メギド72のバロールについて語る
はじめに
筆者のメギド72での推しはバロールである。
本日、5/6はバロールにちなんだ日(公式からキャラクター別に割り振られている番号がバロールは56のため)ということで、主観ではあるがバロールについて少し書いてみようと思う。
バロールと任侠、その寂しさ
バロールと任侠というジャンルは切っても切り離せない。いかにもな風貌もそうだが、彼は義理や仁義といった任侠的な思想を常々口にし、その任侠らしさは古い任侠映画を元にしているという公式の発言もある。
今も任侠というジャンル自体は存在するが、バロールを形作っているのは古い任侠映画である。例えば、バロールは奥義モーションで仁義を切る様子が描かれるが、任侠映画で仁義を切るシーンが主に見られるのは1960~1990年にかけてで、コンテンツとしてはもはや往年の作品として括られるだろう。そしてバロールも同じように、作中で栄光の時代を過ぎたキャラクターである。
バロールは昔気質の性格であり、『トーア公御前試合』では、時代や価値観の変化についていくことが出来ずに生きづらさを抱えていることを吐露する様子が描かれている。また、納得がいかないまま時代の流れに適応していく中で、自身の軸がぶれていくことに対するやるせなさを感じているような発言もある。
バロールが古き良き時代を語る際の台詞には情が込められている。その瞬間に対する深い愛着は、彼自身が未だにそこから動けないでいるということの表れなのかもしれない。意図して付与された属性なのかは分からないが、かつての思い出を捨てきれないバロールと任侠というレガシーなジャンルの組み合わせには美しさすら感じてしまう。
個人的に『トーア公御前試合』の回想シーンで描かれるバロールのとかく不器用で、生きることへの寂しさに苛まれている姿は印象深く、この描写はバロールというキャラクターにより深みを持たせていると思っている。
しかし、バロールは過去に囚われ続けて凝り固まったり、停滞しているキャラクターというわけではない。前を見据えて今も歩みを続けている。その詳細は次項に記載するが、そこが彼を好きな点の一つでもある。
バロールと友人
バロールというキャラクターを語る上で外せないのが、彼の友人達だ。バロールは人生の中で異なる人物に二度命を救われ、転機を迎えている。メギド72に所属するまでのバロールの道のりは、友人達に対して義理を果たすための旅路と言っても過言ではない。
チリアット
一人目はチリアット。彼はバロールと同じメギドである。バロールとの出会いは互いに初めて所属した軍団が同じで、そこから二人の付き合いが始まった。バロール曰くチリアットとの関係は『腐れ縁』。
人物像としては、とにかくバランス感覚がいい印象を受ける。初登場のイベントである『さらば悲しき獣たち』ではメギドとしての伝統的な戦争観と倫理観を持ちつつ、メギドラルでは軽視されていた音楽という芸術に理解を示すといった、べバルとアバラムのよき上司としての姿が見られた。
『トーア公御前試合』でバロールとの対比として描かれていた、時代の変化や自身の弱みを受け入れながら柔軟に対応していく姿は彼の適応力の高さを物語っており、個人の実力としてはチリアットを下に見ていたバロールがその能力を認めるような場面もある。
また、自身の部下であったべバルやアバラムをはじめ、旧友のバロールに対しても発揮されていた、身内への甘さが見えるような振る舞いも彼を絶妙なバランスで保っている要素の一つだと思う。
時代にも自身にも嫌気が差し、やさぐれていたバロールはある日所属していた軍団の軍団長に反発し、懲罰房に入れられてしまう。このままでは処刑されてしまうバロールに救いの手を差し伸べたのがチリアットだった。
救いの手と表現したものの、チリアットは別にバロールのことを憐れんで救出しようとしたわけではない。自身の今後の展望の中で相応の実力者であるバロールが必要になり、結果としてその形になったというだけの話である。
しかし、懲罰房でバロールを絆そうとするチリアットの発言は非常に感傷的である。我が強く、どこに行っても煙たがられていたバロールに寄り添う姿勢を見せ、要約にはなるが、お前が望む日々を取り戻す手はずを整えるとまで言い切る。
意気消沈している時にこんな言葉をかけられては、さすがにバロールも少なからず動揺したことだろう。もしこれが私情を挟まない、完全なる打算から生まれた台詞なのだとしたら、チリアットはバロールより何枚も上手だと思わざるを得ない。
真意はどうあれ、バロールはチリアットの提案を飲み込み、懲罰房から釈放された後にはチリアットの軍団に身を置くことを約束した。恐らくその動機は「輝かしいあの日々にまた触れることができるのかもしれない」といった過去を追い求める感情ではあるのだろうが、彼が現状に腐り続けるのをやめた瞬間である。ただし、様々な事情が重なった結果、チリアットは帰らぬ人になるため、その未来は絶たれることになるが……
本来なら戦争の中で誇り高く死ぬことを望むであろうバロールがチリアットの死を知り、「檻の中でくたばったほうがマシだった」とまで言い放つ描写からは、この時のバロールの憔悴具合やチリアットに対して抱いていた期待の大きさが窺える。しかし皮肉にも、チリアットの敵討ちという目的は彼を次の戦場に突き動かす原動力となったのだった。
アイゼン
二人目はアイゼン。彼はメギドではなく、主人公のソロモンと同じヴィータである。異なる種族という間柄ながら、作中ではバロールのことを『友』と呼び、対等な友人だと認識している。バロールもアイゼンのことを『ダチ』と表現する場面が度々見られるので、その気持ちはバロールも同様のようだ。
彼はなかなか複雑な経歴を持っている。エルプシャフトの属国であるトーア公国の公子として生まれたアイゼンは、ゆくゆくは君主として国を治める貴族だ。『トーア公御前試合』ではトーア公子であるアイゼンがトーア公国がエルプシャフトの属国であることに不満を持っているということをバロールに打ち明ける様子が描かれ、トーア公となったアイゼンは、『その交渉は平和のために』でトーア公国を国家として独立させるという野心の元、ついにエルプシャフトへ反旗を翻すがあえなく失敗、反逆者としてその地位を失い、幽閉の身となる。
そんなある日、アイゼンの元に姿を現したのがバロールである。バロールはアイゼンへの義理を果たすためにここに現れたわけだが、それについて語るためにはまずはバロールとアイゼンの出会いについて説明しなくてはならない。
かつてバロールはヴァイガルドにて作戦の決行中に同胞であるメギドの裏切りに遭い、さらには仕向けられた幻獣によって瀕死にまで追い込まれたことがあった。そんな状態のバロールを偶然発見し、救出をしたのが当時トーア公子であったアイゼンだ。
他の一般的なメギドと同じように、この時点でのバロールはヴィータを下等生物として見下し、蔑んでいる。幻獣がアイゼン達を食い殺している隙に逃げるといった発想すら浮かんでおり、そこにヴィータに対する敬意は感じられない。しかし『戦争という無法の場でも仁義を持って戦う』といった美学を貫き、バロールはそれを実行には移さなかった。また、メギドの裏切りとヴィータの救済を同時に受けたこの経験は、その後のバロールの価値観に大きな影響を及ぼしたのではないかと思っている。
アイゼンに救出された後、バロールはその計らいにより、しばらくヴァイガルドに滞在することとなる。保護された当初はろくに話もせず、自身を救ったアイゼンに対しても訝し気な態度をとるバロールだが、アイゼンがその心中を明かす場面では明らかに異なった反応を見せる。
バロールはアイゼンの言葉に共感を示すのだ。大きな力を持ちながら更なる高みに上り詰めることをしなかった初代トーア公を超えてみせる、『力』で自らの王国を手に入れることが夢だと熱っぽく野心を語るアイゼンの姿に、バロールは遠い時代に失われた戦士を見たのではないだろうか。
その共感はアイゼンにとっても救いとなったことだろう。口にすれば反乱分子として粛清されかねないような秘密を共有できる相手がいたことが、アイゼンが野心を燃やし続ける上で心の支えとなっていたのかもしれない。
筆者は、バロールがアイゼンに対して感じている恩義の本質的な部分はこの共感にあると思っている。もちろん瀕死の自身を救ってくれたこと自体も有難いと思ってはいるだろうが、古き戦争を、そしてその場を己の在り処としていた戦士を愛していたバロールにとっては、今も戦士の魂を持って生きている者を目の当たりに出来たことが何よりも喜ばしかったのではないだろうか。
話は戻り、幽閉の身にあったアイゼンはバロールの手を借りて現トーア公であるシュタールの身に迫っていた危機を退ける。シュタールの身を守ったことによって、恩赦を与えられたアイゼンはトーア公国外に追放されることとなり、放浪の騎士として生きる道を選ぶのだった。そこで、バロールの献身的な一面が垣間見える。バロールはアイゼンが望むならその道に同行しようと申し出るのだ。
もはやメギドラルに居場所のないバロールではあったが、異界の地であるヴァイガルドにて、ヴィータにメギドとしての人生を委ねるというのは生半可な気持ちでは出来ることではない。しかし、アイゼンへの恩義と自身の人生を天秤にかけた時、バロールにとってはぴったりとつり合いがとれたのだろう。
この提案はアイゼンによって断られてしまうが、道を違えどこの先二人は同じ世界を支えていくこととなる。立場こそ異なるものの、バロールとアイゼンは他者からの理解を得ることが出来ず、どこか孤独に生きていたはぐれ者同士だった。そんな二人が友情を育むことが出来たのは、互いにとって幸運だったと言えるのではないだろうか。
友人関係から見えるバロールの個
チリアットの敵討ちやアイゼンへの恩返しなど、『トーア公御前試合』はバロールが友人達を通じて過去の清算をし、その先に進もうとするストーリーでもある。
最終的にソロモンの元でメギド72に所属することにはなったが、バロールはチリアットが存命であればチリアットの軍団に所属していただろうし、アイゼンに一緒に来いと言われていればそれに従ったと思われる。どの道にも共通するのは『誰かの元に在る』ということだ。
もしかすると、彼にとっては信頼した相手を支えるポジションに立つことが一番居心地がいいのかもしれない。そもそも義理や恩義というのは相手がいないと果たすことができないため、一見孤高の存在に見えるバロールの個が相手ありきで成り立っているというのは自然なことなのではないだろうか。
話は遡るが、バロールの核にある任侠というジャンル自体も個人では完結しえない強固な組織の話である。盃は一人では交わせないように、彼の個は誰かと共にあることによってより輝くようにも思える。
バロールと軍団メギド72
ここまでの内容の軸となるイベント『トーア公御前試合』はメインクエストの時間軸では6章から7章の間に起こった出来事である。2024/5/6時点でメインクエストは12章を迎えており、バロールが登場してから作中でもそれなりの時間が経っていることだろう。
ここからはバロールがメギド72に加入してからの出来事や、現在はどのように活躍しているのかといった話をしていく。
7~8章(イベント:信頼と可能性)
時系列としてはバロールがメギド72に加入してから間もない時期の出来事となる。作中で語られていないため、バロールがソロモンに同行している理由はソロモンからの依頼なのか、バロールから志願したのかは分からない。
軍団入りして間もない時期ともあり、気になるのはやはり軍団長であるソロモンへの態度だ。意外なことにバロールからソロモンへの台詞を見る限り、ソロモンへの信頼はある程度形成されているように思える。
やや危険な作戦に取り組もうとするソロモンの意思を尊重したり、ソロモンが軍団長という立場であることを踏まえて接したりと、自身の立ち位置を弁えた振る舞いをしているバロールには、既に軍団の一員としての自覚が感じられる。
『トーア公御前試合』にてバロールはソロモンが勝った場合、メギド72入りするという条件の元で戦争を行っている。この戦争で完膚なきまで叩きのめされているということもあり、古いメギドであるバロールは戦争の勝者には従い、そしてある程度敬意を持って当然という心持ちでソロモンの元に下ったのだろう。
あるいは、ソロモンの人柄を奉ずるに値するものだと判断したり、その思想にシンパシーを感じて信頼が構築された可能性もあるが、『トーア公御前試合』から『信頼と可能性』に至るまでのバロールとソロモンのやりとりは目立った描写がないため、ここは想像で補完するしかない部分でもある。
10章(メインクエスト)
メインクエストにバロールが初登場したのは10章である。そして、初登場にもかかわらず重要な役目を担うこととなる。タイミングが合わず各イベントが読めていないプレイヤーや、ガチャでバロールを引けていないプレイヤーはここがバロールとの出会いになるため、このストーリーでの印象が強いのではないだろうか。
10章では3つ目の凶星の出現を確認し、バビロン計画の進行を無視できないと判断したハルマニア勢力が休戦季を狙い、メギド勢力に攻撃を仕掛けることを決断。メギド72と激突する様子が描かれている。
メギドの殲滅を目的としたハルマの軍勢は、ヴァイガルドに拠点を置くメギド72のアジトにもその手を伸ばす。6章で起こったアジト襲撃を彷彿とさせる惨劇が再び繰り広げられるのを食い止めたのが、バロールと彼に率いられたメギド達となる。
アイゼンから得た情報によりメギド72に危機が迫ることを察したバロールは、新参者である自身は軍団の内部事情を把握しておらず、適任者の選別が難しいということを理由にフェニックスに事前に戦力を集めるよう指示を出す。ここで回収されたメギド達が後にアジトでの救出活動を担うこととなり、事態は一旦収束するのだった。
ここでバロールは場を俯瞰して見る目を持ち、他者に任務を与えるリーダーとして描写される。物事の進め方やフェニックスへの指示内容についてはやや乱暴な部分もあるが、協調性を持って軍団の仲間と共に問題解決に取り組む姿は意外性があり、驚いたプレイヤーもいたのではないだろうか。
10章でバロールは度々『ソロモンちゃんのため』といった言葉を口にする。フェニックスに対しソロモンにとって『いい部下』であるよう説く姿や、メギドとしてのプライドを二の次にしてもソロモンに尽くして戦うといった姿勢からは、『信頼と可能性』でソロモンに見せていた敬意がより深まっていることを感じさせる。ここも描写がないので余白の部分ではあるが、長いメギドラル遠征の中で成長したソロモンを彼は軍団長として認め、そのソロモンが率いる軍団であるメギド72を支えようとしているのだろう。
一匹狼のように見えて、軍団という組織の中での立ち振る舞いを理解している協調性の高さ。古き戦争を愛し、言動ともに直情的な雰囲気があるが、秘密裏に戦局を変えてしまうような狡猾さの持ち主でもある……ここにきて、バロールというキャラクターは一気に複雑さを増した。『トーア公御前試合』で浮かび上がったバロールのキャラクター性の解像度をさらにもう一段階上げる手助けとなったのが、10章での描写だと思っている。
11~12章(メインクエスト)
10章に比べると目立った活躍があるわけではないものの、バロールの描写について今までとは明らかに異なる点が確認できる。ブネ、フォカロル、イポスなど軍団を取りまとめる役割のメギドが任されることが多かった分隊の隊長を彼が担うようになっているのだ。
直接言及があるわけではないので推測ではあるが、10章で指揮を執ってアジトを防衛した件が軍団内で共有され、自然と責任のあるポジションに収まるようになったのではないだろうか。軍団のために率先して動ける真摯な姿勢が評価されての人選なら、バロールがメギド72の一員として馴染んでいる様子も想像に難くない。
多くの軍団とそりが合わず、流れ者としてメギドラルを生きていたバロールは自身のことを『半端モン』と語っている。これはバロールが群れないことを自ら選択していたわけではなく、本来ならどこかに帰属したいという気持ちがあったということが分かる台詞である。
バロールにとっては多くの偶然があり、行きついた先の軍団であるメギド72だが、少なくとも彼は今組織の一員として求められ、充足を得ている。仁義を重んじるといった彼の愚直な行動原理が多様性の元にようやく受け入れられたのだ。
メギドのバロールが生きる長い年月の中で、メギド72に所属するのはほんの僅かな期間のことだろう。それでも、寄る辺のなかった彼にかけがえのない居場所が与えられたのは確かなのではないだろうか。
おわりに
断片的に散らばっているソシャゲのテキストを追ってまとめるのはなかなか骨の折れる作業ではあったが、バロールの軌跡を辿るいい機会になったと思う。彼が魅力的なキャラクターだと再認識することも出来た。
しかし、バロールと軍団メギド72の項目の中で各メギドとの関わりについて書くことを構成上断念せざるを得なかったのは悔しいところだ。
折角の機会なので、筆者が印象に残っているバロールとメギドたちのエピソードを以下に記載する。どのエピソードもバロールの面倒見のよさや落ち着いた人柄を感じることが出来る、微笑ましい内容となっている。
ベバル、アバラム(バロールキャラスト)
スコルベノト(ボティスRキャラスト)
ブエル、バラキエル(イベント:閉ざされた世界の中で)
バロールは非常に多面的なキャラクターで、切り口によって全く異なった顔を見せてくれる。あなたにとって、この記事が彼の新たな一面を知るための助けとなれば幸いである。
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