寒風が吹き、ラジオの天気予報を聞いていた虚太郎じさんが、「きゅうは雪じゃ、仕事にならん」「なまこ引きに行くぞ、寒か日のなまこはうまかぞ!」と誠吾あぼ(兄)に声を掛けました。それを聞いていた虚子は「おりも行く」とじさんに頼みました。じさんは「寒かぞー泣くなよ!」虚士は「泣かん、泣かん!」と嬉しくてたまりませんでした。
 
 じさんと誠吾あぼは、「開き=新築した倉庫」から、わら縄で袋状に手編みした網に竹の入り口枠(幅30cm長さ180cm)を付け中央に重りの石を取り付けた漁具を引っ張り出し、点検を始めました。それが終わると、直径5cm程の手作りわら縄を50m以上用意しました。
 
 寒いので皆んな、ラクダの股引にシャツを着込み綿入り丹前を着て、竹の皮で作ったバッチョ傘(三度傘のような物)をかぶり、首にはタオルを巻いて、出発の準備ができました。

底引きなまこ漁イメージ

 漁具を手漕ぎ船に積み込み、艪は2本使いじさんと誠吾あぼが漕ぎます。漁場は沖の瀬からえびす島付近までの海底です。沖の瀬は近いので、誠吾あぼとじさんは早速なまこ網を海中に投入します。この網を海底に着けて、なまこが居そうな砂地を引きずります。手漕ぎ船には大変な負荷がかかり、二人で漕いでもゆっくりゆっくりしか進みません。えびす島付近まで行くのに1時間近く掛かりました。
 ここで1回目の網揚げです。若者の誠吾あぼが頑張ります。引き上げた網を船の中央でひっくり返しすと、5匹ほどの青なまこと、でかい”樫の木俵”これは硬くて食べられません。他にふんぐり(男性のふぐり似)が多数入っていました。虚士はへんてこな生物をしげしげと観察していました。
 
 2回目はコースを少しずらして、えびす島付近から沖の瀬方向に引いて行きます。この頃から雪がちらつき始めました。寒いので船を漕ぐのに一層力がはいります。突如いくら漕いでも進まなくなりました。するとじさんが、「かせ(障害物)に掛かった!」と言い、反対方向に引き返すように指示します。するとすぐ正常に戻りますが、時々この状況は発生しました。虚士は雪と寒風がひどくなり、「かせに掛かった」ら時間ばかり掛かって、なまこは捕れないし寒くて鼻はずるずる、手足は冷たくちぎれそうで泣きたくなるのを我慢していました。
 
 雪が降りしきる中、片道200m程度の作業を3往復ほどすると、赤なまこ10匹、青なまこ20匹、ふんぐり多数(小さいのは海に返しました)の収穫があり、虚太郎じさんが「もう良か!」となまこ漁を切り上げる事になりました。虚士は寒さで凍えそうで泣きたい気持ちでしたが、これを聞いてほっとしました。
 

珊瑚の死骸でふんぐりを擦る

 虚士が、採れたなまことふんぐりを竹で編んだテゴにいれて自宅に帰ると、母の紀乃が出迎え、中を見て「良かじゅうじゃったね!」(良か成果だったね!)と喜んでくれました。

 なまこは早速、誠吾あぼが土間で調理して、”このわた”(はらわた)はその場で啜りながら食べました。本体は刺身になります。
 一方、ふんぐりは母が釜ゆでして、熱々のまま寒風の外庭で虚士の兄弟がそろって海から拾ってきた大きな珊瑚の死骸にこすりつけ、表面を綺麗にします。
 その途中ふんぐりに寄生していた2枚貝が出て来て、それをその場で食べるのが楽しいのです。虚士は夢中になって、何個もこすりました。するとふんぐりは表面が綺麗になり、なまこの様に料理して食卓に上がります。

 
 寒風、雪の中の漁を終えた虚太郎じさんは、食卓に着き山仕事で採ってきた天然の橙を酢代わりにして、焼酎のさかなにして喉をならします。ふんぐりは少し黄色で、硬く味はなまこの勝ちです。今で言えばB級グルメでしょう。でも珍味です!。

 誠吾あぼがここで一言「雪まで降って寒かったなあ!、虚士はよう泣かんじゃったね!」、虚士は我慢して良かったと思いました。
 残りのなまこは親類縁者、ご近所におすそ分けしました。
                  終わり
(これは当時のレクレーションだったように思います。この話は実話に基づいていますが、細部の記憶が怪しいので小説としました)

なまこ漁、漁場


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?