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日曜日のタマゴサンド
食の記憶を辿るコラム、題して「日曜日のタマゴサンド」。前回のプロローグを経て、記念すべき第一回はタイトル通りに「タマゴサンド」について語ってみたいと思います。
いきなりですが私、何を隠そうそれほど「食」に関しての執着心がなく。
なんなら朝食は食べない。昼食もある意味作業的なモノで、そんなにしっかり食べなくてもいい。夕食だけしっかりとれたらそれで満足。摂取カロリーよりも消費カロリーが多い日の方が優勢なんじゃないかと思われます。別段それで健康に問題もなく、むしろ体調もいい感じ。年齢も40代となり脂っこいモノを受け付けなくなってきているのも、世の同世代たちと同じような境遇です(笑)
そんな私ですが、好物のひとつといえばタマゴサンド。サンドイッチといえばやっぱりタマゴでしょう。でも、そう刷り込まれたのは幼少期でした。
私の育った家は両親と祖父母、そして姉が暮らす6人家族でした。食事は基本的に母親が作っていましたが、日曜日になると決まって祖母の出番。そして月に1回は必ず「タマゴサンド」が朝食にお目見えしたのです。
普段の朝食は食パンのトーストだったので、なんだかちょっと特別感があってとてもウキウキしながら食べていました。一人分ではちょっと足りなくてもっと食べたい、日曜日のタマゴサンドはそんな美味しさに溢れていたのです。
ちなみに私は京都出身ですが、よくよく思い出すとまわりで朝食で和食を食べるという家庭をほとんど聞いたことがありませんでした。当時は何とも思っていませんでしたが、京都市民は全国的にもパン好き民族だというのはガセネタではないですね。
話がそれてしまいましたが、そのサンドイッチは普段朝食にしている食パンを使って、ちゃんと耳も切り落としたもの。三角ではなく、長方形のスタイルでした。タマゴはちょっと粗めにつぶしたものにマヨネーズを混ぜ合わせたもので、とにかく塩加減が絶妙だったのです。
まさにそのタマゴサンドこそが私のタマゴサンドの基準。普段コンビニでもサンドイッチを買いますが、しょせんはコンビニです。やっぱりあの味の足元にも及ばず。ちゃんとしたパン屋でも「これは美味しそうだな」と思うタマゴサンドを買うのですが、やはりどこか違う。
いつか、あの味を思い出させてくれるパン屋があるのではないか。そう思って幾度となくパン屋でタマゴサンドを買ってきましたが、やはりあの記憶のタマゴサンドと合致するものはなく。そうやって考えれば考えるほど、もう一度あのタマゴサンドを食べたいと無性に思うようになりました。
そして最終手段を思いつきました。
自分で作ればいいんです。
コロナ禍のおかげで予定のない日曜日。早朝からキッチンに立ってやる気はじゅうぶん。ですが、レシピなんて知りません。完全に再現するには当時食べていた食パンから再現しなくてはならないでしょう。6枚切りの、あの厚みのパン、具材の量、そして大事な塩加減。
精神テンションはまるで幼少期のようになって、記憶を辿るようにタマゴサンド作りに勤しみました。そして30分後・・・、自作のタマゴサンドは完成。決して見栄えのいいモノではありませんが、大事なのは味ッ・・・!
誰にも味見をさせず、独り食するタマゴサンド。それは亡き祖母との邂逅・・・。
んが・・・。チガウ、コレジャナイ・・・。
おばあちゃん、貴女の味には到底及びませんでした・・・。
また、逢いに行きます。