大きな梨
大きな梨 (はしかにかかりたい) 小説
もの心ついた頃はすでに虚士(きょし)の実家は自給自足に近く、桃、柿、みかん、梨などの果物類も少量ながら栽培していました。今回は梨に関わる話なのですが、夏になると虚士は、”どのうえ”(自宅から最短の地)の畑の脇にある梨の木に登って素手で梨をつかみ採って、おやつ代わりにかじっていました。その梨は結構甘いのですが、湯飲み茶碗にも満たない程の小さいものでした。
虚士が4才の頃(昭和29年)のある日、兄が麻疹(はしか)にかかりました。今でこそ麻疹のワクチンがあるようですが、当時麻疹は誰もが一生に一度かかる病気であり、人生の関門の一つで、子供のうちにかかった方が、症状が軽いと言う事で仕方がないので “めでたい儀式” と言う雰囲気がありました。しかし兄本人にすればかなりの高熱と発疹が続いて苦しそうでした。
そこで、虚士の家では麻疹にかかった子供には、”ごほうび” がありました。当時一家は現金収入を得るために、野菜、果物、薪(まき)などを父自慢のポンポン船(チャッカエンジン)に積み込んで、天草南部の牛深(うしぶか)まで売りに行っていました。その帰りに、幼児の頭ほどもある大きな愛宕梨(あたごなし)を買ってきました。父母は梨は熱を下げる効果があると信じていました。「あぼ(兄の事)だけ良かなあ」と欲しそうにしていたら、母の計らいで虚士達弟にも、少しお裾そ分けがありました。そのおいしい事、ジューシーで上品でえも言われぬ味です。自家の梨の木のものとは全く別世界のものでした。
それからと言うもの、虚士は麻疹に罹(かかり)たくて仕方がありませんでした。なかなか罹らないものですから、虚士の弟が罹った時、梨のお裾そ分けを頂きながら、「おり(僕)も麻疹になったら良かとに」と言ったら、父に「虚士にも罹るごと、弟のそばに居ったら良かよ」と言われたので期待してそのようにしました。が虚士は一向に罹る気配はありませんでした。
ようやく虚士が小学4年の頃、熱がでて、発疹がありましたのでこれは麻疹に間違いないと、早速父が大きな梨を買って来ました。そのおいしい事、そして僕のおかげで、兄弟みんなにお裾分けができた事で、熱も何のその虚士は大満足でした。
ところが、訪問医(深海からの往診)の先生の話では、これは麻疹に似てはいるけど、麻疹ではないとの見立てでした。ちゃっかり大きな梨だけは頂いてしまった訳です。父は「これは、ちゃんしもた(失敗したの意)」と言っていましたが、梨はすでに胃袋のなかで、あとの祭りです。
そして虚士が70才を超えた今でも、麻疹に罹った記憶はありません。だけど、町の八百屋で大きな梨を見ると、そわそわして、すぐ買いたくなり、重いからと悩みながらもついつい買ってしまいます。最近は“新高梨(にいたかなし)”などの大きくて、もっと上品でおいしい梨もありますが、虚士にとっての梨とは”愛宕梨”の事です。
(この話は実話に基づいていますが、細部の記憶が怪しいので”小説”としました)
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