「まじめ」という株券
ネットの情報を見ていると、時々「まじめ」に働いている人が報われないのはおかしい、という発言を目にします。こういう意見を度々目にするので、まじめであることが絶対正しいというまじめ教の信者って案外多いんだと思っていました。なので、今回は「まじめ」について考えてみます。
まず、この手の意見は社会で働いている人について言われていて、働いているのは会社組織の中での話とみて良いと思うので、その場合を考えます。
会社の目的はなんでしょうか?
資本主義における会社の目的は利益を上げることだと思います。
その他にも社会的な責任とかいろいろ言うけど、利益の上がらない会社がそんなことを言っても意味がないです。だって会社が存続しないとそんなこと言ってられないからです。
このような場合に、働いている人に求めらるのは利益に貢献することです。
では、「まじめ=利益に貢献」という方程式は成り立つかといえば、そんなことはないですね。間違ったことをまじめにやっている場合でも、「まじめ」は成立するからです。ただ単に「まじめ」であることが評価されることはないのは当然のように思います。
ではなぜ、これほどまでにまじめ教の信者が多いのでしょうか。
自分は会社でパソコン一般を操る役割を担っています。
例えば、こういう指標で去年一年の月別データを出して欲しいと言われれば、ちゃちゃっとプログラムを組んで、1時間もかからずに表を作ります。
これがパソコンのない時代はどうだったかと想像すると、1年分の伝票を出してきて一枚一枚数字を確認しながら電卓を叩いて集計していきます。たぶん2~3日はかかるでしょう。
しかも、一昨年のデータも見たいからそれも出してと言われれば、プログラムのパラメータを書き換えて実行するだけ。ものの数分です。
伝票を確認しながら電卓を叩いて間違わずに集計する。これはまじめさが要求される作業です。つまり、コンピューターのない時代はまじめさが必要とされる仕事がたくさんあった訳です。しかしコンピューターがでてきて、そういう仕事がどんどん奪われていきました。正確さとスピードはコンピューターに敵いません。
こうして、「まじめ」という株券の価値が下がったわけです。
この株券の価値は上がるかと言えば、宇宙線の影響とかでコンピュータが使えなくなるとか、そういった事があれば、また価値は上がると思うのですが、そんな事はまずないでしょう。
このように価値の下がった株券を握りしめて、価値があった時代を叫んでもどうしようもないと思うのです。そんなことより、現在価値のある株券を手にする方向にまじめさを発揮するべきだと思うのですが。
政治家も、昔の価値を取り戻すとかそういう夢みたいなことを言わないで、現実に即した解決策に導いて欲しいなーと思います。