水上飛行機、見学
水上飛行機、見学 小説
虚士(きょし)が小学三年生(昭和33年)秋の話です。ある朝、浅海(あさみ)分校に登校するやいなや、担任の豊畑先生が「今日は深海(ふかみ)に飛行機が来ているので見学に行く事になった、今から皆んな家へ帰って弁当を持って10時までに学校に集合する事」言われました。
虚士は走って自宅に帰り、母の紀乃に事情を話し「弁当がいるごとなった」と頼みました。紀乃は、「深海までいくんじゃったら、遠足といっしょじゃね!、そがん急に言われても困るねー!」と言って「麦飯しか炊いとらんもんね!」と悩みながら、小さめのドカベンを持って来て、麦飯を詰めました。
その後「よか考えがある」と言って、仏壇に行き毎朝小さな鍋で仏様用に炊き供えるオッパン(小さな器に山盛り米ご飯――2個で一対)を持って来て、麦飯の上にうっすらと(5mm厚さ位)米の白ご飯をかぶせました。「これで全部白ご飯に見えるじゃろ!」と得意げに言いました。虚士は少し恥ずかしく思いましたが、急なので仕方がない事でした。
その白ご飯の上に梅干しと、遠足でもないと食べられない、卵焼きを作ってのっけてくれました。
出発前、分校長先生の話で、何でも深海小学校(本校)の近くの網代(あじろ)の浜に、長崎の大村湾から海上自衛隊の水上飛行機が飛んで来るとの話で、深海までは遠い(4km程)ので3、4年生(分校の上級生)だけが見学に行く、これは勉強の一環なので、遊ばないでしっかり見て来るようにとのお話のあと、皆んなで並んで出発しました。
虚士はそれまでに数回しか深海には行った事が無く、村はずれまで来ると楽しくて、すっかり遠足気分でした。
昼前には網代の砂浜に到着しました。すでに水上飛行機は近くに着水していて、パイロットがボートで砂浜に向かうところでした。深海小学校からも小学生達が見学に来ていて砂浜は小学生でいっぱいでした。
砂浜に降りてきたパイロットと先生の代表がなにやら話をしていたかと思うと、小学生達が集められパイロットの話が始まりました。大村湾から来た海上自衛隊員であること、ここへ来た目的、日頃の任務、水上飛行機の説明、等であったと思います。そして数時間後飛び立つとの事でした。
虚士達は、手に触れる事は出来ませんでしたが、近くで大きなフロートで浮いている水上飛行機をじっくりと眺めました。
参考動画、水上飛行機
https://www.youtube.com/watch?v=vHeLnLzSdZU
昼食後、砂浜でしばらく遊んでいると、さっきのパイロットが帰って来ました。先生と話した後、子供達に向かって「皆んな元気でなー!」と手を振ると、先生が子供達を集めて、「皆んなでお礼!」全員で「有り難うございました。万歳!万歳!万歳!」と三唱しました。
いよいよ離水の準備で水上飛行機は沖の方に向かい、離水体勢に入ります。大きな爆音と共にフロートが海面を滑り出し、激しくしぶきを上げながら、結構永い間滑り続け、いつ離れたのか気づかないうちに離水していました。そして水上飛行機は空高く上がると虚士達の上を1回大きく旋回して、大村方面に飛んで行きました。皆んな、姿が見えなくなるまで手を振っていました。これが虚士が初めて見た現代技術の粋を集めた水上飛行機の美しい姿でした。
それまでの飛行機関連の知識と言えば、飛行機雲を1年に1、2回見る程度で、それこそ雲の上の話でした。
現在の海上自衛隊の救難飛行艇「US-2」は、胴体自体がフロートになっている水上飛行機で、さながら「空飛ぶクジラ」のようです。
雄大で優雅です。
参考動画 空飛ぶクジラ(海上自衛隊US-2)
https://www.youtube.com/watch?v=8p8xcyaCf1o
終わり
(この話は実話に基づいていますが、細部の記憶が怪しいので”小説”としました)
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