協会内部で法人化の話

日本プロボクシング協会は、みなし法人であり社会的には、責任所在が確定しない団体である。
1980年代末から1990年代初頭、神奈川県内のジムが集う、神奈川拳友会(以下、拳友会)なるグループが存在していた。主な活動は月一度持ち回りで会合を開き親交を深め、意見交換、乗り興行、冠婚葬祭など拳友会として対応、またゲストを招いて話を聞く等であった。乗り興行の横浜拳闘劇場シリーズでは、のちに世界チャンピョンになる(故)星野敬太郎や日本チャンピオンにる名嘉原誠等がメインを務めた。
ゲストに(故)金平正紀会長を招待した際、会長から「これだけの会員がいるので有れば法人化してはどうか」と提案された。そして法人化する事で、どんな活動が出来るのかを会で話し合った。
その内容はボクシング界の発展のためには夢が膨らむものだった。
そして、各ジムが持ち株を有し、株式会社神奈川拳友会(以下、(株)拳友会)として登記した。
しかし、様々な構想のさなか、これからと言う時にメンバーの中心的な人物が世間を騒がす刑事事件を起こしてしまったことで、(株)拳友会は、活動をする事なく解散を余儀無くされた。
残念ながらボクシング界に新風を起こす夢は叶わなかった。
(株)拳友会は解散して神奈川拳志会(非法人)と名称を変えて存在してはいる。
当時の金平正紀氏の提唱した法人化活動をしていればボクシング界を牽引する大きな力となり、今あるボクシング界とは異なった発展的なボクシング界が存在していたかと思うと残念至極である。

時が移り、輪島協会長の時代に中間法人と言う公益法人に移行出来る法人があり、手続きか簡素の為、当時の理事が進めていた法人化には都合がよく弁護士に依頼して法人化が目前だった。
しかし、既得権を失うとした一部のジムが猛反対してその計画は頓挫した。現在のボクシング界は、多々問題を抱え未曾有の危機に瀕している。更に2021年コロナ禍がそれに追い討ちをかけている。



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