飼っていた魚が死んだ
2020年4月7日。
初めて家に迎えたペットの命日だ。
昨年の5月に家に迎えて一年経たっていない。
水槽の掃除をしてから調子を崩し、ずっと餌も食べず、力なく皆底に沈んでいることが多くなった。
去年の夏も水替えをきっかけに一度死にかけさせてしまっていたので、掃除の際にはそれなりに気を使っていたのだけれど駄目だった。
飼い主である僕の方はどうかというと、こっちも体調を盛大に崩し、一歩も動けなくなり(比喩とかではなく本当にそうだったのだ)冬から実家に身を寄せていた。
ベタも水槽ごと実家に運び込まれていた。
彼を飼い始めたころの日記を読むと、あれから今日までにいろいろなものが失われてしまったように思う。
体調は戻りつつあるけど、この日記を書いたときのように何かにわくわくする気持ちは取り戻せていない。取り戻せるものなのかもわからない。
思い返すと、当時も結構、生きるのが嫌だと思っていて、魚などを飼い始めたのは「現世に生きる意味を、楔を一本でも打ち込んでやろう」みたいな気持ちがあったと思う。
自分で書いていても何を言っているのかよくわからない。
ベタだって飼い主を選ぶ権利があれば「楔を打つ」だの訳のわからんことを言うやつを飼い主にしたくはなかっただろうに。
体調がそこそこによくなってから、実家と自宅アパートを往復するようになっていた。
亡くなる数日前から、何となく両親が鬱陶しいような、ずっと実家にいたら生きる活力が戻って来ないんじゃないかという漠然とした危機感のようなものがありアパートにいた。
危篤のペットを放り出して一人っきりのシェルターに逃げ込むのは無責任だったと思う。
父が水を足したり、水草を変えたり、エアレーションを強めたりいろいろやってくれていたらしい。父はメダカや金魚を結構な数飼っていた。
「これらの手による環境の変化が残りわずかだったベタにとどめを刺したんじゃないか」とわずかに思ってしまう。
人のせいにしようとする自分に気付いて浅ましさに嫌気が差す。
ベタを通じて自分の浅ましさに気付いたのはこれが初めてじゃない。
夏に死にそうになったときがそうだった。
薬や塩浴を試し、水質をあれこれ心配したりしたし、家について彼がひっくり返ったりしてないか仕事中もはらはらしたりしていた。
ベタに気持ちが振り回されるうちに「いっそ死んじゃえばもうこんな手間はかからないのにな」と思った。
それでいて治って元気になったときにはホッとして喜ぶのだから現金なものである。
魚一匹まともに飼えないのだから、配偶者や子どもの人生を背負ったりなんてことはとてもできないし、するべきでもないだろう。
ベタの寿命は2・3年らしい。
寿命を全うさせてあげることはきっとできなかったのだろう。
実家にとどまって自分で世話をしていれば延命できただろうか。
普通は「その可能性があった」と悔やむのかもしれないが、僕がどこにいようと何も変わらなかったように感じる。
この「何も自分は変えられないだろう」という無気力は鬱から来るものなのだろうか。
鬱が治ったら時間遅れで彼の死を悔しく思う気持ちが湧いてくるのだろうか。
何もわからない。
4月7日
病院の診察を終え魚の様子を見に実家に寄った。(たまたま2週間に一度の診察日だった)
水槽のベタは色が褪せ、うっすら白っぽいカビに包まれ死んでいた。
急な死ではなかったからか、あまり驚きはしなかった。
庭に小さな穴を掘り、亡骸を埋め、命日を刻んだ割り箸を近くに立てた。
この時ばかりは少し泣きそうになった。(一体何に対してだろう)
淡々と水槽の片付けをした。
亡骸が半日漂っていた水槽はいつもより生臭い嫌な臭いがした。
もやもやとした憑き物みたいな気持ちを払いたかったのだろうか、銭湯に行った。
自粛ムードでガラガラなのかと思ったらそうでもなかった。
サウナルームのテレビは首相の緊急事態宣言の会見を報じていて、おっさん達はいつもより真剣そうに見えた。
cabsの音楽が断続的に脳内で鳴っている。
魚になりたい願いは叶わない。プラスチックの鎖で繋がる。
「幸せ?」
空いた水槽をどうしようか。
今度はメダカとか金魚とかなら上手く飼えるだろうか。
ベタが死んだばかりなのに次のことを考えるのは不謹慎なんだろうか。
恋人と別れてすぐ次の人と結びつく人を揶揄するのも同じ理屈なんだろうか。
すぐには生き物を飼う気持ちにはなれないが、また一人で生きるのが嫌になったらペットに頼るかもしれない。
僕の姿は無責任で一貫性がなく矛盾に満ちて見えるだろうが生存するためならやってやる。
彼の生前の姿を可能な限り残しておこうと思う。
この半年、眠れない夜に一番寄り添ってくれたのは他でもない彼だ。
どうか安らかに眠れますように。