視野
大学時代、アマチュアボクシングという競技に女子マネージャーとして4年間携わらせて頂いた。幸い私は周囲に恵まれ、今でもすっかりアマプロ問わずボクシングという競技に魅了されている。
アマチュアボクシングとプロボクシングは違う、というと
何が違うの?とよく聞かれる。
そもそも団体が違うことは審らかなのだが、付随して様々が異なる。
①目指す頂点
アマチュアはオリンピックと世界選手権が最高峰。
プロは各団体のチャンピオンベルトを手にすること。WBAやIBFなどテレビで耳にしたことはあるのではないだろうか。
スポーツである以上、トップを目指すのは同一だが登る山が違う。
②ルール
ラウンド数も採点基準も使用グローブの重さも異なる。
アマは基本的に3R、プロは4R〜12R。
採点基準はどちらも優勢に点数をつけるのだが、アマ独自のヒット数カウントなど細かく基準が違う。
使用グローブはプロの方が100g程軽い。グローブは薄いためパンチを決めると拳の感覚がよりわかる。KO率も必然的に上がるし、当たる方も拳を痛める確率が高くなる。
③世界観
これが決定的にアマプロで異なっていると私は感じる。目指す頂点が生み出す世界観である。
アマチュアは教育的スポーツの祭典であるオリンピックを頂点にしているためか、夢をひたすら追いかける人々で構成されているように感じる。それもそうなのだ、指導者や審判員の皆々様のほとんどは子どもに夢を与える教員という立場にいる。いつまでも青春を感じてられる指導者の方々には羨望すら抱いている。オリンピックを目指す大抵の選手の大学卒業後は、3つの道に進む。
自衛隊体育学校に入隊する・国体開催地の都道府県職員・大学高校の職員教員
自衛隊員や職員でお給料を貰いながらボクシングをするスタイルになる。もちろん弱くなってしまえばクビを切られるが、安定的な収入を得られるサラリーマンである。
一方でプロボクシング界はギラギラした世界だ。どんな出自の人間でも、いつ始めた人間でもウェルカム。井上尚弥選手のようになれば(なかなかなれる人間も少ないが…)、ファイトマネーは数億。一晩でサラリーマンの生涯年収を稼ぐことが出来る。生きるレジェンド、フロイド・メイウェザーは資金が尽きると試合をして一晩で稼ぐ選手として有名だ。(注記しておくがメイウェザーは才能だけでなく死ぬほど努力家。ついでにアルコールは摂取しない)こんなボクシングドリームのような選手を目指して日夜練習に励む。稼げるシステム作りがされているが、残念ながら勝てなければ稼げない。究極のUP or OUTの世界だ。
彼らの主な収入源は、スポンサー料・ファイトマネー・アルバイト。
スポンサーだけで食える選手など日本チャンピオンですら怪しい。ファイトマネーも世界戦になるまで雀の涙だ。駆け出しの選手達は過酷な練習に加え、生計を立てるためのアルバイトにも励まなければいけない。
私はプロボクサーは野生の人間だと思っている。
拳一つで闘うという人間らしいルールがある一方、倒れるまで闘うという野生性。それがプロボクシングの魅力だ。
以上3点が大きな相違点だと考える。若干同列でないのは見逃してほしい。
多くの人は、ボクシングに対して興味がない。公私を分けない日本人の特性故か、グレーゾーンな世界故か、日本の格闘技の選手に対して悪性の野蛮さを見出す傾向にあるように感じる。デジタルの普及により人々の趣向は多様化している。趣味も価値観も十人十色で結構だ。
しかし、ボクシング界に対しての偏見は少しでもなくなると個人的には嬉しい。
元々私はボクシングになんて興味がなかった。偶々入った私大で体育会のマネージャーをしたいなぁ、と思っていたところ、偶々昔の先輩に再会し、偶々彼がボクシング部だったから覗いてみたら部活の雰囲気に魅せられた。ボクシング部に入り、気づいたら卒業後も他大学の同級生達の試合を観に後楽園ホールまで足を運ぶような女になっていた。
大学受験生だった年の大晦日、TVで生中継されていたボクシングの試合を観て、
誰がこんなもの観るんだろう?
と思っていた程興味がなく、当時の自分に思いを馳せるとむしろ見下していたように思える。知性が人の価値を決めると思っていた。嫌な女だ。
ボクシングに出会わなければ、と思うとゾッとする。今でもきっと他人への差別的な思考は残っていただろうし、つまらない人間になっていたと思う。
大学ボクシングで活躍していた選手達は、ほとんどスポーツ推薦だ。とある大学のマネージャーから聞いた話では、高校という漢字が書けない選手もいるそうだ。正直大学受験を経験した人間に比べると、知性や学力は劣るだろう。
だが、そうした他大学の選手達は、日本一、世界一を目指し日々考えながら努力をしていた。普通のことを目指してるわけではない。いい大学に入っていい会社に入って幸せな家庭を築く。そんな模範的なスタンダードからは外れているし、彼らの世界で1番を獲るのは狭き門だが、夢を追い続けていた。その姿勢が美しかった、心を打たれた。
人間性や魂は知性や学力だけでは決まらないことを教えてくれた。人と違ってもいいじゃないか。視野を広げ、視座の高低を調節できるようにしてくれたのが、ボクシングだ。
ボクサーに対しての偏見は今はもうない。ついでに"普通ではない"人々にも差別的意識を持たず接している気がする。その方が人生はずっと豊かになる気がする。だって人が人生を彩るから。その人達がたくさんいて、考えの幅も様々に持った人たちの方がカラフルだと思うから。
人と違うことを厭わず、他の異種性も寛容に生きる方が人生はずっと楽だし楽しい。
多様性を受容する感性を持ち、時代の変化に順応し、来るべき定めに備える。現代人としての視野の持ち方。
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