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じいさんのふんどし

虚子少年の生活圏

じいさんのふんどし 小説
 虚士(きょし)が小学3年生(昭和33年)秋のある日、早朝からじいさんに付いて浅海(あさみ)湾西側の池林山(いけばしやま)に行きました。当時じいさんは雑木山の持ち主から、立木だけを買い取り一帯を伐採し、薪(たきぎ)用(当時の炊飯、風呂沸かしの燃料)に切断、太い物は薪(まき)割(わり)りして積み上げ、乾燥させる仕事をしていました。これはその後、牛深の町屋に販売したり、一部は自家用の薪として使用していました。
 
 山に到着して、しばらくするとじいさんは作業を始めました。山の斜面で3~5m高さ位の雑木を手鋸(のこ)で切り倒し、小枝を鉈(なた-斧の小型版、雑作業用)で払って薪になりそうな木だけを集積していく工程で、結構体力が必要な作業です。これを終日続けます、虚士はと言えば、遊びがてらに、あけび、野いちご、こっこ(キューイフルーツの原種)などを楽しそうに探し廻ります。
 
 昼近くになるとじいさんは疲れて、汗だく、だくになっていました昼飯(弁当)の前に、近くの湧き水でタオルを水に濡らし体を拭きました。ついでに愛用の”六尺ふんどし”(現代のパンツ)も洗ってしましました、そして立木の枝に干しました、虚士はじいさんと一緒に弁当を食べると、目当ての物も見つからず、山遊びに飽きてしまったので、一人で自宅に帰りました。
 
 帰宅した虚士が家のすぐ前の”平瀬”に行くと、4~5人の子供達が遊んでいました。一人が虚士に話しました、「カラスが白い布のような物をくわえて、池林山(浅海湾の西側)から松ご崎(東側)まで飛んでったぞ!」と、それで松ご崎を見ると、枝振りの良い松の木の枝に”白い布状の物”がひらひらとしています。
 虚士は気づきました、ひょっとしたら”じいさんのふんどし”じゃないか?
 
 夕方じいさんが池林山から帰ってきたので、虚士は「松ご崎の松の木に何かひらひらしとる、じいさんのふんどしじゃなかと?」と話した、それを聞いたじいさんは、早速、小舟(手漕ぎ)で”ぎっちらこぎっちらこ”と漕いで取りにいきました、帰ってくるとじいさんは、虚士に「こりゃ、こりゃね(有り難うの意)」とお礼を言いました。

 虚士は嬉しかったが、それにしてもじいさんは、「ふんどしもせんで、ぶらぶらさせて、そんまんま仕事を続けて、よう虫に刺されんじゃったね」と思うと吹き出してしまいました。
 この話は、話題の少ない浅海村中に知れ渡り、しばらくの間笑いを提供しました。
 
(以上は実話に基づいていますが、細部の記憶が怪しいので”小説”としました)
 
 

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