見出し画像

【ネタバレあり】ジョーカー・フォリ・ア・ドゥを見て

普段は格闘技ばかりの記事を書いているが、今日は映画の趣味を語りたい。あくまでスピンオフとしてだが。

まず、第一弾として、ジョーカー2の感想を述べていければと思う。

この映画を見て感じたこと

悪は色んな人間関係や社会構造にして生まれる。そして、ねじれた環境が生んだ悪をこの映画ではジョーカーとして表現している。

そして、この映画を見て思ったのは、環境が生んだ悪は連鎖するということだ。

この映画では、ジョーカーを悪の代表として描いているが、実際に監督が表現したかったのは、この世界自体が悪であるということだろうと推測する。特にアメリカの格差社会について批判しているように感じた。

冒頭では、ひどいぐらいにジョーカーは看守に虐げられている。看守と囚人というわかりやすい上下関係を表現されている。

今回レディーガガが演じたハーレイも医者の子供で上流階級であり、ジョーカーを信仰しているものの、立場としては、上の立場なのである。

ハーレイは、ジョーカーに失望し普通の生活に戻るのである。一方、下の存在であるジョーカーは、警察に連行され、また下の立場に戻されるのである。つまり、戻りたければ普通の生活ができるハーレイと普通に戻りたくても強制的に下の立場に落とされるジョーカーを対比しているように感じた。それは、下の立場のものは上に上がろうとしても、最終的には強制的に下の立場に戻される、社会の捻れを表現しているのだろう。

そして、刑務所に戻ったジョーカーは、かつて刑務所内でジョーカーを崇拝していた受刑者にナイフで刺されてしまう。そして、ピントがぼやけたその奥で、受刑者はナイフで口元を切り裂いた。それは、新たなジョーカーの誕生のようにみえ、それは、悪は連鎖するということを表現しているように思った。

結論この映画は、一貫してジョーカー自体を悪と描きつつも、ジョーカーを生み続ける社会全体を批判しているように感じた。

印象に残ったシーン

やはり、この映画で印象に残るシーンは、度重なるジョーカーの妄想上の世界である。

ミュージカル調で描かれた世界は、まるでジョーカーを主役のように表現しており、妄想のシーンの回数を重ねるたび、妄想上のジョーカーとしての完成度は高くなっていく。最初は軽いメークから始まり、最後の妄想では髪は緑色に染め上げられ、完璧なメークを施している。

それは、徐々にジョーカーとして完成度を高く純度が上がっているように見えるが、ハーレイに打たれるシーンなど、孤独感が加速されているようにもみえた。

印象に残ったシーン2

印象に残ったというか、僕の読解力では理解できなかったシーンがある。

それは、冒頭のアニメ映像である。それは、まるでジョーカーが世界的に有名な殺人鬼としてカリスマ的な人気を表現しているのだろうか。それにしては、あまりにも尺が長すぎるように感じる。

そのアニメはジョーカー本人の意思に反して、ジョーカーの影がいたずらをする。冒頭は本体側の意思で、影をなんとかコントロールしている。しかし時間が経つと、影は本人を閉じ込め、テレビでめちゃめちゃする。

影がめちゃめちゃにした後に、影は本体に戻り警察身柄を確保される(ここはうる覚えである)。

ジョーカー1をコミカルに総集編として描いているのだろうか。それとも、ジョーカー1のジョーカーは自分の意思とは反して、影(社会的圧力のメタファー)が犯罪を起こしてしまったという表現なのか?

皆さんも、それぞれの見解をノートに書いていってほしい。

最後に

今まで述べていたのは、あくまで僕の感想としてみてほしい。世の中には、映画の解説を生業にし生きている人もいるからだ。

今後も、好評であれば続けていければと思う。

いいなと思ったら応援しよう!