207日目(2023/09/23・土)

柊野彼岸花(祭りは中止、語り部のみ)

本日は柊野地区柏原小学校の学生さんによる語り部を聞く為に、カゴ付自転車で朝から山道を抜けて行きました。

コロナ禍突入前は、「柊野彼岸花祭り」という名目で例年秋分の日に各種イベントを開催していたそうです。全面自粛から一部開催に移行して、昨年より「語り部」と「地域の物産品販売」を行っているようです。

筆者は昨秋にさつま町に興味をもって1か月程滞在したのですが、やって来てすぐ「この町には彼岸花ロードと呼ばれる地元有志で生育した彼岸花が綺麗な地域がある」というお話と、それを別の方にお話して「今が綺麗だから遅くなると見逃してしまうかもしれない」とお聞きして、滞在2日目には柊野地区へ向かうこととなりました。

ちなみに距離感起伏も、実際の道中の景観も何もかも分かっていない状況で自転車で見切り発車しましたので、さつま町にお住まいの方にしか伝わらないかもしれませんが、
宮之城鉄道記念館時吉湯田県道397号線紫尾小学校柊野地区
という大回りかつ、起伏の激しい道を走行する羽目になりました。
一度走ると二度目は走りたくない起伏でしたので、ここは一つ知らなかったからこそできた経験だと前向きに捉えておきましょう!

昨年の経路ですと自転車で片道1時間30分要したのですが、今年はある程度土地勘が出来てきたので、おそらく最短経路である県道398号紫尾虎居線を抜けて柊野地区へ向かいました。
それでも途中は起伏がそれなりな山道なのですが、立漕ぎも駆使して、柊野地区までの所要時間は40分となりました。早いですね!!

柊野の彼岸花まつりは中止とのアナウンスはされておりましたが、物産販売所のテントであったり、ガイドグッズであったりは、彼岸花まつりにも使われるものらしく、「彼岸花まつり」という文言が至る所で目に入りましたので、雰囲気はお祭りと言っても差し支えないでしょう。

強いて言えば、学生さんによる紹介の中で「みぞびら」という郷土料理の紹介があったので、無制限のお祭りの際には、ひょっとすると販売があるのかもしれません。写真ボードを掲げておりましたが、どんな料理か実物を是非見てみたいですね!!

語り部は聞きに行って良かったです。柏原小学校の学生さん達が、きっと何度も練習したのであろうと感じさせる程に、何も見ないでガイドを暗唱していたことも然る事ながら、3地点で開催されていた各「語り部」の内容も面白かったです。

一か所目は、奥の「田の神さぁ」のところで、柊野地区内の田の神さぁの所在地案内がありました。上地区に2体と、下公民館に1体なのですが、下公民館のものが石の中に掘るような形4体(たしか!)賑やかな作りになっておりまして、面白いです。しゃもじも握っているようです。

二か所目は、今回完成した東屋のある広場です。金明竹(きんめいちく)と呼ばれる国内で17か所目(たしか!)に発見された竹の紹介でした。緑竹に金色とも言える黄色の筋が走っている竹があるようです。横じまの「金明型」と、縦方向の「縦じま型」があるそうで、いずれも伐採してしまうと文様が無くなってしまうようです。不思議な竹ですね!見た事ないです。

三か所目は、柊野小学校(閉校済み)横の公民館付近で仏飯講(ぶっぱんこう)の紹介でした。柊野仏飯講は、1846年に「講」として認められたようで、廃仏毀釈が過激化した薩摩藩において、柊野地区の住民は仏具を大木の中に隠して逃れていたそうです。その大木も平成8年に朽ちて倒木してしまったようです。
第1回彼岸花まつりが開催されたのが平成11年と記録にありましたので、こういった「歴史の風化」に危機感を抱いた中での行動が根源にありそうですね!

気になったのが、島津の殿様による廃仏毀釈の過激化の話で、日新公(じっしんこう島津忠良)が出てきたのですが、忠良はみんな大好き戦国島津4兄弟の祖父にあたり、廃仏毀釈当時の藩主は島津斉彬であると思われるので、ガイドを編纂された方に時代が離れた日新公を取り上げられた文脈をお聞きしたかったですね。

日新公と廃仏毀釈の関係で言えば、日新公の菩提寺が加世田(南さつま市)の日新寺でして、寺のままだと打ち壊されるので「竹田神社」と改めた歴史があるのですが、ひょっとするとこの辺の文脈から拾っての「日新公」という名前がふと出てきたのかもしれません。
より詳しい歴史を見ようとするも、新しい縦型横書きの看板には書いておらず、記載があったかもしれない詳しそうな古い横型縦書きの沿革紹介の看板があったのですが、文字がかすれており、管理者も「宮之城町□□」であったので、つまりは平成17年合併以前のものですね。
残念ながら読み解くことはできませんでした

町内を動き回って聞き回ってをすれば、次から次に面白い歴史が出るわ出るわなのに、記録としてはなかなかキッチリと保管されていないので、宮之城町史が平成12年鶴田町郷土誌が平成17年薩摩町史が平成10年を最後に更新がされておりませんから、そろそろさつま町の歴史がよくまとまった本でイチから勉強させて欲しい!…などと本日も考えるウシでした。

町役場教育委員会の関係者の方、何卒!何卒!!
現在地域毎でも最大25年最小18年の空白期間というのは流石に勿体ないので是非!どうか!この通り!!👏🐂

以下、ただの宣伝です。 「さつまぐん文化経済研究室」という学習室事業を行います。 受験勉強その他教養、受講生の疑問に幅広くお応えします。 中学受験から大学受験、公務員試験まで自身の経験を活かします💪🐂 保護者さんに宣伝する機会がない為、 世間話で出して戴けましたら幸いです。