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三木鉄道,国鉄高砂線,別府鉄道廃線跡探訪記
今から約17年前の2008年3月31日まで、兵庫県三木市と加古川市を結ぶ三木鉄道が存在した。また遡ること1984年11月30日まで、加古川市と高砂市を結ぶ国鉄高砂線が存在した。また更に遡ること1984年1月31日まで、加古川市内に別府鉄道が存在した。
つまり今から41年前の加古川市周辺には、これらのローカル鉄道網が存在していた。
2024年12月の上旬、これらローカル鉄道の廃線跡を歩き、往時に想いを馳せてみる旅をしてきた。 その模様を綴って行こう!
今回の廃線歩きは、三木から三木鉄道→国鉄高砂線→別府鉄道の順に歩くことにし、往路は滋賀から三木を目指すこととした。まず滋賀から三木までの道のりが結構遠く、旅となった!
三木へは神戸新開地から神戸電鉄でアクセスすることとし、新開地までは京都から安価に行ける阪急電車を利用することにした。
京都まではJR、京都から四条烏丸まで京都市営地下鉄を利用、烏丸から新開地まで阪急京都線と神戸線の特急を乗り継いで向かった。
阪急電車は車内が高級感があっていい。
スピードではJRにやや劣るが新開地まで快適な旅となった。
新開地からいよいよ神戸電鉄に乗る。
一駅目の湊川を出ると地上に出て、急こう配を登っていく。
鵯越を出ると山中を走り、かつて存在した菊水山駅跡を通過。
いまだホームが残っており、車窓からでも駅跡がすぐにわかった。ここも今度是非訪ねてみたい!
山中を抜けると鈴蘭台に到着。
新開地から乗った電車が三田行きだったため、ここで粟生行きに乗り換える。 粟生行きまで15分の乗り換え待ち時間、様々な車両が行き来して、神戸電鉄撮影を楽しむことができた!
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粟生行きに乗り、三木で下車。空は快晴で廃線歩きには絶好なお天気である!
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【前編:三木鉄道廃線跡歩き】
三木鉄道三木駅跡は神戸電鉄三木駅から10分ほど歩いた別な場所にある。
駅前の道を直進して川を渡り、右方向(西方向)へ進む。
木造の立派な建物「三木鉄道ふれあい館」が三木鉄道三木駅跡である。
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「三木鉄道ふれあい館」には三木鉄道とその前身の国鉄三木線で使用されていたヘッドマーク、駅名板、運賃表など当時の備品が展示されており、まずはこれら展示品を見て、現役当時を偲んだ。
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三木駅構内跡地は昔貨物を扱っていた関係で敷地は広く、三木鉄道記念公園として整備されている。公園内に信号機や線路等が保存され、鉄道が通っていたことを今に伝えている。
また、三木駅跡から下石野駅跡までの三木市内の廃線跡地は2022年に遊歩道「別所ゆめ街道」として整備されており、下石野駅跡まではこの「別所ゆめ街道」を歩く。三木駅跡を出発!
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三木駅跡から遊歩道を8分ほど歩くと最初の駅、高木駅跡に到着。
三木鉄道になってから開業した片面ホームの駅で、残念ながら跡形は全く残っていなかった。
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高木駅跡からさらに8分ほど歩くと次の駅、別所駅跡に到着。
国鉄時代からあった駅でホーム跡と線路が残っている。
ホームに立って、列車を待つ情景を思い浮かべてみる。
駅前には石彫りの記念碑があり、別所駅の略歴が書かれていた。
大正5年(1916年)に厄神からここ別所まで開通し、ここが終着駅の時代もあったことがわかる。
駅舎は休憩所として新しいものに建てかえられていたが、昔三木鉄道現役当時に降りたとき、ここに同じくらいの大きさの古い木造駅舎があったことを思い出す。
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別所駅跡を出ると廃線跡は田園地帯の広々した中を行く。
天気は快晴だが、時々田園地帯を吹き抜ける12月の風が少し冷たく感じるようになる。
舗装された遊歩道ではあるが、ところどころ踏切跡や勾配票といった鉄道時代の形跡が残されており、それらを通過する際、ここに鉄道が通っていたことを実感する。
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別所駅跡を出て15分ほど歩き、いちご農園のビニールハウスの横を通り抜け、その先の自動車工場横が西這田駅跡である。
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すぐには駅跡とわからなかったのだが、よく見ると工場の柵が一部遊歩道に面した手すりとなっている。
当時の駅ホームから道路に降りるための通路の手すりであっただろうと読み取れ、駅跡とわかった。
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手すりに続く柵も駅があった当時のものだろうと思われ、仮設柵部分はかつてホームの上屋とベンチがあったのだろうと読み取れた。
これらがわかって、現役当時の駅の全体像がカラー映像で思い浮かんできた!
しばし現役当時の西這田駅を思い浮かべタイムトラベルしているうちに
丁度ランチタイムとなり、西這田駅跡のすぐ横にある「I TeA HOUSE」で昼食とする。
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「I TeA HOUSE」は斬新な建物のカフェで店内は結構席が埋まり、地元でも人気店であることが伺えた。
席から田園風景と廃線跡を眺めながら、唐揚げ定食と食後のコーヒーを頂き、ゆったりとした時間を過ごした。廃線歩きと新しいカフェという組み合わせもなかなかいい!
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1時間弱の休憩の後、廃線歩きを再開する。
西這田駅跡を後にし、遊歩道を石野駅跡方向へ行く。
途中、鉄道時代の雰囲気を残す橋を渡る。
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西這田駅跡を出て20分くらい歩いたところでようやく石野駅跡に到着。
駅が多く駅間距離が短かった中で、この区間は駅間が長かった!
別所駅とよく似た造りになっており、ホームと線路、かつて駅舎があったところに駅舎風の休憩所がある。交換ができた古い時代のものであろう対向ホームの跡も残っていた!
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石野駅跡を出、三木鉄道株式会社の看板付きの踏切跡を過ぎ、下石野駅跡に到着する。三木鉄道になってから開業した片面ホームの駅で、残念ながら跡形は残っていないようだった。駅跡から別所小学校下石野分校跡を利用した別所ふるさと交流館を望むことができた。
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遊歩道「別所ゆめ街道」はこの下石野駅跡まで。その先は荒れた道になり、切通の中を抜けていく。ここから廃線探索本番という感じになる!
廃線跡は舗装路となっているが、道としては使われていないようで荒れ放題だった。かつて鉄道をまたいでいたであろう給水管か3本ほど小さな赤い鉄橋となって頭上を跨いでいる。
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舗装路は主要道宗佐土山線が交差する地点で終点となる。
その先は草木が繁る自然に還った切通となって宗佐駅跡へ向かう。
この宗佐土山線から宗佐駅跡までの区間は廃線後そのまま放置されているようで、草木が多く繁っており廃線跡歩きは不可能であった!
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草木が繁る数百mを過ぎると、宗佐駅跡に到着する。駅の形跡は残っていないものの、駅前だったところの空間が空いており駅跡とわかった。
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宗佐駅跡を出ると田んぼの中を築堤となって通り抜けていく。
この区間は草刈りがされており、廃線跡は歩きやすい。
途中、道路をオーバークロスしていて、その箇所の橋は撤去されたものの
橋の両側を支えていた石積みの橋台が当時のまま残っていた。
この橋台は、三木鉄道廃線で見どころの鉄道遺構だと言える。
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築堤を通り過ぎると国包駅跡に到着する。
かつてモダンなカプセル駅舎があったのが、
駅設備は撤去されホーム跡が盛り土となって駅の面影を残している。
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国包駅跡を過ぎ、線路を残した踏切跡が現れる。
この付近は遊歩道化工事が開始されており、工事用のパワーショベルが止まっていた。三木鉄道廃線跡地の加古川市内区間も三木市内区間と同様に遊歩道化されていくのかもしれない。
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この踏切跡を過ぎると廃線跡地は加古川線の線路と並走するバラスト敷の道となる。
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そして終着の厄神駅に到着。三木鉄道の駅名板があったであろう枠が残っていた。
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ホームに降りると、加古川方面ホーム向かいがかつての三木鉄道の乗り場だったのだが、そこには今でも線路が一部残っていた。
ここから三木鉄道に乗った!、と思い出し、全線6.6kmの短い路線だった三木鉄道廃線跡歩き、完了!
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【後編:高砂線,別府鉄道廃線跡歩き】
厄神から加古川線に3駅乗り、加古川へ向かう。今では希少となった103系電車で短い旅を楽しむ。
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10分ほどで加古川に到着。廃線跡歩き再開! 後半では高砂線,別府鉄道廃線跡を歩いていく。
まずは、加古川駅から南方向の高砂港駅へ向かっていた高砂線の跡を1駅野口駅まで歩くこととする。
加古川駅から南に向かっていくにもかかわらず、かつての高砂線ホームは加古川線と同じく北側に乗り場があったそうだ。
しばらく加古川線と並走した後、分岐して山陽本線(JR神戸線)をオーバークロス、南に向かっていたとのことである。
高砂線現役当時は加古川駅は地平の駅だったが、その後駅が高架化され、残念ながら加古川駅付近の高砂線跡は残っていない。
南に向かうのに加古川線と同じく北側に乗り場があったのは、高砂線も加古川線も前身は同じ播州鉄道であったからと言える。
同時に播州鉄道は、加古川線や支線の三木線等から運ばれてきた貨物を高砂線で高砂港まで運ぶ輸送網を持っていたとも言える。
高砂港から沿線の産物を海路で各地に発送していたのであろう。
なお目指す野口駅跡は加古川市役所の裏付近にあり、駅名板などがモニュメント的に残されているとのことである。野口駅まで廃線跡は市街地となって跡形は期待できなさそうであったため、まっすぐ加古川市役所を目指して歩いていくこととした。加古川駅南口を降り、国道2号線を東方向に向かう。
国道2号を東へ、鶴林新道との交差点で右折、南方向へ進路を変える。
鶴林新道は高砂線の廃線跡地を利用した道路と思われ、カーブが鉄道のものとよく似た感じのカーブの描き方をしている。
また、国道交差点から北側を見ると、向こうにJR神戸線の高架橋が見え、
そこまでの道路にも鉄道の雰囲気が感じられた!
道路沿いは比較的新しい住宅等の建物がずっと建ち並んでおり、
ローカル線だった高砂線の姿を思い浮かべるのは難しかった。
加古川駅はJR神戸線で新快速停車駅だから神戸,大阪方面の通勤の利便性が高く、加古川駅周辺の住宅開発が進んだのだろう。
現在は高砂線現役当時とは変わってしまった状況と思うが、
ここにのどかな感じのディーゼルカーが走っていたことを思い浮かべながら、歩いていく!
加古川市役所を過ぎ、道路右側に野口駅跡のモニュメントが現れる。
ホーム(実際のホームだったかは不明)に、国鉄高砂線野口駅跡の記念碑、駅名板、台車が設置されている。
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かつて駅前だった方向を見ると、昔からの道が伸びていて、昔の駅前の雰囲気が感じられた。
駅名板の裏側には高砂線野口駅の歴史が書かれていて、これを読んで高砂線だけでなく別府鉄道も発着していた野口駅の歴史に、しばし思いを馳せた。
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ここからは別府鉄道野口線の廃線跡を歩く。
別府鉄道野口線は野口駅から南東方向に進み別府港駅まで結んでいたのだが、今回は遊歩道として整備されている別府口駅跡まで歩くことにする。
別府鉄道は野口駅から、しばらく高砂線に沿って南へ進んでから分岐していたとのことで、野口駅跡から鶴林新道を200mほど南へ進む。
すると道路左側に「松風こみち」の案内板が現れる。
ここから別府鉄道野口線跡を利用した遊歩道「松風こみち」が始まる。
「松風こみち」は、その言葉通り松が植えられた遊歩道となっており、
高砂線から分岐後、すぐにカーブして進路を東方向に変えるのだが、
そのカーブが鉄道だったことを感じさせるカーブの描き方だった!
続いて別府川を、鉄道の鉄橋の雰囲気を残す橋で渡る。
鉄道時代の鉄橋を流用したのだろう。
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その後もずっと松が植えられた遊歩道が続く。
途中、遊歩道が新しい区間もある。
遊歩道が最近まで整備されていない箇所もあったということか。
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また遊歩道沿いは田畑が一部あるものの住宅が結構ある。
遊歩道は幅が狭く、ローカル線の単線の線路幅だが、ローカル線の情景は想像しにくかった。山陽電鉄が沿っていて利用が少なかったということか。
やがて「松風こみち」の最大の見どころ円長寺駅跡に到着する。
ここは公園となっており、別府鉄道の車両「キハ2」が保存されている。
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実際走っていた車両を見、こんなちっぽけなレトロな車両が走っていたのか、と具体的に想像が沸いてくる。
こんな車両が現役だったときに乗ってみたかった~!、とつくづく思う。
「キハ2」は今では写真のようにきれいな状態となっているが、数年前までは荒れた状態になっていて、クラウドファンディングを募り、修復したとのこと。これからもこのきれいな状態が見られることを期待したい。
しばしキハ2を見た後、円長寺駅跡を出発する。
別府口駅跡までの途中、踏切跡に線路が残っている箇所を2か所ほど発見したのが収穫だった。
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山陽電鉄の線路の下を通り、遊歩道の終点に到着する!
線路をくぐる箇所はいかにも鉄道が通っていたことを実感する造りだった!
なお、別府口駅跡は山陽電鉄の線路より手前にあったとのことだが、駅跡はわからなかった。
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以上で、後編の高砂線,別府鉄道廃線跡歩きを終了。加古川駅から約5kmの道のりだった。前編も含めると、13kmくらいは歩いた。よく歩いた!
線路をくぐる箇所の真上が山陽電鉄別府駅となっており、この駅から滋賀へ帰るとする。
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この時点では山陽電鉄別府駅は特急は停まらない駅なのだが、山陽電鉄の中では乗降客が多く、2025/2/22のダイヤ改正から特急を停車させるとのこと。特急が停車できるようホーム延長工事が行われていた。
別府駅からは普通車須磨行きに乗った。
東二見で阪神梅田行きの直通特急に乗り換え、さらに新開地で阪急大阪梅田行き特急に乗り換え、十三で京都河原町行き特急に乗り換え烏丸へ、京都市営地下鉄で京都へ、さらにJRに乗り継ぎ滋賀に帰った。
廃線跡歩きを満喫した一日となった!
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以上2024/12の私の廃線跡歩きの記録です。
鉄道の痕跡を探し歩く、廃線跡探訪皆様もいかがでしょうか!
以下の「鉄道廃線跡,旧線跡歩きの相談に乗ります」では、このような廃線跡歩きのご相談をお待ちしております!
是非ご活用いただき、皆様の鉄道廃線跡,旧線跡歩きを素敵で楽しいものにするのにお役立ていただければ幸いです。